第10話 マスクの内側

 最後のステージから自力で降りてくると、例の仮面をしたテロリストが待っていた。


 ――もしかして、撃たれるのか。


 桧山は警戒したが、そうはならなかった。


「おめでとう。あなたは自分の責務を果たして、まぎれもない完全制覇を達成しました」

「これで全員が解放されるんやろうな?」


 桧山は警戒気味に訊く。安い映画やドラマでの流れだと「君はもう用無しだ」と言って皆殺しになるパターンが少なくないからだ。


「それは安心して下さい。誰一人として命を落とすことはなく、おうちに帰れます」

「一体お前は誰なんや。なんでこんなにひどいことを……」


 桧山が怒ると、テロリストはマスクを外しはじめた。


「は?」


 桧山がフリーズする。


 仮面を外したテロリスト――その正体は、いつかに逃げ出した桧山の妻だった。


「お前、なんでや……?」

「そりゃあびっくりしますよね。だって、テロリストが仮面を取ったらヨメさんなんだから」

「おまっ……なんで?」


 後ろから肩を組んで来た人物。それは、ついさっきワニに喰われたはずの瀬川夏彦だった。


 喜んでいいはずだが、脳の処理が追い付かない。情報が多過ぎる。桧山の思考は完全にパニックになった。


「は? どういうこっちゃ? なんでお前が生きてるねん?」

「あれね、特撮の人形ですわ」


 瀬川が物陰からでかいワニの模型を取り出す。あまりにリアルなので、思わず「うわ」と声が出た。


「いやあ、さすがに俺でもビビりましたけどね。なんかこれ本物じゃないか? って」


 瀬川が子供のような笑顔で言う。言われてみれば、誰一人としてピラニアに喰われたりワニに喰いちぎられた瞬間を見ていない。誰もがもがいているうちに水の中へ引きこまれ、そこに赤い液体が浮かんできただけだ。


「おい、これってまさか」


 さすがに桧山の理解も追い付いてくる。次々と出てくる死んだはずの人々。テロリストの正体がヨメ。もう答えは一つしかない。


「桧山さ~ん」


 振り返ると、自分の前に脱落した選手たちが勢ぞろいしていた。


「ドッキリ、大成功~!」

「アホかっ」


 力が抜けて、その場へヘナヘナと崩れ落ちる。


 考えてみたらツッコミどころがいくらでもあった。仮にテロリストがいたとして、MURIGEを狙う意味が分からない。


 撃たれたスタッフも内臓は出ていなかったから、倒れた後に広がった赤い液体はただの血のりだったんだろう。


「おい待てや。ってことはあのピラニアは何だったんや?」

「あれはピラニアと似ているだけで大人しい人好き魚ですよ」

「マジ、か……」


 また力が抜ける。


 犠牲者役となった人々は、血のりに隠れて地下の通路から別の出口へ移動していた。種明かしさえしてしまえば何とも陳腐なトリックだった。


「なんでや」

「何が?」

「何でこんなドッキリを仕掛けないけなかったんや」


 完全制覇出来たから良かったものの、失敗すれば死ぬと思っていただけに納得出来る理由が欲しかった。


「あんた、今回で引退するつもりだったみたいやないの」


 ふいに仮面を外したヨメが口を開く。年を喰ってもまったく劣化しない美貌。自分にはもったいないぐらいよく出来た妻だった。


「ああ、まあ、もしかしたら言ったかもしれんな。酒の席で」


 隣にキャバ嬢がいたことは黙っていた。言われてみれば、そんなほのめかしをした記憶がある。MURIGEオールスターズのメンバーで夜の街へと繰り出した時、話題がたまたま自分の話になった。


 ネタキャラ扱いになっていたせいもあってか、キャバ嬢も桧山をイジりはじめた。桧山はゲラゲラと笑いながらも、そんな扱いになってしまうほど自分は落ちぶれたのかと密かに気落ちしていた。


 酒が進み、ある時になって言った。


「まあ、俺も次の大会でダメだったらさ、今度こそ本当に辞めようと思っているんだ。家族には本当に迷惑をかけたし」


 ろれつは回っていなかったが、ほぼ本音だった。部屋の空気が一瞬だけ凍り付いて、「桧山さん、飲み過ぎだよ」と言われて皆が笑ってからお開きとなった。あの時の静寂を忘れることはきっとない。


 目の前のヨメを見る。桧山が弱音を吐いた時に叱りつける時の顔をしていた。


「あんたはいつだってそう。勝手に決めて、勝手に動く」

「はい……」


 返す言葉もない。


「あんたが家族のことも考えずにMURIGEに没頭するから、結果としてあたし達は離れ離れになった」

「間違い、ありません……」

「でもさ、そこまでやっておいて勝手に辞めるのはさすがのあたしでも許せなかった」

「……は?」


 桧山は素っ頓狂な声を上げる。ヨメは真剣な顔をしていた。


「家族を犠牲にしてまでやり続けたんだからさ、ちゃんと完全制覇するまでやりなさいよ」


 ヨメは力強い声で言う。その目はまっすぐに桧山を見ている。


「あんたの弱点は明らかにメンタルだった。小さなことを気にして、石橋を叩いて壊す」

「……」

「だから、絶対に逃げられない状況さえ作ってしまえば逆に奮起すると思ったのよ」

「それはまた……」


 お前もなかなかヤバい奴だなと思ったが、そんなことは口が裂けても言えない。言えばきっと殺されるだろう。ドッキリではなく本当に。


 ヨメの言葉を要約すると、今回のドッキリは本番に弱いメンタルを治すための荒療治だったらしい。ツッコミどころしかないが、たしかに成果は出た。


 まったく、この俺にしてこのヨメありだ。……だけど、だからこそ好きになったのかもな。


 色々なものが腑に落ちていく。


 終わってみれば完全制覇は出来たし、ヨメとも再会出来たし、最高の結果になったのではないか。そんな気がしてきた。


「でも、完全制覇は本当に出来たじゃないですか。あんなプレッシャーの中でそれが出来るなんて、普通の完全制覇よりも遥かにすごいことですよ」


 瀬川がフォローを入れる。


 言いたいことを言い切ったせいか、ヨメも憑きものが落ちたような顔をしていた。


「そうね。これでようやく、本当に引退出来るわね。長い時間、本当にお疲れ様でした」


 ヨメが片目から流れる涙を拭った。


「いや、辞めんで?」

「は?」


 その場にいた誰もが同じ言葉を発した。当の桧山自身は当然といった顔をしている。


「あんなもん、ただのドッキリやんか。俺は正規の大会で完全制覇したいんであって、それはドッキリの大会とは違うで」

「いや、桧山さん……」


 ――あなた、完全制覇したじゃないですか。


 声にならない抗議。


 瀬川が冷や汗を流しながら声を掛けようとするが、桧山の言うこともある意味正論なので、それ以上何も言えなかった。


 桧山は明るい顔で言う。


「お前の言う通りや。たしかに俺はメンタルに問題があった。小さなことばかりを気にし過ぎて、逆にドツボに嵌まっていた。だけど、そんな日々も今日で終わりや」

「と、言うことは……?」

「当たり前やろ。正規の大会で完全制覇するまで、俺は辞めん。そう決めたからそうなるんや」

「んな、アホな……」


 東日本在住の瀬川に関西弁がうつる。


 かつて憧れた目の前の男は、申請のMURIGEバカだった。


「まあ、だから俺も憧れたんだろうな」


 瀬川は苦笑いしてひとりごちる。


「なんか言ったか?」

「いいえ、何も。それじゃあ桧山さん、次の大会でまた会いましょ」

「そうやな。次はテロリストが来ても闘えるように鍛えておくわ」


 軽口を叩く桧山。かつてのオーラを取り戻していた。


「さあ、とりあえず帰ろうか。今日は旨いモン食いたいな」


 ヨメの肩を抱き寄せて去って行く桧山。その後ろ姿を、誰もが笑って見送った。


 ――彼こそ、真の伝説。


 のちに控える大炎上を前に、誰もが同じことを思った。

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