天女が棄てた羽衣⑩

「ゲハハ、アナタ踊り子に間違えられたの?」

 あの後、オフィスに戻った私は、ママに調査結果を報告していた。

(炎はお姐さんがたが総出で消し止め、その後の対応はルビーさんに任せた)

 神田川ナツコ霊能オフィスは、リクディクと同じビルの上階にある。オフィスと店、どちらを先に構えたのかは不明だが、二箇所を行き来するママのことを考えると、確かにこの距離は効率的で便利だ。

 私がみるくに新人ストリッパーだと勘違いされた話をすると、ママは声を上げて笑った。

「…やれば?」

「またそういうこと言って!」

「いいじゃないよ。ルナ子、美人じゃないけどとりわけブスでもないんでしょ。冒頭の自己紹介のとき自分で言ってたじゃない」

「そ、そんなメタ発言はっ!」

 私は慌てて制した。そういうノリが嫌いで、冷めてしまう読者だって多いと思うのだ。世界観が崩れるから、なるべくその手のセリフは控えてほしい。

 …まぁ、これ自体もメタ発言だけど。

「ともかく」

 ひとしきり笑った後、ママは真剣な面持ちに切り替わった。

「つまり霊障の線は十分濃厚、ってことねぇ」

 私は実際この目で見た。誰もいない場所、ステージ奥の暗幕の裾から火の手が上がる瞬間を。あれは、到底人間業でできることとは思えない。

 既に夕方の空から夜の帳が下り始めている。

 煌々と照る蛍光灯の白光の中にあっても、濃いオレンジと青紫の対比がブラインド越しに確認できた。

 LicDicのビルの中で、唯一店舗以外の形をっている「神田川ナツコ霊能オフィス」。

 スペース自体がそこまで広くない上、依頼された霊障の調査資料などが本棚にもデスクにも並べられているため、手狭な印象と無言の圧迫を感じさせる。

 ローテーブルを挟んでママと私は向かい合っていたが(本来、依頼者に用意された応接設備だ)、ママは音声を聴きながら眉間に皺を寄せている。

 ────そう、実は私は、楽屋に入ってから劇場を後にするまでの間、ずっとスマホの録音機能を起動させていた。

 元々の記憶力が良くない上、一言も気になる発言を聞き逃すわけにはいかなかったため、ママに指示されるでもなく自発的にそうしていたのだ。(ママからは「グッジョブシゴデキよルナ子!」と絶賛された)

 せめてルビーさんには前もって伝えておくべきだったが、緊張の連続でついぞ言いそびれてしまった。

 だが結果としてこの録音データは、今後の対策においてかなり有用な資料になるだろうと推測された。私のスマホがたまたま最新に近い機種で高採音機能を搭載していたこと、スマホの採音部側をポケットから半分出していたことも幸いし、会話の内容は小声の部分でさえほぼ明瞭に確認することができた。

『ちくしょう、誰だろうねえ!許せないよ!』

 凛音姐さんの怒声がスピーカーから鳴響する。

「ゲハハハ、すんごいわね、このヲンナ」

 事態の緊張感に全くそぐわない泰然さでママが笑う。

「ちなみにアタイ、透視能力とか千里眼とか、ないからね」

 凛音姐さんの発言を聞いていたママは、鼻白んだ様子で呟いた。

「そうなんですか?」

「アタイにできることは霊を目視して霊障の原因を探り、あの世にお引き取り願うことだけよ」

「人を操ったり念写したり前世見たり、あとは魔物とか使ったりできるのかと思ってた」

「そこまで行ったらビックリ人間よ!まぁ、そういう人もいるだろうけど、全部備えてることなんてまずないわね」

 ママもある意味ビックリ人間ではあるが、飲み込んで録音の続きを聴いた。

「ていうか、ぽぽって何?」

「それはだから、たんぽぽ姐さんが自分を呼ぶ呼び方で」

「ハッなんなのよいい大人がぽぽって!チンぽっぽ〜ってこと?」

「やめてよママ!」

「うちのグミマルも自分のこと『ぐみ』って言うわよね。そういうの流行ってんの?」

 ママは途中からもはやラジオでも聴くような体勢となり、話も脱線に脱線を重ねた。

 その度に私は本題へと修正しなければならなかった。


 途中、別件の霊障調査から戻ってきたマナブさんが合流する。

 冴島学さえじま まなぶ、通称マナブさんは数年前からこのオフィスで調査員をしているスタッフで、きりりとした黒眉が特徴的な、ややがっしりした短髪の30代だ。(ちなみにストレート男性で、ママと色恋の関係はないらしい)

 霊感こそないものの、冷静な分析力と鋭敏な状況把握能力は卓越しており、このオフィスを支える上での大きな助けとなっている。ママもマナブさんなしでは到底仕事にならないと、絶大な信頼をもって太鼓判を押す。

 ママのボケに躊躇も温情もなく冷酷に突っ込みを入れられる唯一の人でもあるのだが。

「なるほど。ある日を皮切りに突然、不可解な現象が頻発し出したということですね」

 私が話す顛末と現在流れている録音を加味しながら、マナブさんが私の横に座った。

「霊障だとすると、単純に霊的磁場のひずみか劇場に巣食っている何らかの怨念、もしくは観客の生き霊による可能性も考えられますね」

「い、生き霊?」

 昔やっていた心霊番組でなんとなく聞いたことはあったが、その線もあるのか。

「何かへの執着や特定の人間に対する感情が強いと、念が形となって対象物に影響を及ぼすことがあるんです。厄介なのは、飛ばしている本人にも自覚がない場合が多いことですがね。

 ストリップ劇場という場所は、生き霊が発生する度合いが他と比べて極めて高いと思われます。

 なんたって性的欲望や劣情は、人間の感情の中でもとりわけ強固なものですから」

「要は、またモテないおっさんの報われない悲劇からの嫌がらせってコト?」

 ママはうんざりした様子で鼻をほじりだした。

 ちょっと、と諫めようとした私だが、つい先日、まさしくこのパターンの霊──キャバクラ嬢に入れ込んだ末に自殺を遂げた男──を一緒に経験していた私は当時の狂騒を思い出し、ママに次いでうんざりした気持ちになった。霊の存在理由は現世への執着である。そこには当然、恨みや嫉妬といった粘着的な感情が絡んでいるのだ。

「生き霊の場合って、ママどうするの?」

「どうもこうもないわよ。奴らは生きた人間から生じたウンコみたいなもんだから、早々に"お掃除"しておしまい。

 もう、『神田川クリーニングサービス』にでも改号しようかしら。裸エプロンで頭に三角巾巻いてさ」

「ママの裸エプロンはどこにも需要がありませんよ」

「ギャッ!」

 マナブさんの切れ味たるや。

「あはは、私もそれはどうかと思うけど、三角巾ってまさしく幽霊みたい」

「アレは額烏帽子ひたいえぼしよ!」

「でも三角形だよ?」

「三角巾はバンダナみたいなやつよ。何よ、裸エプロンで恨めしやなんてシュールにも程があるじゃない!」

 下らない問答を交わす私とママをよそに、マナブさんはある箇所で音を止めた。

「今の部分、しばらく巻き戻してもう一度再生しても構いませんか?」

「え?は、はい、どうぞ…」

 マナブさんは私のスマホを操作すると、踊り子たちの証言のパートをはじめから聞き直した。

「ちょっと引っ掛かるんですよね」

 しばらく無言で聴いていたマナブさんは、腕を組みながら思慮に耽った。

「もしかしたら、可能性としては"五分五分"です」

 そう言ってマナブさんが語り始めた仮説は、確かにそれなりの説得力を内包していた。

 そして、録音を聴き進めると、仮説は確信に変わったようだった。


「えっと、ここからは…あんまり関係ない部分」

 私は平静を装って、自然な流れで再生を止めようとした。

 この先はみるくによる踊り子の皆さんの個人的事情が大いに語られる。内容もややセンシティブだったし、今回の件とは関連が薄そうだった。

「待ちなさいよ。せっかく録音したんだから最後まで流しなさい」

「でも」

「僕も賛成です。重要な証言が紛れているかもしれない」

 私は渋々、ボタンを押す手を引っ込めた。

 電子盤の中から、若き踊り子見習いの複雑な家庭環境が溢流している。

 ややあって、スピーカー内に無言の時間が訪れた。

『踊り子でなくとも、何らかの形で関わっていただろうな』

 みるくの言葉以降会話が途切れ、スゥーというスマホ録音時特有の空白音が続いた。

 あれ?こんな場面あったっけ?

 あの時確か私は……

 やがてスマホからは、『瑠奈さん?』『…どうしたんですか?』『…大丈夫ですか?』というみるくの案じ声が断続的にこぼれた。

 私が当時の状況を追憶すると同時、ママは大声を上げて笑い出した。

「な、なにママ…どうしたの…」

「ここに来てまさかの百合ゆり!」

 百合がレズビアンを示す言葉だとは後から知ったが、ママの様子からしてどういうことかはその時点で理解してしまった。

 私は怒りと恥ずかしさで真っ赤になりながら再生を止めようとする。

「ゲッハハハ!ひゃん、生々しいワ!おお〜、おお〜、若いわね〜」

 ママはテーブルのスマホを奪い取り、耳に近付けては声を高めたり低めたりして変態オヤジのように囃し立てる。

 そう、どういう仕組みかは知らないが、おそらくママにだけは、私があの時謎に抱いた妄想の会話が筒抜けとなっているのだ。

 幸いなのは、マナブさんには何のことだかてんで諒解できていないようであることだった。呆然と私たちの応酬に目を向けている。

「聞こえてるのね?聞こえてるんでしょ!お願い、返して!」

 ひとしきり笑ったママは、録音ボタンを止めると私に寄越しながら悪魔の冷笑を浮かべた。

「何が聞こえたか、マナブに話していい?」

「ダメ!!!」

 私は人生最大ではないかというほどの声量で叫んでいた。冷や汗が全身を覆っているのを感じる。

「仕方ないわね、わかったわよ。マナブ、残念でした」

 ママはいたずらっぽく舌を出した。弱みを握られたようで、この人には油断ならない。

「でも現象の説明だけはさせてちょうだい。アナタ、取り憑かれてたわね」

「え?」

「憑依されやすい体質なのよね、ルナ子は。劇場にいる何らかの存在──それが何かは現時点では断言できないわ──に憑かれて、それでおかしな妄想に頭を支配されていたのよ。霊感が強いアタイにだけ内容が聞き取れたのはそのため」

「憑依?でも私、あの時の記憶ってちゃんとあるよ。寧ろなんだろ…催眠術みたいに、理性を司る脳の部分だけコントロールされたような」

「そういう憑依もあります。この時の瑠奈さんは、一時的に半トランス状態に陥っていたのですね」

 瞬時に状況の概要だけ把握したマナブさんが補足を入れた。

「霊的磁場が強い場所では憑依以外にも、溢れた瘴気しょうき──悪質な影響を及ぼす空気エネルギーのことです──によって人間の感情がおかしな方向に増幅されるといったことがあります。多くの場合、不安や恐怖といったネガティブな感情です」

 楽屋での姐さんたちの様子は、もしかしたら瘴気も影響しているかもしれない、とのことだった。

「それじゃ、あの妄想は憑依とか瘴気が引き起こしたもので、私による自然自発的なものじゃないってこと?」

「あったりまえよ。でもこの手のトランス状態は麻薬的で危険な多幸感を伴うものなの。妄想の中にいる最中は、幸せだったでしょ?」

「まぁ…」

 気まずさと羞恥と不安と安堵と寂寥感と。

 何色もの絵の具をパレットで滅茶苦茶に混ぜたかのような感情が、今は私を支配している。

「結論として」

 ママは今回の件に対する最終見解を述べた。

「霊障なのは確定!ちょっと解せない部分もあるけど、そこは現場の追加調査で明らかにしてやりましょ。てことでルナ子、劇場に明日行くってメール入れといて」

「わ、わかりました」

 こうして本日のオフィス業務は終了した。

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