三話 新生活(中)
ルピスはルチルに連れられて、朝から魔法協会に足を運んでいた。
「――今日から依頼を受けるわよ」
魔法協会に着くや否や、ルチルは開口一番そう切り出した。
「習うより慣れろよ」
ルピスは不安そうに隣に立つルチルを見上げると、
《でもまだ家事と炊事を習い始めて二日だよ?》
ルチルは、
「朝から晩まで二日もやれば基礎なんて十分じゃないかしら」
こともなげにそう言い放つと、ルピスに視線を合わせて笑った。
《そんなもの?》
「そんなものよ」
二人は魔法協会の敷居をまたぐ。
ルピスにとって二回目となる魔法協会。魔法協会の内部は初日と変わらず、この日も冒険者たちでごった返していた。
その中でも特に人が集まっている場所へとルチルが足を進め、ルピスもそれに続いた。
人で賑わうその先にあるのは壁に埋め込まれた巨大な掲示板。
そこに所狭しと貼られているのは、依頼書の数々。前後左右くまなく板面は依頼書で埋め尽くされていた。
その掲示板を前にした人々は、貼られた依頼書の中から各々の実力、装備にあった依頼を選び出すのに真剣だ。
その人混みを縫って掲示板の前へと身を躍らせる。
「家事の代行の依頼書は確かこのあたりだったはず……よかった。あったあった」
ルピスも揉まれに揉まれながらなんとか掲示板の前へと躍り出た。
近くで見る掲示板は見上げるほど大きく、背を伸ばしても一番上の依頼書には届きそうもない。よく見ると掲示板に貼られた依頼書は、ほかの依頼書に上書きするようにピンで留められており、それが幾重にも重なっていた。膨大な数の依頼書の情報量と、人混みの熱気で目が回りそうだ。
ルチルは掲示板の端に貼ってあった依頼書たちを見回すと、
「あっ、これなんかよさそう……」
その中から一枚の依頼書を剥がした。
再び人混みを縫って掲示板から離れると、空いているカウンターへ手にした依頼書と二人の認識票を提出する。
「依頼の受託でございますね。拝見します。……はい。こちらの依頼に制限はございませんので受託可能です。しかし、二人以上で受け入れた場合も、依頼の成功報酬は変わりませんが、その点はご認識いただけておりますか?」
「えぇ、大丈夫よ。私はこの子の付き添いだから」
そう言って顎で隣のルピスをしゃくるルチル。
「かしこまりした。本依頼の継続型の依頼になります。期間は今日より一ヶ月です。報酬の内容につきましては依頼書に記載の通りでございます。依頼を継続できなくなった場合には、業務時間内に本支部へお越し下さい。」
職員の説明にルチルは頷きを返して、カウンターを後にした。
その背中を追いかけるルピス。
魔法協会の支部から出ると、
《なんの依頼を選んだの?》
ルピスが尋ねた。
ルチルはその問い掛けに足を止めて振り返ると、
「調理の補助よ。貴族のお屋敷が非正規の従業者を募集していたの。ルピスは運がいいわね」
そう言って微笑んだ。
貴族の屋敷、というルピスの言葉に目を丸くする。
《貴族にご飯を作るの?》
「ううん、違うわ。貴族にはお抱えのシェフがいるの。ルピスのご飯を作る相手はそこで働く者たちよ。それにあくまでは補助。下ごしらえが中心になるでしょう。最初は私も近くで見ているから安心して。商館で私が教えたとおりにやれば大丈夫よ」
ルチルは心配そうな様子を見せるルピスの白髪頭を優しく撫でた。
そのときだった。
「――おい。お前」
突然、二人の後ろから声が届いた。
ルピスがさっと振り返ると、そこには冒険者らしき若い男たちがいた。
彼らは先日、魔法協会の支部でアセビがおこした理不尽に文句を言っていた連中であった。
ルピスに遅れてゆっくりと振り向いたルチルは、値踏みするように冒険者の足元から顔へと視線を動かした。
「……どちらさま?」
「その白髪頭に少し用がある」
ルピスを睨みつけるような視線にびくりと肩を震わせる。
サッとルピスを庇う様に前に出たルチルは、
「おあいにくさまね。この子は私の連れなの」
武装した男たちと相対しても、ルチルは堂々としていた。
彼女のその背中を目にすると、ルピスは少し肩の力を抜くことができた。
男たちがルチルを睨みつける。
ルチルはその視線を毅然とした態度で受けて立ち、
「力を借りたいときは、まずはお願いすることから始めるのよ」
その言葉に先頭の男が、腰にぶら下げた剣へ手をかけた。
先日の件といい、先頭に立つ若い男は随分と短気な様子だ。
しかし、さすがに昼間の往来で抜剣はまずいと悟ったのか、後ろに控えていた彼の仲間たちが先日同様に彼を慌てて宥めた。
仲間たちの制止に男は腰の獲物から手を離すと、
「――ちっ、お前は奴隷商人だな?」
男の傲慢な物言いに、ルチルが鼻を鳴らした。
「……それが?」
「だとしたら、そいつを寄越せ。俺たちが日払いでそいつを雇う」
母指以外の四本の指を上にたて、男はルピスを渡すように指をクイクイっと動かした。
それをルチルは鼻で笑う。
「あなたたちが?」
ルチルの反応に眉をピクリと顰めると、
「なんだ、奴隷商人? 俺たちはこう見えても中級冒険者だぞ?」
「こう見えても、って、見たところ装備は駆け出しに毛が生えたようなもの。それに仲間も重戦士と盗賊。魔法使いや治癒士も仲間にいないような中級冒険者なんて、路傍の石もいいところ。それで偉そうに威張らないでもらえる?」
挑発するようなルチルの物言いに、男の顔が怒りで引き攣る。
「……殺されたいのか?」
「それはこちらのセリフ。まさか、魔法協会の目の前で、冒険者が、刃傷沙汰を起こそうというの? 魔法協会の子飼いの
「くっ」
二人が睨み合っていると周囲から声が聞こえてくる。
『なんだなんだ揉めごとか』
『中級が商人に絡んでるみたいだぜ』
『あっ。俺あの白い子知ってる! この前の競りで"
『白金貨十枚とかいうイカレた値段の?』
『そうそう。やっぱ上級って稼げるんだな。夢があるよな』
あたりを見渡すと、いつの間にか周囲の注目を集めつつあった。
何せ魔法協会の前。
冒険者も冒険者以外の往来も激しい。一般人であれば気になっていても暴力が怖くて遠ざけるような光景でも、それは冒険者たちにとっては日常茶飯事。
罰を受けるので自分で騒ぎは起こしたくないが、騒ぐことは好きな連中が集まってくる。彼らは野次馬根性丸出しだった。
盗賊と思しき冒険者が男の袖を引く。
「おい、さすがにやべぇって。人も集まってきた」
「ちっ、覚えとけよ」
捨てセリフを吐くと、男は肩を怒らせながら仲間たちとともにこの場を後にした。
――えっと、何を?
いきなり現れていきなり因縁をつけてきた男たち。
覚えとけ、と言われても、身に覚えがなくて困惑するルピスはルチルを見つめる。
その視線を感じ取ったのか振り返ったルチルは、両手を上に向けると肩をすくめてみせた。
彼女も何が何だか把握していないようだ。
周囲は揉め事が終わったとわかるや否や、つまらなそうに散っていく。
「ルピスのご主人様に因縁のある冒険者だと思うわ。いちおう帰ったら、あなたのご主人様には伝えておいた方がいいかもしれないわ」
《わかった》
「あなたのご主人様は"
気をつける、と言っても護身の術を何一つ持たないルピスは、ルチルの警告に小さく背筋を震わせるのであった。
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