カフェ『ガーデニアの家』の不思議な親子
文月はづき
欠陥品の魔術師
そこに足を踏み入れた途端、フッと体が軽くなったようだった。
あちらの空を見上げれば城の屋根が視界に入るというのに、都の喧騒からぽつりと離れて、ここだけ音が存在しないような、そんな空間が広がっている。
まるであちらの世界とここを区別する透明な壁があると錯覚してしまうほど、この場所は空気が澄み渡っていた。
道の先にそびえ立つ小屋の扉には「営業中」と書かれた札がさげられていた。
「本当にこんなところに店があるとは……」
十数年と首都アルテルンで生活してきたが、中心部から少し離れた郊外にこんな店が存在したとは知りもしなかった。
人の気配も、ましてや獣が一匹通っている気配さえしないほどの静けさに包まれているので、当然なのかもしれないが。
こんなところで店など開いて、利益はあるのだろうか。
どんな変わり者が店主をしているのだろうかと少し不安に思いながら、三回ノックをして扉を開いた。
***
「特別任務?」
質の良い調度品が揃えられた上品な応接室で、思わずこの場にそぐわない大きな声を出してしまった。
しかし、目の前で優雅に紅茶を啜る男は驚いた様子を見せることもなく「ああ、そうだよ」と答えた。
「はっ、他でもないお前が、俺が
俺の異動先として予定されていた師団の団長でもあるこの男が、先日俺が起こした事件を知らないはずがない。
どうせすぐに伝達されるだろうと思っていたから、直接伝えることはしなかった。
「魔力回路が損傷したって話? どうせ君のことだから、後輩が馬鹿みたいに身の丈に合わない魔術使って暴発させたのを止めたんでしょ?」
世間の噂を気にも留めず、まるで俺がミスをしたなんてあり得ないとでもいうことを恥ずかしげもなく平気で言ってのける目の前の男――ザグラスは、気遣わしげな視線さえ向けてくる。
彼がそれほど自信を持ってそう言えるのは、友人としての信頼か、それとも彼の生まれ持った直感か。
おそらく今回は後者だろう。
ザグラスの言うとおり、第一魔術師団への異動が決まった俺は、第三魔術師団の副団長として最後に後輩の魔術訓練を見てやっていた。その後輩は平民で入団したということもあって、プレッシャーや焦りがあったのだろう。無理に魔術を使おうとしたせいで魔術が支配下を離れ、暴発してしまった。
同じ平民として彼の気持ちを理解できたはずの俺が、もう少し気にかけてやるべきだったのかもしれないと、今になって思う。
だが、そんなことを言ってももう遅い。
下手をすれば怪我人が出ると判断した俺は咄嗟に結界魔術を使って限界まで暴発に対処した。
なんとか暴発を封じ込めることはできたが、その代償に俺の魔力回路はズタズタになったのである。
とはいえ、世間の人々はそこに至った経緯なんて気にしない。
第三魔術師団の副団長ともあろう者が、魔力回路の損傷という魔術師において初歩的なミスを犯したことだけに興味を示すのだ。
弁明したところで、他にも方法があったとか何だとか言い返されるだけだろう。
彼らの言うとおり、体内の魔力を調節する器官がボロボロになった今、職務に必要な魔術はほとんど使えない。どんな理由であれ、最底辺の魔術師に落ちたことは間違いないのである。
だからこそ、そんな自分に任務を持ちかけてくるザグラスの真意が読めない。
「別に理由なんてどうでもいい。もう魔術は使えないんだ」
「だから
「は? じゃあ俺じゃなくてもいいだろ」
まるで馬鹿にされているみたいで、惨めだった。
しかし、ザグラスは呆れたようにため息をつく。
「ヴァン。僕は優秀な人材を逃したくない。それがたとえ、魔術をほとんど使えない魔術師であってもだ。これは僕が上を説得するための時間稼ぎなの」
「魔術を使えない魔術師に何の価値がある?」
「だったら逆に聞くけど、魔術を使える魔術師には価値があるって? 僕はそうは思わない。魔術が使えるだけの役立たずは大勢いるだろう」
安全なところでふんぞり返っている貴族とかね、とザグラスは付け加えた。
その点に関してはザグラスに同意するが、自ら危険なところに飛びこんでいく高位貴族も大迷惑だと俺は思っている。
この男にどれだけこちらがヒヤヒヤさせられたことか。
魔術を使えた頃はまだしも、魔術を使えない今の俺に、彼の言う役立たずよりも価値があるのかは分からないが、「天才」と謳われる彼から優秀だと認めてもらえたことは、なんだか悪くない気分だった。
「お前の考えは分かった。だがな、絶対に上層部は納得しないぞ」
「それは大丈夫。僕が魔術師養成学校から生徒を引き抜いた話は有名でしょ? あのときみたいに必ず認めさせる」
ザグラスは二年前、講義に訪れた魔術師養成学校で才能の原石に出会ったらしい。彼がまだ十三歳だった少女を、国内最強と言われる選りすぐりの上級魔術師たちが集まった第一魔術師団に迎え入れたことは、魔術界に衝撃を与えた。
荒唐無稽な話に、当時は俺もついにザグラスの目が曇ったかと思ったが、実際に入団してから上級魔術師たちに混じって何の問題もなく任務を遂行している時点で、新人魔術師の実力は証明されたも同然だった。
ザグラスの人を見る目と周囲を動かす力は確かなのだ。
やはり生まれが高貴な人間は、自然と人の上に立つことができるらしい。
「はぁ……もうお前の勝手にしろ。俺だって仕事が無くなるのは困る。ここまで言うなら絶対に説得しろよ」
「任せて」
午前にそんなやり取りをして、教えられた店の扉を開けたのだが。
「……なんだ、お前は」
なぜか鋭い光を帯びた瞳が、こちらを睨みつけていた。
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