第5章
Scene.28 片手落ちの末路
一階のすべての部屋と二〇三、二〇四号室の計六部屋の霊を祓い、俺はようやく圭一くんの部屋に足を向けた。
「疲れた……久しぶりにこんなに働いた……」
二十代から四十代くらいの男女、合わせて八人か。
どの部屋も生きている人間の気配はなかった。ただ壁や床、畳の下や天井裏のそこここに人の死に場所があり、霊たちが身動きが取れないように大量の札で封じ込められているのは同じだった。
途中で上着が邪魔になり圭一くんの部屋に脱ぎに帰ったけれど、それ以外はほぼ休みなく働いたことになる。こんなタダ働きはもう頼まれても二度とやらない。絶対に。
すっかり暗くなった廊下に、俺は白い溜息を吐いた。
二〇一号室へ帰ってくると、鍵は開いていた。いつの間にか家主である彼が帰って来ていたのか。
ちょうど良かった。朝の話の続きがてら、今日の進捗を話そう。
「圭一くん、帰ってるのかい?」
しかし玄関扉を開いても、部屋中真っ暗で人の気配はしなかった。後ろ手で鍵を閉め、壁のスイッチを手探りで探す。
あるのはどろりとした深い闇と……生温い血の臭い。
寒気がして、明かりを点ける。最初に目に飛び込んできたそれに、俺は言葉を失くした。
「…………」
それは、物言わぬ圭一くんの死体だった。
身体をくの字に折り曲げて力なく倒れた彼の、そばにしゃがみ込む。圭一くんは胸と腹を滅多刺しにされ、自らの血の海に沈んでいた。
冷水を差し込まれたように、心が温度を失っていく。
「……圭一くん」
作りもののように冷たい首筋に触れる。脈がないことを悟ってもなお、「どうして」も「誰に」も出なかった。
今まで凄惨な遺体なんて山ほど見てきた。人の形を失った人間の姿に生前の姿を思い、悼む姿勢はもっていたものの、今更身近に感じるとは思えなかった。それほど死は俺にとってありふれた景色であったはずだった。
誰かの死体にここまで心が動くと思ってはいなかった、のに。
「……確かに先に死んでほしいとは言ったさ」
数日前に二人で飲みながらした与太話が頭を掠める。
もし死んでも、俺なら彼が心残りをなくすまでそばにいられるから。半分願望を込めた吐露に、圭一くんは絶対俺より長生きするだなんて大口を叩いて。
静まり返った部屋に、苛立ち混じりの溜息をひとつ吐いた。
決して彼を喪う覚悟ができていたわけではなかったのだと思い知らされ、彼を危険に晒した己の采配の片手落ち感を突かれた気分にもなり、不愉快極まりなかった。
苦しみきった後のような彼の虚ろな瞳を覆い、瞼を伏せる。
「人は死んだら、身体から抜け出て独り歩きするんだ。俺はね、それが視える」
手元に視線を落としたまま、洗面所から漏れ出て形を成そうとする濃い気配――二〇一号室の本当の主に語りかける。
そこにいるんだろう? 俺の記憶を食らって自分の形を思い出した君。
「圭一くんはね、何かあって死んだとしても……たとえ君に殺されたとしても、さっさと消えて君を独りにはしない。霊体のまま君に寄り添うだろうね……だからここにいないはずはない。どんな執着を見せてでも、この世に留まろうとするだろう。……彼はどうしようもないほどお人好しなんだ」
それに……優しい圭一くんなら、俺に文句のひとつも言わないで消えたりしないだろう?
腹の底から湧く抑えきれない感情に任せ、そばの壁に拳を打ち付けた。部屋中に響き渡る派手な音を立て、指の骨がみしりと軋む。
「残念ながら俺は、圭一くんみたいに君に寄り添えないんだ。殺されそうになるなら抗うし、消される前に消す」
握った拳を開き、圭一くんの肩に触れた。
すると冬の夜闇に綻ぶように、彼の身体は散り散りになって闇に解けていく。
「彼は俺にとって大切な人なんだ。たとえ冗談のつもりだとしても――こうも無惨な姿で転がされたら、さすがに君を許せそうにない」
圭一くんの幻影は影も形もなく塵芥となり消えていった。代わりに現れたのは、俯いた少年がひとり。
「圭一くんを返してくれる? 子供だからと大目に見ていたけど……やって良いことと悪いことがあるだろう?」
ゆらりと洗面所へ歩み寄ると、少年の肩がびくりと震えて虚ろな眼窩を俺に向ける。
慌てたように鏡の奥から幾本もの影の手を差し向けるが、どれもその場で捕まえて握り潰してやると大人しく消え散っていった。
「返す気がないなら今すぐ、消えて」
怯えたその顔前に手を広げたその時――背後で静かにサムターンが回る音がした。
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