第02話:「燃え尽きた世界で:2」

 兵士は言葉の意味をすぐには理解できず、数回、瞬きをした。

 やがて少女が何を言ったのかを理解できたが、それでもすぐには次の言葉が出て来なかった。


 きょとんとしているだけの兵士の様子に、少女はようやく警戒を解く。


「だから、邪魔をしないで。どこかへ行って」


 彼女は右手を上げてあさっての方向を指さすと、話は終わったとばかりに兵士に無頓着に背を向けた。

 既に興味を失った様だ。


「い、いやいやいや、ちょっと、待ってよ! 」


 兵士は、戸惑い、慌てながら、数歩だけ少女に歩み寄る。


「終わるのを待ってるって、何のつもりなのっ!? 」

「そのままの意味だよ。

 ……より正確に言うなら、私は、殺されるのを待っているの。

 もうすぐ[奴ら]が来て、全部、済ませてくれる。

 私の願いを、叶えてくれる」


 少女は振り向きもせずに答えた。


「どうしてっ!? 何でそんな事をっ!? 」

「そういう風に、私が決めたの。

 ……私が、そう。

 私が決めた、たった一つのことなの」


 少女の言葉は平静そのもので、一時の感情でそう言っている訳では無さそうだった。


「やめなよ、そんな事! 」


 兵士は一気に少女に近づくと、強い力で肩をつかみ、無理やり振り向かせた。


「そんな簡単に、自分を終わりにするとか言うなよ! 」

「私がどうしようと、私の勝手でしょう? 」


 返って来たのは、突き放す様な冷たい口調。

 その表情には、兵士への不快感があからさまに表れていた。


「これは、私が決めた事。

 私が初めて決めた事。

 だから、誰にも、絶対に、邪魔をさせない」


 兵士は言葉に詰まった。


 少女の瞳は真剣そのもので、声は確かで、よほど強固な決意を抱いているらしい。


「それに、もうすぐ[奴ら]が来る。

 ……私が呼んだの。

 早くここを離れなければ……、貴女も、死ぬよ? 」


 口ごもって何も言えずにいる兵士に向けて、少女は警告した。


「[奴ら]って……? 」


 兵士は問い返したが、返事はもらうことができなかった。


 なぜなら、———答えるまでも無いことだったから。


 十字路を見下ろす廃墟の影に、[奴ら]の実物が現れていた。


 それは輪郭のはっきりしない暗闇が固まってできた様な存在。

 何となく巨大な人型に見える。

 頭の様なものがあり、胴体の様なものがあり、手足の様なものがあった。


 それは人型をしているが人間よりも三倍ほどは大きな巨体で、確かにそこに存在しているが、それとその他の境界線は曖昧で、ぼやけており、悪夢に出てくる怪物の様に非現実的だが、はっきりと脅威だと理解できる相手だ。


 まるで、この世界に存在しているのに、この世界のモノではないかのように思える。


「[亡霊]っ!? 」


 兵士は、それが何かを知っていた。


 人類を滅ぼす、———[敵]だ。


 咄嗟に小銃を構え、素早く弾丸を装填し、安全装置を解除して狙いを定める。

 幻の様な見た目から[亡霊]と呼ばれるそれは、世界を現在の有り様に変えた元凶だ。

 それらは兵士が生まれるよりもずっと前、この世界に現れ、何の警告も前触れも無く人類に襲い掛かり、殺戮し、その文明を滅ぼした。


 [亡霊]は出現から三十年を経た今でもこの世界を闊歩かっぽし、生き残った僅かな人々にとっての最大の脅威となっている。


 兵士が生み出されたのは、[シェルター]を[亡霊]の脅威から遠ざけるために他ならない。

 だから目の前に現れた[亡霊]に対して引き金を引くのは当然の反応だったし、自身の身を守るためにも必要な行動だった。


 発砲音と共に発射された弾丸は、[亡霊]の巨体めがけて殺到した。

 だが[亡霊]は廃墟の影からゆっくりとした足取りで二人へと近づき、悠然とした様子で、兵士の攻撃を気にも留めていない。


 それも当然だった。

 放たれた弾丸は狙い通りに進んだが、[亡霊]に突き刺さる事は無かったからだ。


 命中する直前ですべての弾丸は空中に不自然に静止させられ、そのままバラバラと、地面の上に無力に落下した。


「無駄だよ。・・・このタイプに、そんな武器は、通用しない」


 弾倉内の弾薬を全て使い切ったのに何の効果も無い事に呆然としている兵士に、少女はどこか憐れむ様な口調で言う。


「今なら、貴女だけなら逃げられる。……アレの目的は、私だから」

「なっ、何を言ってるの……? 」


 兵士は戸惑いを隠せなかった。

 ゆっくりと接近してくる[亡霊]と、穏やかにさえ見える少女の顔とを何度も見比べ、必死に思考を巡らそうとしたが、できない。

 空になった弾倉を交換する事も忘れ、ただ混乱するだけだ。


「さようなら。……上手く逃げてね」


 少女はそんな兵士の様子を見て、微笑んだ様に見える。


 それから、一歩、[亡霊]の方へ向かって進み、自身の身体を亡霊に差し出す様に、それを仰ぎ見ながら両手を広げ、まぶたを閉じた。

 [亡霊]は、眼前に迫る死を受け入れようとする少女へと近づくと、少女に向けて叩きつけるべく、静かに片腕を振り上げる。


 兵士はその場から逃げなかった。

 混乱していて逃げられなかったというのが正確なところだったが、やがて、奇跡的に落ち着きを取り戻すことに成功すると、迷っている暇など無いと決心し、覚悟を固めた。


 スッと鋭く息を吸い込み、全身に力を込め———、[亡霊]が少女を無造作に屠ろうとした刹那せつな、兵士は素早く動く。


 兵士は少女に体当たりするように飛びつき、そのまま地面に伏せさせていた。


 [亡霊]の腕が振り下ろされ、周囲に破片と粉塵が舞い、轟音が響く。

 視界が粉塵で覆われる中で兵士は立ち上がると、少女の外套を乱暴につかんで彼女を立たせ、有無を言わさずその手を引いて駆け出していた。


「あっ、貴女っ、何をっ!? 」

「うるさいっ!

 人間を守るのが、私の、[防人]の役割だ! 」


 兵士は少女に向かって怒鳴ると、そのまま、廃墟の隙間の狭い路地に駆け込んだ。

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