第2話


 これも伝説の魔導士、ドロシーの逸話の一つ「ドロシーの求婚」もしくは「隷属されたドラゴン」と伝えられる話だ。


 卒業をあと半年ほどに控えていたウルストンクラフト魔道学園は、奇妙にそわそわとした空気に包まれていた。

 浮き足立つ者、悲壮感に囚われるもの。力を誇示しようとして、うかつにも空回りする者……様々だ。


 そう、つい先ほど、学園長からの告示があったのだ。


「卒業学年の諸君に告げる。卒業まで残りは約半年。本来であれば、卒業試験のための準備期間となるのだが……、今年は例年と異なる卒業試験となることを伝えよう。……魔王が軍勢を携えて、ウルストンクラフトの近くまで向かってきている」


 告示を聞いていた生徒達がすっと息を呑んだ。


「ニナヨ・ユェゼ連合、エジンスタ神聖連合、ペンドルトン王国、ユグアニ共和国……、各国連合が手を携えて、魔物討伐に当たっているが、戦況は芳しくない。既に第一陣、第二陣と兵力を向かわせてはいるのだが、……彼らは既に全滅した。間もなく魔王らはペンドルトンの国境付近にまで到達するだろう。そこで諸君らにも魔導士見習いとして、魔物退治の戦場へと向かってもらう。つまりは学徒動員だ。生き残ったものは無条件に卒業資格を得る。……戦いに勝ち抜ければ名実ともに一流の魔導士として輝かしい未来が手に入るだろう」


 魔物討伐に参加し、生き残れば、無条件に卒業。

 だが、討伐に向かった第一陣も第二陣も全滅しているのだ。


 輝かしい未来っていうか……、それって……100パーセント死ぬってことじゃ……。


 皆一様に慄き、蒼白になった。


 ただ一人、ドロシー・エリザベス・レッドグレイヴだけは、違った。彼女は何かを決意した顔で、学園長を見つめていた。いや、見つめていたのは学園長ではなく、その先の、なにか、だったのかもしれないが。



 ざわざわと落ち着かない雰囲気の中、ドロシーはまず、カフェに向かい、薫り高い紅茶を注文した。


 紅茶が席に届くと同時に「ドロシー、こんなところにいたんだっ!さがしたよっ!」とピンク色の髪を振り乱しながらダナ・ホルクロフトが駆け寄ってきた。


 そのダナの後ろから、スジンズシンと重たい足音を響かせて、歩いて来る男がリック・アンカース。


 二人ともこの学園で出来たドロシーの友人である。決して下僕ではない。


 ダナは風魔法という一点のみに絞れば、ドロシーをも凌駕する。代わりに他の魔道はからっきしであるが。


 リックは魔導士という観点においては特筆すべき点はない。一応全属性の魔道は使えるが、その威力は低い。ただ、リックがいつも背負っている魔剣は恐ろしく強大だった。残念な事に、自身が手に入れた魔剣だというのに、その力を100パーセント活かしきることが出来てはいない。そのため、魔道と体術を一気に学べるこのウルストンクラフトに入学したのだが、未だ熟達というところには達していない。


「あら、二人とも、どうなさったの?そのように慌てたご様子で」


 ほわり、とドロシーが微笑む。

 ダナはドロシーの横の席に座り、リックが正面に座った。ウェイターに「あ、アタシはオレンジジュース、氷抜きで。リックはアイスコーヒーだよね」と注文してから、ドロシーをきっと睨むように見る。


「もうっ!『どうなさったの?』じゃないわよドロシー。さっきの学園長の話聞いたでしょう?魔物討伐だよ魔物討伐っ!それも大軍勢で、めっちゃ強いっ!」

「ええ……大変なことになりましたわね……」


 大変と言いながらもドロシーには悲壮感はない。実に淑女らしく優雅に微笑んでいる。


「まあ、ドロシーなら……どんな魔物だってへっちゃらだろうけど」

「あら、ダナもリックも大丈夫よ。無事に三人で卒業できるわ」

「……ならば、いいのだがな」

「アタシ……生き残れる自信ない」


 ダナとリックは下を向いた。


「生き残ってもらわないとわたくしが困るの。だって、わたくしの結婚式の友人席に座って下さる方はダナとリックしかいないのですもの。友人不在の結婚式なんて……、わたくし、悲しいですわ」


 さらりと、ドロシーが言った。

 驚いたのはダナとリックだ。思わず即座に顔を上げた。


「へ?ドロシー結婚するの?え、え、え?い、いつ?どこで?だれとっ!!」

「……ドロシーと結婚できる奴なんて、いたのか……?」


 ダナが叫びに、リックのぼそりとしたつぶやきはかき消された。そして、カフェにいた生徒たちも皆ドロシーに目を向けた。


 あのドロシーが結婚?


 元とはいえ侯爵令嬢。且つストルアン・デュ・ペンドルトン元王太子の婚約者であったドロシー。

 その優雅な立ち居振る舞いは優美なだけでなく端正で凛としており、しなやかさまでをも併せ持つ。淡いヘイゼル色の瞳と温かみのある焦げ茶色の髪は一見優し気でもある。

 しかも魔道の腕は超一流。学園にては常にトップをキープしている。体術も、かなりのもので、自身の倍近い長身のリックを片手で投げ飛ばせるほどだ。


 そんなドロシーは、学園に入学して以来、数多の男からの求婚を受けていた。

 しかし、全てみな玉砕。


 ドロシーいわく「お気持ちは嬉しいのですが……、わたくし、将来の伴侶となるものは……わたくしより強い男性をと望んでおりますの」である。


 ドロシーよりも強い男。

 そんな人外魔境な男がいたのかと、リックはあんぐりと口を開けた。

 ダナは「だれ?誰?誰よ、そんな男っ!だれだれだれええええええっ!」と壊れた音声再生機のように繰り返した。


「いえ、未だお会いできてはいないのですが……。ほら、魔物討伐に向かうでしょう?ペンドルトン王国の方々には期待は持てませんが、ニナヨ・ユェゼ連合、エジンスタ神聖連合、ユグアニ共和国……各国からこれはという殿方が戦いに参列するのですから、その中にはお一人くらいはわたくしよりお強い殿方が……、わたくしの運命の相手がいらっしゃるのではないのかと思うのです……」


 頬を桃色に染めてるドロシーは可愛らしく、悩殺される者いた。だが、ダナはそんなドロシーにこう叫んだ。


「婚活かっ!」


 リックは「あ、は、はははは、はあ……、」と上手く笑えずに、引きつった。


 命を懸けるであろう魔物討伐の場にて、運命の相手を探すとは……。

 流石ドロシー、肝が据わっていると言っていいのか、婚活などもっと穏やかなところでやれと突っ込んでいいのか……。


 頭を抱えそうになった二人の様子には気が付かないのか、ドロシーは神に祈るように手と手を組み合わせ、夢見る乙女の風情で想いを馳せる。


「ほら、わたくし婚約を白紙撤回してしまったでしょう?」

「ああ、あの『蛙王子』ね……。ドロシーが『悪役令嬢』とか言われて、豚と蛙に顔を変えた話はうんうん、よく知ってるよ……」

「あら、お恥ずかしい。ご存じでしたのね。それで、ですわね、やはり、卒業間近ですから……。わたくしの年齢的にもそろそろ新しい恋……といいましょうか、そう、真実の愛を求めたいと思ったのですわ……。ほら、わたくしも元はと言えば侯爵家の者でございますから、学園卒業と共に結婚をというのが常識のようなもので……、ですからそろそろ婚約者などを見繕わねばならないとは思うのですが……。ですが、魔道学園に入学し、侯爵家の者という身分から解き放たれましたので、親から申し付けられた方と結婚するのではなく……、僭越ですが、わたくしの目に適う強き殿方と……伝説に残るような真実の愛を追求したい所存なのです」

「でん……せつの、し、しんじつの、あい、デスカ……」

「う、うん……。あいってじゅうようだよね……、いっしょういっしょにすごすんだもんね……」

「未だお目見えせぬ未来のわたくしの旦那様……。ああ、早くお会いいたしたいですわ……」


 うっとりと、将来の夫に思いを馳せるドロシーに、突っ込むべき言葉も見つからず、ダナとリックは明後日の方向を向いた。






 血のにおいが充満した戦場。地に満ちているのは祝福ではなく、魔物と騎士たちの屍。戦友の屍を踏みながら、数多の魔物を倒し、そして、力尽き、倒れていく……。


 右を見ても魔物、左を見ても死骸。


 希望など何一つもない戦場で、ドロシーやダナ、リックはその持てる力を振るい続けていた。


「ぐおおおおおおおおおおおっ!」


 リックが魔物めがけて魔剣を叩きつける。だが、あと何回この剣を振るうことができるのか。リックは死というものを身近に感じ始めていた。


 ダナも風の魔法で魔物を切り裂き続けた。

 はあはあ、と肩で息をしている。あと何回、魔法を使えるか……。座り込んでしまえばもう立ち上がることなど出来ないだろう。それが分かっているから、魔導士の杖を支えに、なんとか倒れることを堪えている。


 時間の感覚もわからず、体の感覚もなくなりそうなときに、それがやって来た。


 魔導士たちや兵士・騎士たちだけでなく、襲い掛かって来ていた魔物たちすら、瞬時に動きを止めた。


 空を覆いつくすかと思えるほどの巨大なドラゴン。その躰は焔に覆われ、まるで動く火山だった。


「あれが……魔王?」 


 ダナが、力なく崩れ落ちるのを、リックが支えた。だが、リックもダナを抱きしめたまま、しゃがみこんでしまう。


 どう考えてもあんなものを倒せるわけがない。


 絶望が周囲を包む。大半のものが生きて帰るというその希望を手放した。


 そして、ドラゴンがすうっと息を吸い、次の瞬間には、焔ごと、その息を吐き出した。


 何を言う暇もなかった。


 ドラゴンの焔は戦場の半分を焼いた。魔物も騎士も兵士も魔道使いも……一瞬にして灰になった。


 運よく生き残った半分は人間、魔物の区別なく、一様に腰を抜かしたようにへたり込んだ。

 火炎を纏ったドラゴンに対し、立ち上がれるものなど皆無だった。……いや、たった一人だけ、ドラゴンを見上げ、凛としてその背を伸ばしたものがいた。


 ドロシーだ。


 ドロシーは、しんと静まり返った戦場で、ドラゴンに向かってこう言った。


「半数を一気に殲滅するとは……、あなた、相当にお強いのですわね」


 可憐に微笑む姿は、まるで聖女のそれだった。


 ドラゴンはドロシーを一瞥し、その口から火球を吐き出した。か弱い人間の女など、この一撃で灰になるだろう。そのようにドロシーを見下していたドラゴンは、己の火球がすーっと小さくなり、消えたことに驚いた。


 両手を空に伸ばしたドロシーが、その火球を消したのだ。


「ほう……。人間風情が我が火球を消し去るとは……」

「あら、人語を解するのですわね。人の身に変化できるのであれば更に好都合ですわ。さすがに体の大きさがこれほどに異なると夫婦生活に支障をきたしますし……。まあ、出来ないとあれば、わたくしの魔道で強制変化させるのみ。ふふっ、わたくしの将来の旦那様候補として不足は無し、でございますわね。……では自己紹介をさせていただきましょう。わたくしは、ドロシー。強き伴侶を求めてこの場に参りました。貴方がわたくしよりお強いのであれば……、このわたくし、貴方に求婚をいたしますわ」


 ドロシーはスカートの裾を掴み、片足を斜め後ろの内側に引いた。もう片方の足の膝を軽く曲げ、カーテシーを行う。将来の旦那候補に対する礼を示したつもりがったか、ドラコンは「は?」と口を開けた。

 口の奥にはマグマが見えた。ドラゴンの躰の中には燃え滾るマグマがあるのだ。


 その炎を見て、あら暖かそう、とドロシーは思ったが声には出さなかった。今はこの相手が自分の伴侶足るのか、それを見極める時だとばかりに、ドロシーの瞳が輝いた。


 ドラゴンは少々混乱した。きゅうこん……それは何だと一瞬考えた。だが、意味が分からない。

 人間など、己の焔で燃やすだけのもの。木石と何ら変わりはない。

 考えたが意味が分からない。

 言われた意味は分からないが、たった一人で、か弱く見える女が己に相対している。


 しばらく考えた後、そうか、とドラゴンは思った。


 人間たちは、この女をいけにえに、己に差し出すことで、保身を図るつもりなのかと。


 馬鹿にしたように、ドラゴンは笑った。こんな女と引き換えに命乞いか。人間など実にゴミのようだ。生かしておく価値もない。ドラゴンは先と同じように息を吸い、そして、先と同じように、今度も魔物ごと人間たちを一掃しようとした。


 息を吸い込み、焔の息を吐く。


 だが、半数を一瞬で灰にできるほどの焔は、ドロシーによって、瞬時に消滅させられた。


「先ほどと同じ攻撃にやられるようなわたくしではございませんわ」


 ドロシーはふっと笑った。


「では、今度は……わたくしの方から参ります。貴方がわたくしに勝てるほど強い殿方であるのならば……わたくしは貴方の従順な妻となりましょう」


 ドロシーが、魔道を放った。



 ドロシーとドラゴンの戦いは三日三晩続いた。戦いに巻き込まれ、無残にも散った魔物は多数。逃げ帰ったものは少数。

 人間側と言えば、いち早く正気に戻ったダナとリックが避難を開始。多少の被害はあったものの、三つ向こうの山の頂上付近まで、生き残っていた全員を撤退させることに成功した。


 そうして、四日目の朝。ダナとリック達が祈るようにしてドロシーとドラゴンの戦いを見つめていたその中で……、ずしん、と、地響きを立ててドラゴンが倒れたのであった。


「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「倒したっ!ドロシーがドラゴンに勝ったわっ!」


 ドロシーが、一人で、ドラゴンを倒したのだ。リックもダナも、そして生き残った者たちは皆、信じられない思いで大歓声を上げた。



 だが、一人、ドロシーだけは浮かない顔だ。


 倒れ、身じろぎ一つできないドラゴンにそっと近寄っていく。硬い、ごつごつとした感触のドラゴンの躰にそっと触れる。


「残念ですわ……。貴方ほどお強い方でも、わたくしの運命の相手ではなかったのですわね……」


 はあ、と疲れたような息を吐く。


「まあ、ですが……。これほどに強いドラゴン。捨て置くのももったいない話ですわね」

「な、何を、ス……る、」

「はい、せっかくですからわたくしの使い魔として、使役して差し上げますわ。名前はそうね、グレンオウなんてどうかしら?ヘルレックスの方が良いかしら……」

「や、ヤメロ……、この俺が、人間に隷属など……」

「うふふ、ヘルレックスにいたしましょう!ドラゴンならば空をも飛べる……どこまでも自由に。まだ見ぬわたくしの旦那様を探しに行くのが容易になるはずですわ……」


 薔薇色の未来を夢見て微笑むドロシーに、ドラゴンは意識を手放した。にんげんこわい。そんなつぶやきを残して。


 実際に、この戦いの後、ドラゴンの背に乗り、世界中を旅してまわるドロシーの姿があった。


「ああ、わたくしの、運命の殿方……。絶対に探し出してみせますわ!行きますわよ、ヘルレックスっ!」


 ダナとリックの「世界のどこを探してもドロシーよりも強い男なんて居やしねえよ」というツッコミは、風に流れて吹き飛んだ。




 これが、「ドロシーの求婚」もしくは「隷属されたドラゴン」と伝えられる話だ。


 ドロシーが運命の相手を探し出せたかどうかは……皆様の想像にお任せする。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る