Scene.4 露払いと拾った猫

 正直今回の物件のことで、円さんの顔が浮かばなくはなかった。恐らく彼の目をもってすれば霊障だとか誰かの思い残しだとかは一目瞭然だろうし、彼自身がそれをどうにかする手段を持っている。僕の置かれた状況に、これ以上なく最適な人間とも言えるだろう。

 それでも一番に頼りたくなかったのは……ひとえに彼のことが面倒臭いから、に他ならない。除霊に関して言うなら、円さんの腕は確かだと思う。事実、その辺の怪異は触れるだけで霧散するし、悪霊だろうと言葉を届けて還るべきところへ導いて還すことができる。

 しかしそれと天秤にかけて余りあるほどに、抜け目がなく手段を選ばない性格の持ち主であることも残念ながら確かだ。前回は彼の要求を僕が飲まなかったがために悪霊を差し向けられたり、要求を飲んだら飲んだで不法侵入に駆り出されたりもした。

 僕が今回の件に対して円さんを頼ったとして、どんな交換条件を提示されるのか分かったものではない。

 狭い傘の中で、すぐ隣の男を見上げた。

「自分の家に帰ってくださいよ」

「俺の家なんてあると思う?」

 さも当然のように聞くな。普段の寝食はどうしているんだ。人間である以上は何らかの生命活動を行っているんだろうが、彼の私生活について僕は何も知らない。まさか霞を食って生きているわけでもあるまいし。

 僕の疑問符を読み取ったのか、円さんは肩を竦めて釈明する。

「いつもは何人か、衣食住を提供してくれる常連客リピーターがいるんだけどねえ。今日は海外出張とかで誰もつかまらなくて」

 それをヒモと呼ばずに何と呼ぶんだろう。他人を全力で宛てにして生きるのはやめてほしい。僕を巻き込むのも。

 一向に止まない雨と傘から出ていかない円さんに、僕は実家へ向かう道を諦める。夜も更けて親も就寝しているだろう家にこの人を連れて帰って、詳細を説明するのは億劫すぎた。


 結局アパートまで連れ帰り、僕は玄関前で傘の露払いをして特大の溜息を吐いた。鉄柵の向こうには、雨で煙った遠くの街灯りがまばらに散っている。夜中に連れ立って何やってるんだろうな、僕は。

 二階共用部の廊下をきょろきょろと見回して、円さんは首を捻る。

「あれ? 圭一くん、実家暮らしって言ってなかったっけ」

「……最近、一人暮らしを始めたんですよ」

 なるほどね、と彼は納得したように頷いた。僕が鍵を開けるや否や、後ろに続いて入ってくる。

「じゃあここは新居か。お邪魔するね」

 閉めたばかりの玄関ドアに濡れた傘を立てかけていると、いつの間にか円さんはちゃっかり明かりをつけ、リビングの炬燵に陣取っていた。知ってたよ。この人の辞書に遠慮という文字なんかないって。もはやこの感じに懐かしさすらあるのが悔しい。

 呆れて見下ろしていると、背を丸めた円さんは不思議そうに僕を見遣った。

「早く入りなよ。あったかいよ?」

「ここは僕の家なんですが……」

 逐一目くじらを立てるのに疲れ、コートを脱いだ僕は彼と机を挟んで向かいに腰掛ける。

「相変わらず勝手な人ですね」

「そう? 俺は久しぶりに会えて嬉しいよ」

 モッズコートを羽織ったままの円さんは正対した僕に笑みかけた。勝手に転がり込んで来た大きめの猫は、家主の意向などそっちのけで炬燵に身を寄せている。

 しかしその姿に、ふと違和感を覚えた。いつもふらりとどこかへ消えていく人ではあるけれど、今日は身体の芯から揺らいでいる気がする。居住まいからも覇気が感じられない。襟元から覗く白い肌には少し赤みが差していた。

 暗がりの夜道では気が付かなかったけど……まさか。

「芦峯さん……もしかして風邪引いてます?」

「んー……そうかもしれないし……そうじゃないかもしれないなあ」

 その場しのぎの嘘にもキレがない。円さんらしくもない。

 再び腰を上げ、僕はキッチンに向かう。流し台上の吊り戸棚に仕舞っていた救急箱から非接触型の体温計を抜き出し、炬燵で丸まる男の首元に向けた。

 一瞬で検温が終わり、液晶には「三十八度九分」の数字が点灯した。やっぱりか……。

「ああもうほら、熱あるじゃないですか!」

「……あらまあ」

「絶対自覚あったでしょうに……まったく」

 どう見ても高熱の部類に入るだろ。頭痛だとか倦怠感だとか、何かしらの症状はあったはずだ。

 コンビニからここまでは徒歩三十分ほど。よく歩けたものだ、と半ば呆れ半ば感心する。

 旗色の悪さを汲み取ったのか、円さんは炬燵から立ち上がろうとする。

「悪かったって、伝染す前に出て行くから――」

 彼が言い終わるより前に、僕はゆらりと立つその背を引き留めて炬燵に押し戻した。

「寒い中、風邪引いてる上に帰る家のない人を叩き出すほど、僕も鬼じゃないですよ……」

「ええ……」

 黙って泊まりこもうとしていた癖に引くなよ。

 仕方がない。追い出したいのは山々だけれど、拾った猫の面倒は責任を持って見よう。拾ったというより勝手に着いてきた、が正しいけれど。せめて彼の体調が戻って、雨が止むまでは。

 そう腹を決めて、救急箱から総合感冒薬の箱を取り出した。

「ほら、風邪薬ありますからこれ飲んで」

「圭一くん……俺がこういうのも何だけど、世話焼きのお母さんみたいだね……」

「馬鹿なこと言ってないで、上着脱いでこれ着てください。食欲あります? 蕎麦ならすぐできますけど」

「うどんがいい……」

「我儘言わない。はい、そこ座ってて」

 外套を剥がし、代わりに円さんの肩に実家から持ってきていた半纏を押し付ける。

 眠気と疲労に崩れ落ちそうな身体に鞭を打ち、僕はガスコンロの前に立った。意図したわけではないのに、始まったばかりのひとり暮らしはたった一週間で平穏を失ってしまった。

 せめて明日が夜勤で良かったなどと思いながら、僕は戸棚にあった即席蕎麦の袋に手を伸ばした。

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