Scene.19 作戦とは呼べない何か
喫茶店を出ると、時刻は既に昼下がりだった。薄雲りの太陽は弱い光を傾けている。
なお飲食代はナチュラルに奢らされている。何故だろう、この状況に既視感しかない。
「割と名案だなって思ったんだけどなあ。眠る君を見張っておいて、ギリギリまで引き付けて本性を表した怪異ごと掴まえる作戦」
円さんはしきりに首を傾げた。まだ言ってる。
「寝ている時は僕、助けを求められないじゃないですか」
「そこはこう、極力助けずに限界まで苦しんでもらって、本当に危なそうなところを見計らって助けるみたいな」
「血も涙もない作戦ですね……」
思った以上に力業だった。
そもそも普段の仕事だってひとりでこなしているんだろうに、協調性なんてないこの人と協力して何かをするみたいなこと自体に無理を感じる。
「しかし夢に出るその子とコミュニケーションが取れなくちゃ始まらないからなあ。どうする? 今日こうやって君と約束したすべてを忘れること覚悟で俺が寝てみようか?」
「それもめちゃくちゃハイリスク……」
円さんも一緒に眠ったところで同じ夢の中に入れる訳でもないし、できることなら事情を話し合って歩調を合わせた今、彼にすべてを忘れてもらいたくないというのが正直なところだ。
完全に煮詰まり、しかし調べ歩く宛もなく僕らの足は自然とアパートに向かう。
「そういえば今日、美澄さんと不動産屋に行ってきたんですよ。あの建物を管理している上津不動産に」
「僕たち同棲しますって?」
「しません! 断じて!」
食い気味の否定に、垣根の向こうの犬が吠えた。
当分この話題で茶化す気でいるな、この人……。
「不動産の担当者曰く、あの建物に心理的瑕疵はないことになっているんです。だから表立った事件事故があったわけじゃないのかも」
何とか話を戻したが、円さんは腕を組んで考え込む。
「うーん……そうなると元凶は他所から集っていることになるけれど……集るようなことをしている人間がいるのか、不動産屋も知らない瑕疵があるのか」
「怪しい儀式をやっていたり、ということですか」
「うん、まあ無きにしもあらずだけれど、それだと集まった元凶が俺に視えない理由が分からない」
それだけ巧妙に隠れているのか、不動産屋も知らないようなその土地由来の曰くがあるのか。いずれにせよこのままでは探しようがない。
「まさかそれだけを聞きに連れ立って行ったのかい?」
「いえ、美澄さんも気になることがあったみたいで」
住宅街の点滅信号を通り過ぎて、僕らは揃ってひなびた角を曲がる。坂を上れば、もう僕のアパートはすぐそこだ。
「美澄さん家の斜め下、一〇三号室の住民が突然いなくなったらしくて、その理由を聞きに行ってたんです」
「ただの引越じゃなくて?」
「まあ結局はそうみたいだったんですけど……僕が住んでる二〇一号室に以前住んでいた人も急にいなくなったんだそうで」
それまで相槌を打って聞いていた円さんの眉がぴくりと動いた。
「一〇三号室の人って、男性?」
「そうです。どうしてそれを」
「君が帰ってくる前に、アパート前ですれ違ったからね」
僕は思わず足を止めそうになった。
彼が見たという男性が、数日前に退去したという掛川さんだろうか。忽然と消えたような気がしていたから、何だか拍子抜けだ。退去済みの部屋に何か用事があったのか。
「荷物でも取りに来ていたんでしょうか」
「さあね」
それ以上は知らない、とでも言うように円さんは肩を竦めた。確かに見知らぬ隣人の動向をじっくり見張るのも失礼だろうし、その場にいたのが僕だったとしても挨拶する程度だろうなと思う。
そうこうしているうちに坂を上りきり、僕らはアパートの前まで戻ってきた。スマホを見れば、もう十六時を過ぎている。
空っぽのゴミ捨て場を見遣り、円さんは先を行く僕に問いかける。
「圭一くん、明日は何のゴミの日?」
「明日は可燃ですけど……それが何か」
「ううん、良いんだ」
特段の興味はないように、彼は僕に続いて鉄階段を駆け上がってきた。
二〇二号室の扉を目の端で捉え、黙って自室へ向かう。恐らく美澄さんは先に帰ってきているだろう。今日は途中で置いていくような真似をして悪かったな。明日朝に会えたら謝っておこう。
二〇一号室に帰るなり、円さんは洗面所へ向かう。僕も背中越しに様子を窺うと、鏡の中で彼と目が合った。
「これだよね? 夢の中で映らない鏡って」
「そうです……どうですか」
「どう、と言ってもね。圭一くん家には数日いるけど……これといって特には」
明かりを点けたばかりの洗面所に立つ二人が確かに映っている。
円さんは試しに表面を撫でたりノックしてみたりしていたが、特に反応はなかった。何かあるのならそもそも、最初から何とかしているか。
「裏側は……剥がすのは無理みたいですね」
僕の言葉に頷いて、円さんは細い指で鏡の縁をなぞる。銀鏡は白いタイル張りの壁に埋め込まれ、裏側を改めようにも壁と鏡の境は指の取っ掛りすらなく滑らかだった。
「どうする? 割ってみる?」
「確証もないのに器物損壊は思い切りが良すぎません?」
「だって君ん家だし」
「他人事だと思って……!!」
僕の憤りにもどこ吹く風、彼はへらりと笑ってモッズコートのポケットを漁る。
「気になるなら魔除の札だけ貼っておこうか。何にもならないかもしれないけれど」
言いながらポケットから白い札を一枚取り出して、鏡のど真ん中にべたりと貼った。由緒ありげな流麗な筆文字が綴られた魔除札のお陰で、何の変哲もない鏡が急に曰く付きであるかのような禍々しい見た目になってしまった。果たして夢の中でも作用するだろうか。
「それとさ、やっぱり今夜は俺も眠ってみるよ」
振り返った円さんは上着のボタンを外してそう提案する。慎重に対処すると思っていたから意外だった。まあ手詰まりなのはそうだけど。
「今日話したことを忘れるかもしれませんよ?」
「できる限りの対策はするさ。現に君に降りかかる脅威は何度か防げているし。万が一忘れても良いようにボイスメモでも残しておいたら良いんじゃないかな。それに」
「それに?」
欠伸をひとつして、円さんはゆっくりと瞬いた。
「俺は今、とっても眠い」
「分かりやすく睡魔に負けてる……」
そういえば昨夜は寝てないんだった、この人。
しかしそれを差し引いても怖くないんだろうか、ひとたび眠れば記憶を食われる部屋だというのに。ましてやもう何度か忘れているのに、今この瞬間眠いから寝ようだなんて。
「そんなに眠いなら外で仮眠を取ったら良いのに……」
「そういうわけにもいかないじゃない。君の悪夢も俺の記憶喪失も寝てるさなかにすべてが起こるのなら、もう寝てみた方が早いし。あとはまあ……ほら、君に何かあったときにすぐ対応したいし」
僕への対応を取って付けたように言うな。
彼は自由だ、本当に。人の皮を被った猫か何かか? 今に始まったことではないけれど。
呆れる僕をよそに、円さんは後ろで縛った黒髪を解く。
「圭一くん、これから晩ご飯作るでしょ? その間にお風呂貸してよ」
「外で入ってきたら良いでしょ!」
「えー」
「えーじゃありません! 近くに銭湯ありますから! 何でもかんでも人の好意に甘えない!」
百歩譲って飯を作るのは良い。でも円さんがシャワーを浴びるのを、僕はどんな気持ちで待ってたら良いんだ。
「せっかく帰ってきたのに。つれないなあ」
唇を尖らせて抗議する彼を、問答無用で玄関へ追い立てる。ひとつ思い出して、僕はリビング脇のキッチンから顔を出した。
「外に出たついでにボイスメモ吹き込むの忘れないでくださいね」
「はいはい、じゃあ行ってくるよ。また後でね」
渋々といった様子で玄関戸を肩で押し開け、長い髪を靡かせて円さんは出て行った。
確か駅方向とは反対側に十分も歩けばスーパー銭湯があったはずだ。行き帰りと入浴時間、一時間もあれば何かしらは作れるだろう。
すっかり二人分の食事を作ることに抵抗がなくなっている自分に大きな溜息を吐いて、僕は背の低い冷蔵庫を覗き込んだ。
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