二話 初めての魔法(中)


 ルチルの商館をあとにしたルピスは、アセビに連れられて昼どきの町をブラブラとする。


 握られた手を見つめ、次にその顔を見つめる。

 

 視線の先では、

「どこにしようか」

 小さく呟くアセビは何かを探しているようだった。


 やがて、一つの立派な建物の前まで来るとアセビはその足を止めた。

 そこは周囲の建築物よりひと際大きく、人の出入りが盛んな施設であった。


 「ここでいいか」


 出入りのために建屋の扉が開くたびに、室内の光と活気が外まで伝わってくる。

 不安に感じ、アセビの手を握った手に力が籠る。


「安心しろ。誰も取って食いやしねえよ。ここは――魔法協会の支部だ」


 魔法協会。

 その言葉にはルピスにも聞き覚えがあった。

 

「魔法協会は大陸にまたがって魔法を管理する一大組織だ。どの国にも支部はあるが、どの国にも属さない。魔法世界の調整役だ」


 屋敷での勉強の中でも、その名前は度々見かける機会があった。

 魔法位階と呼ばれる、魔法使いの技量を表す七つの冠位。その冠位を認定している組織が魔法協会。


 ルピスの生家であり、魔法使いの名家であるファトス家では、一流とされる四位階以上の冠位に認定されることが当主の条件であり、ルピスもその未来を嘱望されてこの世に生まれ落ちた。

 それゆえに、生まれつき魔法詠唱ができないため、四位階どころか七位階にすら到達できないという事実は、ファトス家に大きな失望をもたらした。


 魔法使いにとっての詠唱とは、生物における呼吸のようなもの。

 つまり、魔法とは詠唱して発言するもの。それが魔法使いにとっての常識であった。

 

「私は冒険者もしていてな。だからおまえも何かとこれから魔法協会には足を運ぶことになるだろう」


 そう言って、再びその足を前に進めると釣られてルピスの足も前に出る。


 

 アセビによって開かれた扉の先には――新世界が広がっていた。


 

 質量さえ伴う人の熱気。

 足を踏み入れた室内は予想以上の喧騒に包まれていた。


 見渡す限り人、人、人々――。そして、光の数々。


 物々しい恰好の重戦士、軽装の剣士、ローブと山高帽子を着込んだ魔法使い、身軽そうな弓兵など。

 室内は戦士の見本市のようだった。見える範囲でその肌に傷がある者も多い。


 そんな彼らが一人で、あるいは仲間と思しき者たちと徒党を組んで思い思いに過ごしていた。

 施設は飲食施設を併設しているようで、一目では空いている席がどこかわからないほど盛況していた。

 

「ここはちょっと賑やかな支部だからな。私から離れるなよ」


 これでちょっと? とルピスは先を歩くアセビの物言いに面食らう。


 その間にも、施設の人の往来でルピスの小柄な体は右に左へと流されそうになる。

 握りしめたアセビの手にいっそう力を込めて、離されまいとすれ違う人たちにぶつかりながらも付いて行く。

 

 やっとの思いでアセビの横に立つと、

「――あぁ、こいつの登録を頼む」

 いつの間にかカウンターへ辿り着いていたことに気がついた。


 隣に立つアセビを見上げると、カウンター越しに男性職員と思しき人とやり取りをしていた。


「承りました。それではこちらの魔具で採血をお願いします」


 男性職員はカウンターの下から、何やら小型の魔法具を取り出した。

 その魔具は掌サイズの円柱と、それを支える土台で構成されていた。円柱の断面をみると、その中心部に細く鋭い針が見てとれる。


「採血と言っても一滴で十分です。この筒の中心部の針から血液を採集します。どちらの手でも構いません。親指をこの針の中心部にあてて、人差し指はこの筒の後ろ側に指を引っかけてください。そのあとに、この魔具の筒状の部分を親指と人差し指で軽く挟んでください。……はい、そうです。あとは、そのままじっとしていてください。安心してください。この最新の魔法具は利用者に痛みを感じさせない優れモノです――はい、終わりました」


 男性職員がカウンター上へ取り出した魔具。その使用方法の説明を受けながら、ルピスは採血を済ます。

 採血と聞いて少し身構えたが、男性職員の言うとおり、少しちくりとするだけで痛みらしい痛みもなかった。


 魔具から指を離して、ルピスは採血した指をしげしげと眺めるが、魔具の針の跡がどこにあるのかわからないほどだった。


 採血が終わると、男性職員は一言断ってカウンターから離席する。


 離席した男性職員がほどなくして再び戻ってくる。

 彼の手には離席するときに、その手に持っていなかったものが握られていた。


「それではこちらを受け取りください」

 

 男性職員がカウンターの上に、握りしめていた一枚の金属板を、そっと置いた。


 それは、掌にすっぽり収まると収まるほどの大きさの長円形の金属板であった。

 金属板に、ルピスの名前が彫られていた。また、金属板の端には紐やチェーンなどを通すための小さな穴が開いていた。


 アビスはそれを手に取ると、懐から金細工の紐を取り出し、金属板と一緒にそれをルピスへと手渡した。


 室内の照明の明かりを受けて、鈍色に輝く金属板を翳してみる。

 さらにひっくり返してその裏側を見ると、そこには数字と公用語を組み合わせた文字列が並んでいた。


 興味深そうにしげしげと金属板を見つめるルピスに、男性職員が微笑む。

「そちらは魔法協会で共通の認識票です。認識票とは、個人を識別するために使用されるものです。魔法協会で依頼を受ける際や、都市を出入りする際に必ず必要となるほか、有事の際に《・・・・・》、身元確認が容易となりますので、常日頃から携帯することを強くお勧めしております」


 魔法協会の発行する認識票は、職業として冒険を生業とする者の身分証。

 この認識票さえあれば、国をまたいで魔法協会で依頼を受けることができる。

 

「認識票の盗難等で不利益が生じた場合も、魔法協会ではその責任を取りかねますので、その旨ご了承ください。また、万が一紛失、破損された場合は――」

「いい、いい。そう言う長いのは、めんどくさいから」


 アセビは面倒くさそうに顔の前で手を振ると、その身を翻した。

 ルピスが男性職員に視線を送ると、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていたが、ルピスの視線に気がつくとそれは苦笑いへと変わった。


 先の商館でのやり取りを見て思ったが、アビスはどうやら気分屋のようだ。

 しかも、かなり強引な性格をしている節がある。出会ってまだ二日目だが、ルピスは薄っすらとそう感じ始めていた。

 

 ルピスが男性職員に視線を送っている間にも、アビスはずんずんとその足を部屋の中央へと向けていた。

 それに気がつくと、おいて行かれまいと慌てて小走りで駆け寄る。


 部屋の中央は机と椅子が所狭しと雑多に並んでおり、そこでは冒険者と思しき者たちが各々の時間を過ごしていた。


 立ち止まったアセビの横で背伸びをして、周囲を見渡す。ルピスもそれに習うように視線を周囲へと送るがどうにも空いている席が見当たらない。

 隣からアセビの舌打ちが聞こえた。その顔を見上げると、案の定で不機嫌そうな顔を浮かべていた。


「邪魔だな――おらッ!」


 いきなり近くの席で団欒していた冒険者の男の脇腹を蹴飛ばしたかと思うと、その対面に座っていた男の顔面に拳を叩き込んだ。

 

 目の前で行われた突然のアセビの凶行に、ルピスは固まっていた。

 何かするかもしれないとは思っていたが、こうも直情的に最速最短で座席を確保するのは予想だにしなかった。


 当の本人は何もなかったかのように蹴り飛ばした男の席に座ると、

「座れ」

 対面の席を顎でしゃくってみせた。


 アセビの指示した席の足元では、大の男が顔を抑えてうずくまっていた。

 手で抑えられた男の鼻からつたう赤い糸が床を濡らしていた。


 それを見ていた周囲の冒険者たちがいきり立つが、


 

 「――なんだ?」



 ただのひと睨みで、そのほとんどは沈静化された。

 義憤からか一部まだ騒いでいる者たちもいたが、それも周囲によって押さえつけられていた。


『やめとけ! さすがに相手が悪い!』

『あいつはあの"理不尽の権化ノールール"だ』


 少し離れた場所で羽交い締めにされている若い冒険者と、それを前後から押さえつける二人の冒険者。

 彼らの声が驚きのあまり固まって動けないルピスの耳へと届く。


 その声に耳を傾けると、

『"理不尽の権化ノールール"って、あの……?』

『あぁ、特級冒険者に最も近いと言われている上級冒険者だ。俺が聞いた噂だと、特級冒険者へ上がれないのも実力じゃなくてその素行不良が原因らしい』

『裏を返せば、素行不良でもそれが許されるだけの実力者ってことだ。中級冒険者でもなく、まだ下級冒険者の俺たちが出てってどうにかなる奴じゃない』

『なんでそんな大物がここに……』

『知るか。なんにしてもアイツには関わるな』


 "理不尽の権化ノールール"。

 それがアセビに与えられた二つ名のようだ。


 誰が言い出したか知らないけど言い得て妙だな、そんなことをルピスは思った。

 まさにいま目の前で理不尽がまかり通っていた。


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