Scene.29 襲撃
弾けるように玄関が開く。
闇夜を背負って部屋へ飛び込んできた人影を振り向く。
その手が振り下ろす銀色の刃を避けきれず、それは俺の背後の壁ごと深々と左肩に突き刺さった。
「ぐ……!!」
「……あら」
肉と骨とが絶たれる感触が重い痛みを伴い、視界が眩む。壁には派手な血糊が散っていた。
受け身すら取れず、大きな
「避けないでよ、外したじゃない」
鼻先に迫る切れ長の瞳の女性は――二〇二号室の上津美澄か。空いた手でショートカットの黒髪を耳にかける仕草は、それだけ見れば雑誌かドラマを切り抜いたような洗練された美しさを感じる。その手に無骨な鉈さえ持っていなければ。
俺を見下ろすその目は、およそ人の体温を感じさせなかった。
「……考えうる限り最悪の壁ドンだね。ごめんね、俺そういう趣味は無いんだ」
辛うじて軽口を叩いたが、状況は絶望的だ。傷口から夥しい量の血が拍動に合わせてどくどくと溢れている。
無事な右手で鉈を持つ腕を掴んだが、どれほど力を込めようとびくともせず、また幻影のように霧散することもなかった。
ここまでが片手落ちの報いだろうか。だとしたら勘弁してほしい。霊障は何とでもするが、物理攻撃は専門外だ。
先ほどの子どもを見れば、洗面所の扉の陰からこちらの様子を窺っていた。
美澄はそちらへちらりとだけ目線をやり、やれやれと首を振る。
「へぇ、友達の死体にも動じなかったんだ。薄情だね」
「やっぱり君も視えるんだ」
「そう。貴方もそうなんでしょ」
特段面白くもなさそうに、彼女は壁に埋まった刃先を抜こうと柄を捩り、俺は思わず呻いた。
「油断させといて殺そうとしたんだけどな。惜しかった」
美澄が背に負った影は蠢いて数多の眼球を浮かび上がらせ、彼女を守るように取り囲む。
瞬くそれらをひとつひとつよく見れば、色も瞳孔も人間のものとそうでないものがある。これまで殺した生き物たちだろうか。それらが宿主に力を与えているらしい。
霊を手駒にしてけしかけてくる奴なんて初めてだ。それも一人や二人じゃない。
「ずいぶん大勢を味方に付けたもんだね。過去の入居者を全員殺して部屋に埋めたのも君だろう?」
「…………」
「他の部屋を全部視たんだ。玄関の鍵は全室共通にしてあるみたいだね。まったく良い趣味してるよ」
美澄は黙って聞いている。今更それが何だとでも言いたげだ。あれほどの人々の命を奪い、尊厳すら踏み躙って手篭めにしておきながら。
「どの部屋も酷いもんだった……中途半端な封印で封じ込められていた魂はすべて解放した」
「そう……貴方が全部、台無しにしたのね」
「感謝してほしいくらいだね。もしかしたら
「だったら何? 貴方もどうせ今から埋まる」
彼女は目を逸らさずに鉈を持つ手に力を込めた。初撃で折れたらしい鎖骨に深く食い込み、鮮烈な痛みが走る。
「っ……!」
「じっとしてたら最初の一撃で死ねたのに、可哀想」
「命乞いとか、した方がいい?」
「死体になる予定の人間に興味はないの」
彼女はにべもなく言い放つ。
その背後にちらりと洗面台の鏡が見えて、そこから漏れ出る空気に混じって懐かしい気配を感じた。
これだけ気配がはっきりしていれば、さすがに分かる。圭一くん、君はずっとそこにいたんだね。
「ねえ君――そう、隠れてる君のことだ。圭一くんはそこにいるんだろう? 返してくれる気になったかい?」
俺の呼びかけに、少年の霊は怯えたように洗面所から顔を出す。幾らか迷うように震え、しかしふるふると首を横に振った。
「無駄よ。私の支配下じゃ勝手なことはさせない」
美澄は何もできない少年を嘲笑った。そう、じゃあこちらで何とかするしかないわけね。
ポケットの中の破魔矢に手を伸ばす。
今もしこの場に圭一くんを戻したとして――それが吉と出るかは分からない。ただ彼を
でもごめんね、これしか状況を打破する方法が思い付きそうにないんだ。
彼は気づいているのだろうか。
我ながら情けない。
いっそ仲良く殺されてこの世に留まろうか。
いや、彼はきっと怒るだろうな。ただでさえ口うるさくて心優しい圭一くんのことだ。どうして自分を置いて逃げなかったのかとかそんな甘っちょろい理由で延々と責められそうだ。
もし俺に弟がいたらきっと――。
「……ああ、そうか」
やっと自分が彼のことをどう思っているのか、腹落ちした気がした。表面上は友達と呼んでいるけど少し違う、それでも大切にしたい切っても切れぬ腐れ縁。
多分俺は、君に居場所を求めていたんだね。
「何だか楽しそうね、気持ち悪い。死ぬ覚悟はできた?」
深く突き刺さっていた鉈がようやく抜けた。美澄は狙いを定めるようにゆっくりと振り被る。
それが振り下ろされる前に――俺は素早く破魔矢を投げ放った。と同時に鏡に向かって駆け出す。
洗面所の鏡は矢を受けて蜘蛛の巣状のヒビが走って粉々に散り、その下に隠していた大量の封印札を晒した。
踏み出した視界がぐらりと揺れる。まだ死ぬなよ。圭一くんに顔向けできないだろう?
俺がどうなろうと、君だけは助けてみせるよ。
「さあ――帰っておいで」
追ってくる美澄が刃を振り下ろすより早く、俺は一掴みの札を引き剥がした。
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