すぱるた式恋愛指南
第42話
宝良高校の校門を出た先のコンビニで、とぼけたパンダがレモンを抱えたパッケージの新作クッキーに目が止まる。
棚の前で少し悩んでひとつつまみ上げると、ペットボトルの炭酸水と一緒にレジのおばちゃんに渡した。
今週は、珍しく素直にスイミングに行ったからね。
彼女に甘い自分に言い訳する。
渡すのは、今よりも英語スクールが終わった後のご褒美としての方がいいだろうか。
コンビニを出て左に曲がる。
しばらく進んだ先の住宅街の一角に見えてくるのは大型マンション。
エレベーターで5階へ。
同じような造りの玄関ドアを数戸通り過ぎた後、鳴らしたインターホンの上にはーー『5201号室 南野』
『ずるいきつね?』
俺との約束を守っていくつかバリエーションのある合言葉を投げてくる幼い声。
「まぬけでおちびなうさぎ」
アレンジを加えて返すと、機械の向こう側でふくれる気配がしてくくっと喉の奥が震える。
かちゃり。
「…いつものやつは?」
僕の腰までしか届かない背丈の少女が眉間に皺を寄せ玄関扉から顔を覗かせた。
小さな唇までとんがっている。
「お待たせしました、お姫さま?」
僕の言葉に、待ってましたとばかりにきゅっと頬を上げ笑う。
うん、自分を待っててくれる存在がいるのは単純に嬉しい。
最近、小鳥遊 柾はアルバイトを増やした。
理由はいろいろあるのだが、18歳の誕生日を迎えたというのが最も大きい。
つまり、車の運転免許を取れるということ。
なので運転免許証を手に入れるべく、元々お世話になっていた喫茶店のアルバイトのシフトを増やしてたのだが、ここ一カ月別口ができた。
それがこれ。
目の前の少女ー南野 咲里(なんの さり)の習い事送迎係だ。
「咲里、準備はいい?」
おちび扱いがよっぽど地雷だったのか、今に見てなさいイーっだ!とおませな発言と小さな舌を突き出すことで溜飲下げた咲里。
パタパタと習い事用のカバンを持って出てきた。
ポニーテールがぴょこぴょこ揺れているのを見て心の中でため息をつく。
何度言えば覚えてくれるのか。
「また帽子忘れてるよ、ほら取って」
「あははっ!
ほぉら、まあくんに言われた〜」
リビングの奥から揶揄い混じりの明るい声。
ゆっくりした足取りで一人の女性が近づいてくる。
「ママ!歩いたらあぶないよっ!」
咲里の言う通り、包帯が痛々しい左足は力が入っておらず危なっかしい。
「ななさん、また無茶して…」
「なははっ!だぁーいじょぶだいじょぶー!ギブスも取れたし、こっちが送り迎え頼んでるんだからお見送りくらいさせてーな!」
転んでさらに悪化したらどうするの。
一瞬躊躇って、靴を脱ぐ。
ななさんと呼ばれた女性ー南野ななーは、差し出された腕を取るとバツの悪そうな笑みで肩をすくめた。
『あは、そこの坊ちゃん…申し訳ないんやけど救急車呼んでくれへん…?』
足首の激痛に唇を噛み締めながら明るく笑うななと出会ったのは一カ月前。
偶然、バイト先のある喫茶店へと続く商店街で車と自転車の接触事故に遭遇したのだ。
タイヤの擦過音に慌てて振り向くと、急発進する車と呻き声。
遠ざかる車のナンバーと車種を頭に叩き込み、道路に放り出されたままの自転車の乗り手に駆け寄る。
女性だ、割と若い。
彼女は痛みに顔をしかめながら、なぜかマジマジと顔を覗き込んでくる。
真っ直ぐな瞳。
嫌な気分にならないのは、少したれた目元の愛嬌さからだろうか。
熱視線に穴が開きそう。
『あの〜もしかして…まあくんやない?』
『は?』
初対面の女性からまあくん呼ばわりされるようなシチュエーションじゃない。
『ほらあたし、なな先生やって!
自分、宝良東幼稚園にいた小鳥遊 柾くんやろ?あはっ!こぉ〜んなに大きゅうなって全然変わってへんわぁ〜!』
置いてけぼりでぽかんとする当人の名前を当てると、まくし立てる目の前の女性。
成長してるのかしてないのかどっちなの。
心の中で突っ込んだ感覚に、古い記憶がことりと音を立てた。
『もうえぇんよ。
こわくなかったも、
こわかったも、ぜんぶ出しとき?』
しっとりと穏やかな声。
昼寝の時間と窓越しの雪と保育園の職員室。
「さかい、なな…せんせ?」
海の底から立ち昇る泡のように、懐かしい名前が蘇る。
そうだ、酒井 なな。
通っていた保育園の先生だった人。
「そー!結婚して今は南野なな、やねん。あ、言うとくけどネタやないよ?
あはっ!いててっ…」
口調から関西出身だろうとは思ってたが、こんなときまで軽口を叩けるなんて恐るべし、と嘆息したのは秘密だ。
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