第3話
移動教会。魔動車を大規模に改造して造られる走り動く教会である。
教会としての品位を落とさぬように大型であり、それなりの装飾を施されていて、物によっては居住スペースも確保されている。
それに乗ること、所有することは高位の神官でも限られた者にしか許されず、その多くが従者として数名の神官を引き連れている。
それはこの移動教会を個人で動かすことが苦だからだ。
4から5名の神官が協力しあって初めてこの移動教会は快適な運行が可能になる。
「ウェルギリウス。あなたは1人でこれを動かしているのか?」
「あぁ。我のような神官は他にいないのでね」
困ったような声音でウェルギリウスは言うが、こんな不神論者の高位新官に仲間など居てたまるものかと彼女は苦笑をもらす。
ウェルギリウスは気にした様子もなく、1つの机と向かい合うように置かれた2つの椅子のうちの1つに腰を落ち着けた。
「座りたまえ。罪を解剖く時だ」
「この懺悔室には壁がないのか?」
彼女の言葉に対してウェルギリウスは1つの扉を指差した。
「懺悔室はアチラだ。しかしアレは使わんよ。うぬに神は不要なのだから、懺悔も必要はないだろう? うぬの罪を聞くのは我だ」
「確かにそうだな」
彼女はウェルギリウスの対面に腰を下ろし、その薄茶色の瞳を見た。
「では始めよう。まずはそうだな。うぬの大切な者にまつわる思い出を聞こう。余すことなく全て我に聞かせよ」
こうして人による罪の罰の測量が始まった。
1人のエルフに向けて1人のギーツはリリィという人物がどんな子供だったのか、どんな風に出会ったのか、どんな風に終わったのかを口にした。
余りにも主観的であったし、希望的観測であったし、絶望的観測でもあった。それは彼女が語り手であり、彼女の視点しか有しないのだから当然であった。
しかしウェルギリウスは彼女の視点、彼女の想いを否定はしなかった。
どんなに後ろ向きであっても、決してウェルギリウスはリリィの気持ちの代弁者とはならなかった。ウェルギリウスはやはり、リリィを知らないと言いそれに反することは口にしなかった。
彼女の苦しみに対して、まやかしによる寄り添いを一切せずに聞き届けていた。
やがて彼女が全てを話し終えたて初めて、ウェルギリウスは自らの意見を口にした。
「なるほど。うぬは赦されざることをしたのだろうな。だが正直我も驚いた。ここまで罪が重いとは思わなんだが。しかしそれに釣り合うだけ、いや、それより重い罰がうぬには下っているようだ」
「笑うか?」
彼女は自嘲気味に笑った。
「笑えぬよ。なにも、誰も、笑えぬ」
真面目な言葉でウェルギリウスは彼女がした卑屈な笑みを見咎めた。
「そうか……。それで私の罰とやらは、やはり生き続けることなのか?」
「それで良いだろう。うぬは今後誰とも寄り添えぬのだからな」
「そうか…」
彼女はウェルギリウスから視線を逸らして、教会の壁に目を向けた。そこには何もなく、当然ながらその行為に意味はない。
「しかしそれでは罪と罰の釣り合いが取れてはいない。故に我はうぬには必ず報いが下ると確信しているよ」
「はは。胡散臭い予言か? 神官など辞めて占い師にでもなったらどうだ? そちらのほうが似合っていると思うが」
どちらかと言うと詐欺師だな、と思いながら彼女は視線をウェルギリウスに戻した。
「高位神官の経験則に基づく結果だ。信憑性は折り紙つきだぞ」
「そうか……だとするとまるで神の手のひらで転がされているようだな」
「うぬを救ったのは我だ。そしてうぬに報いを与えるのはうぬの娘だ。断じて神などではない」
「そうか。それで? 釣り合いとはなんだ」
「うぬの罰は罪に対して少々重すぎる。我はうぬの罪である娘が、うぬをどう思っているのかは知らぬが、娘がもしうぬを愛しているのならばいつか報いを得るだろう」
彼女は複雑な顔をしてウェルギリウスを見た。
「なんだ報いなど要らぬと言いたげだな?」
「私の意見も、あなたのように一貫している」
「うぬは1つ勘違いをしている。何度も言うがうぬの罪は許されぬよ。永遠にその重みを背負い続けるだろう。だが報いはあるのだ。そして救いと報いは別物である」
報いと救い。彼女は良く分からなくなった。
「何が言いたい?」
「罪は軽くならぬ。だがその罪を自分が許せる日が来ると言っている」
初めからそう言えと言う気持ちを押し込めて、彼女はウェルギリウスに疑問を返す。
「本当にそんな日が来るのか? 来ても良いのか」
「苦しむことだけが人生ではない。必ずいつか罪の重さを忘れる瞬間がくる」
「それは……嫌だな」
「安心しろ忘れるのは一瞬だ。ふとしたときに忘れていたことに気づくという物だ。罪は消えぬ」
「それでも嫌だ。娘だぞ?」
「その娘がうぬを愛しているのならば報いが下ると言っている」
「……胡散臭いな」
「先ほども言ったが、高位神官の経験則に基づく結果だ。信憑性は折り紙つきだぞ」
心底嫌そうな顔を彼女はウェルギリウスに向けた。しかしウェルギリウスは気にした様子もなく、話をまとめて話題を変えた。
「さて、罪は暴いた。ここからは我個人の話に付き合え。それと剣に手を掛けるのは辞めたまえ」
彼女は驚いたように自分の右手を見た。
すると剣の柄にいつの間にか右手が添えられている。まるで抜剣する手前のように。
「その様子からして無自覚か。なんとも恐ろしい物だな。短く端的に話したいがよろしいか?」
「あぁ…。一応剣は外しておこう」
彼女は剣を外すと机の上に置いた。
するとウェルギリウスはその剣を押さえるように手を置き、口を開いた。
「我は話した通りに異端でな。しかしより多くを救いたいと願っている。そのためうぬにはその手伝いをしてほしい」
「危険だぞ?」
「あぁそれは分かっている。故にうぬと共に行動はしない。言うなればそう、共犯者とでも言おうか」
「神官が犯罪でもするのか? もう驚きはしないが……なんだかな」
「これ、勝手に邪推をするな。しかし、犯罪とまでは行かぬがそれに近いのも事実だ」
「なにをするつもりだ?」
「身構えるな。大層なことではない。我は単純に悪を間引こうと思っているのだよ」
彼女の考えは口と連結した。
「神官が言うべきことではない」
「なにを今更」
ウェルギリウスはあっけらかんと肩をすくめて彼女の言葉を受け流した。
「邪神官め」
「ふっ、ははっ。いいなそれは。とても気に入った」
「しまった要らないことを言った」
ウェルギリウスはしばらく今までで最も楽しそうに笑った後、真面目な顔に戻った。
「さて邪神官の我の邪な計画を伝えよう。しかしその前にまず、うぬは人を殺せるかね?」
「私は傭兵だぞ? しかもギーツだ」
「それは重畳。では結論を述べよう。我はうぬに悪人を殺し回って欲しいのだよ」
「やはり邪神官……私はあなたをここで殺したほうが良いのではないかと思ってきたぞ」
「高位神官を殺せば教会が動くぞ?」
彼女は思わず顔を手で覆った。
「1つ質問しても良いか?」
ウェルギリウスが許可を出したので、彼女は真面目な顔で訊ねた。
「あなたはここに来たことを誰かに伝えたか?」
「我を本気で殺そうとしてないか?」
「悪人なら目の前いる」
「悪人を殺すことがそこまで悪いことかね?」
「あなたが神官だからダメだ。許されない」
「構わぬとも、赦しなど不要だ」
これが神官、しかも高位神官という事実に彼女は目眩を覚えた。
「では我の話の答えを聞こう。そして剣から手を退けたまえ。洒落にならぬ」
「あぁ。……どうだろう、洒落で済まさないか?」
「すまないな」
「そうか。なら改めて質問だ。あなたは私に金を払う気か?」
「いや、組織だってやるわけではない。うぬは気の向くままに各地を放浪し、人を殺して回るだけだ」
「私に無私の殺戮人形になれと?」
「いやいや、見境なくという訳ではない。うぬは傭兵なのだろう? ならば依頼で人を殺せば良い。金を払ってまで殺してくれと願われるような輩など殺しても問題はない」
「なるほど、金で人を殺せと言うわけか」
「あぁそうだ」
彼女は少し目を閉じて考える。
傭兵としては問題はない。人としての倫理観としては如何なものかと思うが、彼女の中にある一線は越えていない。
先ほどウェルギリウスが口にした、『金を払ってまで殺してくれと願われるような輩』に対して同情などないからだ。
そして既に汚れ、罪を背負った身だ。
彼女は目を開いた。
「良いだろう。私は金で人を殺すバケモノになってやる」
「そうか。剣から手を退けてくれ」
「…あぁ」
彼女が剣から手を退けると、ウェルギリウスはなにかを考えている素振りを見せていた。
「もしうぬがよろしければ、傭兵のコードネームを変えないか?」
「…? なんの意味が?」
「うぬが好き好んで人を殺すバケモノだと知られれば、効率良くそう言う依頼が集まると思ってな」
「効率的に人を殺そうということか?」
「あぁ。そう言うことだ」
「邪神官め。それで? なにかアテはあるのか?」
「うぬ。その長い黒髪を束ねてポニーテールにでもしないか?」
「は? なぜ?」
突然予想だにしないことを耳にしたため、彼女は困惑した。
するとウェルギリウスは平然とした顔でロクでもないことを口にした。
「いや、なに。頭のポニーテールを2つ目の尻尾に見立てて2尾の黒狼と名乗らせようかと思ってな」
彼女は一瞬言われた言葉を理解しきれずに固まり、それから大笑いした。
しかしやがてその名前があまりにも自分に似合いすぎていることに気付きしかめっ面になる。そしてその名前を提示してくるウェルギリウスに、あまりにも性格が悪いと怒りを向けた。
「貴様、ロクな死に方しないぞ」
「覚悟ならとうに済ませている。これでも神官なのでな」
◇
彼女は神官から与えられた悪魔の名前を名乗り、移動教会から降車した。
長く話したつもりだった。3年間にわたる娘の思い出とどうしようもない自らの欠陥は決して軽いものではない。
しかし夜は夜のままで、移動教会に足を踏み入れる前といささかも変わってなどいなかった。
分厚い雲は彼女の頭上に隙間なく延々と続いている。
何の気なしに彼女は移動教会を振り返り、それからそれに別れを告げた。
もう2度とここに足を踏み入れることはない。
出会いは唐突で、交わした言葉はデタラメで、嘘みたいに邪悪な計画に真面目な顔で真剣に向き合っていて、神を憎んでいる神官。
あまりにも荒唐無稽で滑稽だが、語る言葉には悪意はなく、ただ悪を憎んでいることだけが全てであった男。
彼女はふっと笑った。
あれは少々問題があるが、腐っても神官ではあったのだ。
少しばかり別れを惜しむ感情が胸中に沸き起こり、それを彼女は心の底に沈めると歩き出した。
崖から遠ざかる。
海から遠ざかる。
神から遠ざかる。
幸福からも遠ざかる。
あの日に始まった残響だけを抱えて彼女は歩く。
思い出の残り香だけを頼りにして彼女は歩く。
そしてやはり、彼女の上にのし掛かる分厚い雲には隙間なく、一筋の光すら通さずに彼女の道行きを闇に落としている。
魔動車に乗り込み魔力を供給する。
彼女は冷えた車内を暖めるために暖房に魔力を注いだ。
そうやって、冷やして凍らせて殺した全てを痛みと共に受け入れる。
彼女は逃げることを辞めて生きることを選んだ。
それが例え誰にも望まれなくても、彼女自身望まなくとも……いや彼女は望んでいた。自らがどうしようもなく破滅することを望んでいた。
そうして彼女の、死に損ないの旅が、間違っていると分かっている旅が始まった。
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