異世界から帰ってきたら、人類は滅んでました。

猫飼いたい

第1話 帰還

 稲妻が暗雲を引き裂く。

 荒れ狂う天候の中、由伸は悪神ダグーザと対峙していた。

 大地が轟音と共に揺れ、灼熱の風が頬を打つ。


「人間如きが、神に刃向かうとはッ!」


 ダグーザの声が、まるで地鳴りのように響き渡る。

 その巨体は漆黒の鱗に覆われ、赤く輝く瞳には憎悪の炎が燃えていた。

 由伸は聖剣を握り締めた手に力を込める。

 五年の歳月をかけて得た力が、体内を駆け巡る。


「この世界の人々の、笑顔を守るために!」


 一瞬の閃光。

 聖剣が放つ光は、暗闇を切り裂いていく。

 悪神の咆哮が天を揺るがし、そして、すべてが白い光に包まれた。


 +


 白銀の月が夜空に浮かぶ中、王都グランディアは祝宴の喧騒に包まれていた。

 街路樹の葉が風に揺られ、その影が石畳の上で、そよそよと踊る。

 五年に及ぶ戦いを経て、ついに訪れた平和を祝う歓声が、夜空に向かって木霊する。


 中央広場に設けられた祝宴会場で、由伸は寂しげな微笑みを浮かべていた。

 十六歳で突如この世界に召喚され、今や二十一歳。

 悪神との戦いに明け暮れた日々は、まるで遠い夢のようだった。


「救世主様、このワインをお召し上がりください」


 給仕の少女が差し出すグラスを受け取りながら、由伸は懐かしい顔を思い浮かべていた。

 故郷に残してきた両親と妹が心配する顔。

 そして、幼馴染の香澄の笑顔。

 彼女と離れ離れになった五年間が、胸に重くのしかかる。


「救世主様のおかげで、私たち、また踊れるようになりました」


 少女の瞳は潤んでいた。

 悪神の脅威下で禁じられていた祭りが、今、王都の至る所で復活している。

 街角では楽師たちが陽気な調べを奏で、老若男女が手を取り合って踊りの輪を作っていた。


「由伸様、お言葉を」


 騎士団長のレオンが声をかけた。

 その髭面には、戦友としての信頼と敬愛が滲んでいる。

 由伸は立ち上がり、集まった人々に向かって静かに語り始めた。


「皆さん、この五年間、本当にありがとうございました……!」


 声が震える。

 この世界で出会った人々との別れを前に、感情が込み上げてくる。

 魔法学院で机を並べたエマ、剣術を教えてくれたマルコ、パーティを支えてくれたリリー。

 一人一人の顔が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。


 祝宴の合間を縫って、由伸は思い出の場所を巡った。

 魔法学院の図書館では、エマと魔法の研究に没頭した日々を思い出す。

 積み上げられた古書の山々から、懐かしい埃の香りが漂ってくる。


「由伸さん、覚えてます?ここで初めて会った日のこと」


 エマは柔らかな微笑みを浮かべながら、窓際の机を指さした。


「うん、僕が魔法の基礎も分からず、本を積み上げて途方に暮れていたところを……」


「私が話しかけて、それから毎日のように一緒に勉強しましたね」


 思い出話に花が咲く中、窓の外では夕陽が図書館に長い影を落としていた。

 訓練場では、マルコと最後の剣の打ち合いを交わした。


「さすがだな、由伸。もう俺から学ぶものは何もないようだ」


「そんなことないよ。マルコには、剣術以外にも多くのことを教わった」


 二人は剣を収めると、互いに深々と一礼を交わした。

 

 宴は七日間続いた。

 その間、由伸は王都の人々と別れを惜しみ、思い出話に花を咲かせた。

 しかし、心の奥底では常に、元の世界への帰還を待ち望んでいた。


 香澄との思い出が、まるで小さな鐘のように、絶え間なく心を揺らし続けている。

 最後の晩餐では、リリーが特別な薬草茶を淹れてくれた。


「これを飲むと、この世界での記憶をいつでも鮮明に思い出せるそうです」


「ありがとう、リリー。君の優しさも、きっと忘れない」


 そして、帰還の儀式が執り行われたのは早朝だった。

 朝露が宝石のように輝く王宮の庭で、魔法陣が描かれる。

 由伸は最後に振り返り、この世界に深々と一礼をした。


「……さようなら皆、そして、ありがとう!」


 光に包まれる瞬間、由伸の目に涙が光った。

 異世界での冒険は、確かに彼の人生を大きく変えた。

 しかし今、彼を待つのは、懐かしい故郷。

 そして、約束を守り続けてくれているかもしれない、あの人たちの笑顔―――。


 まばゆい光が由伸を包み込み、意識が遠のいていく。

 耳元で風がささやくような音がして、そして、すべてが闇に溶けていった。


 そうして、由伸は無事、現代へと帰還した。

 しかし由伸が待ち受けていたのは、自身が想像だにしなかった阿鼻叫喚の地獄絵図だったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る