第18話 光庭園異聞III 第四話「記憶侵食」
「あなたは誰ですか?」
シャネルのスーツに身を包んだ明美博士が、白い実験室で私に問いかける。
簡単な質問のはずなのに、答えられない。
私の記憶が、まるでパズルのピースのように散らばっている。
「被験者F-214、記憶再構築実験を開始します」
明美が銀色の装置のスイッチを入れる。
天井から降り注ぐ青白い光。その中で、見知らぬ記憶が私の意識に流れ込んでくる。
海外旅行の思い出―でも私は一度も海外に行ったことがない。
結婚式の記憶―でも私は独身のはずだ。
子供との団欒―私には子供がいないはずなのに。
「これらは、先週の被験者たちから抽出した記憶です」
明美が嬉しそうに説明する。
「あなたの脳に、直接書き込んでいきます」
私の中で、自分の記憶と他人の記憶が混ざり合っていく。
どれが本当の私の記憶なのか、もう区別がつかない。
「やめて...私は...私は...」
自分の名前すら思い出せない。
「興味深い反応です」
明美がメモを取る。
「記憶の上書きが予想以上に進んでいます」
実験室の壁に設置された鏡に、私の顔が映る。
しかし、それが本当に私の顔なのかどうか、もう確信が持てない。
記憶が次々と押し寄せる。
幼少期の思い出―でもそれは誰の記憶?
初恋の記憶―これは本当に私の経験?
死の瞬間の恐怖―まだ生きているはずなのに。
「被験者の意識に、死亡した実験体の記憶を注入します」
明美の声が響く。
その瞬間、私の中に、実験で命を落とした人々の最期の記憶が流れ込んでくる。
彼らの恐怖、苦痛、絶望。
そして、明美の冷たい微笑みを見た最後の瞬間。
私の意識の中で、数十人分の死の記憶が同時に再生される。
それぞれの死に方が違う。
でも最後に見た光景は同じ。
この白い実験室。そして明美の満足げな表情。
「記憶の融合が完了しました」
明美が宣言する。
「では、もう一度聞きましょう」
彼女が私の目の前に屈み込む。
「あなたは誰ですか?」
答えられない。
なぜなら、私はもう一人の人間ではない。
数十人分の記憶が混ざり合った、歪な意識の集合体。
永遠に消えない他者の死の記憶を抱えながら、私は狂気の淵に立っていた。
(続く)
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