Scene.21 寝覚めの功罪

 いつもと同じ部屋に意識が浮上して、僕は手のひらを見た。

 握って開いてを繰り返すと、やはり浮遊感に満ちていた最初より夢に身体が馴染んでいる感覚がする。円さんが言っていたように、少しずつの世界に僕の意識が定着し始めているのかもしれない。

「……こんばんは、今日は君の話を聞きに来たよ」

 僕のじゃない部屋を振り返ると、今宵もいつもの少年が俯きがちに立っている。

 彼の輪郭も、最初に会ったときより随分はっきりしていた。

「もうひとりのおにいちゃんに、ありがとうっていっておいて」

「芦峯さんのことかな、何か分かったの?」

 いつか、この子は過去を思い出すために何かを「食べないと」と言っていた。口調もはっきりしてきたから、十分にその「何か」を食らったのだろう。それが何かは、分からないけれど。

「ぜんぶ、おもいだしたの」

「……それは、何を?」

「ぼくがさがしてたもの」

「何を探していたの?」

 要領を得ない会話に、つい先を急いてしまう。この子は何を思い出したんだろう。唇を震わせるほど、その思い出は恐ろしいものだったんだろうか。

「だめ……おにいちゃんにおしえたら……おなじになっちゃう」

 ふるふると首を振る少年はいくらか躊躇い――ようやく決心がついたように、潤んだ瞳で僕を見上げた。

「ぼくと、お母さんと」



 ――――

 ――



 窓から差し込んだ朝日に呼ばれるように、僕はがばりと身を起こした。いつもより寝すぎてしまったような落ち着かない感じが、どうにも背中を駆け巡っていた。

 スマホを見れば、案の定八時過ぎ。少し早起きするつもりがいつもの時間に起きてしまった。アラームをかけ忘れたみたいだった。今日は日勤だ。

 和室とリビングを分かつ引き戸を忙しく引き開けて、僕は炬燵で眠る円さんの肩を揺り動かす。昨夜首に腕にとべたべたと貼っていた札はそのままだった。

「芦峯さん、ねえ芦峯さん、起きてください」

「んん……」

 彼は緩慢な動作で炬燵布団から身を起こし、カーテンの隙間から差す朝陽に目を細めた。起き抜けで長い髪はボサボサだった。

「……おはよう、どうしたの?」

「昨日、僕とした約束を覚えてますか」

 食い気味にそう詰め寄り、眠たげに瞬くその瞳を正面から見た。が、彼の表情には僅かに戸惑いの色が滲んでいる。

「何か言ったの? 俺」

「ああもうやっぱり全部忘れてるじゃないですか……」

 期待を盛大に挫かれて、僕は頭を抱えた。そうなるかもと思ってはいたけれど。

 心霊現象には百戦錬磨のはずの彼が、こんなにも為す術なく部屋の怪異に記憶を失くしたことに、焦りを通り越して薄ら恐ろしさすら感じる。

「だから寝ないほうがって言ったのに」

「え……っと、どこまで知ってるのかな、圭一くんは」

 手のひらで顔を拭う彼は、さすがに動揺を隠せない様子だった。寝起きドッキリもいいとこだろう。

 仕方がないので、昨日の出来事を掻い摘んで話した。僕が毎夜悪夢を見ることと、円さんがここで眠ると記憶を失くすことを共有したこと。解決のためのヒントを得ようと、昨夜は対策の限りを尽くして二人とも眠ったこと。

 晩飯の残りを掻き込む余裕もなく、ばたばたと朝の支度をしながらあらかたを話し終わり、炬燵から動かない円さんを見遣る。

 彼は僕の話を終始渋い顔で聞いていた。

「……そう。喋ったわけね、昨日の俺は」

「……何も言わないつもりだったんですか?」

 言葉尻を捉えてそう詰める。またいつもの秘密主義か。

 抗議の視線を向けると、円さんは目を逸らしバツが悪そうに頭を掻いた。

「俺が君に「話せ」って言ったんだよね?」

「ええ」

「そう……」

 彼は億劫そうに髪を結い、それきり黙ってしまった。

 昨日は確かに、円さんの方から話を持ちかけてきた感じだった。黙っておくつもりだったのが気が変わったのか、それとも何かに気づいて僕と共有しておきたかったのか。

 そのまま何も手を打たなければ僕は死ぬ、と告げたのはただの過剰な脅しだったのだろうか。そうじゃないのなら、何を根拠にそんな予言をしたんだろう。今となってはどれも、確かめようもないけれど。

 首や腕の札を剥がすと、ややあって彼は口を開いた。

「圭一くんは大丈夫だったの? 悪夢は」

「僕の方は……危害はなかったです。「全部思い出した」って言ってました。話せば「僕とお母さんと同じになる」とも」

「そっか……」

「昨日話した詳細は、芦峯さんがボイスメモを残してるはずですから、それを確認して――わ、もうこんな時間」

 気づけばスマホの時計が八時半を告げていた。もう走らなければ間に合わない。

 コートと鞄を引っ掴み、慌ただしく玄関を出る。

「続きはまた夜に」

「うん……行ってらっしゃい」

 青い鉄扉の隙間に残した円さんは、まだ何か考え込む素振りを見せていた。

 二〇二号室の前を通り過ぎて鉄階段を駆け下りる。

 珍しく今朝は美澄さんと顔を合わせることのないまま、僕は職場へ急いで走った。

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