暗闇を照らす灯火
頼りない橙の光が等間隔に並ぶ地下道を、鉱石ランプを掲げたベルに先導されて、そろりと進む。ひんやりとした石造りの通路は、時折水滴の滴る音が二人分の足音に紛れて反響してはフィオの肩を竦ませる。
朝食を終えたフィオは、魔術の練習をするべく魔術書のある書庫に行きたいと進言した。だが魔術関連の本はいつも使っている図書室ではなく、地下書庫に貯蔵されていると言われ、早くも後悔し始めていた。
「随分と暗いのね……ベルがいなかったら、お化けが出てきそうだわ」
「フィオ様、足元にお気をつけ下さい。お化けは飛んでおりますから、道が悪くともお構いなしですが、フィオ様はご自分の足で歩かなければなりませんから」
「わかっているわ」
そう口では言っても、薄暗い石畳の床は歩きにくいようで、暫く迷ったのちベルの手を取り、恥ずかしそうに俯いた。
「書庫は逃げませんから、ゆっくり参りましょう」
「ええ」
高く硬い音を通路に響かせて、歩幅の違う足が向かった先には、古めかしい金属の扉が待ち構えていた。扉全体に蔦のような装飾が施されていて、何とも厳めしい。
「ここが書庫なの? 二階にある図書室とは全然雰囲気が違うのね」
「ええ。こちらの書庫は、お伝えしてあります通り、魔術に関する書物が貯蔵されておりますので。扉も魔力を持たない者には開けられないようになっております」
ベルが扉に手を触れ、そっと押し開ける。重たそうに立ち塞がる扉だが、見た目に反してすんなりと動く様を、フィオはじっと見つめていた。一枚のレリーフのようであった扉は真ん中から奥へと開き、独特の古い紙の匂いをもって二人を迎え入れた。
「わあ……! こんなに魔法の本があったなんて!」
書庫内に足を踏み入れると、背の高いチョコレート色の本棚に至宝を囲まれる。
全ての棚に装丁の美しい本がぎっしりと詰まっていて、フィオの目には山のような財宝がひしめく宝物庫に映る。本棚のあいだを縫って奥へ進むと円状に開けた空間があり、本を読むためのテーブルと座り心地の良さそうな椅子、そして、卓上ランプが置かれていた。床には円形の星図が描かれていて、見上げるとこの中心部だけ天井がドーム状になっていた。よく見ると床の夏の星図と対の、冬の星図が描かれている。
「このランプ、お花の形をしているのね。なんていうお花なのかしら」
「ここの書棚にも図鑑はあったはずです。探してみては?」
テーブルの上に佇む、古めかしいブラウンと色つきの曇りガラスで出来た花の形のアンティークランプを見つめて言うフィオに、ベルが西側の書棚に視線をやりながら答える。
フィオは目を輝かせて体を起こすと、明るく「行ってくるわね」と言い、林立する書棚のあいだに駆けて行った。
「どうやら、お気に召して頂けたようですね」
楽しそうにはしゃぐフィオの声を聞きながら、ベルはやわらかな微笑を浮かべて、テーブル周りを整える。事前に用意していた大きめのブランケットを腕にかけ、いつフィオが戻って来てもいいようにと待機していたのだが、ふと見れば本棚の隙間から顔を覗かせて、なにか言いたそうにベルを見つめていることに気付いた。
「フィオ様?」
「ベル、ちょっと来て。手伝ってほしいの」
「畏まりました」
ひざ掛けを一度背もたれに預けてフィオの元へ向かう。小さな背中に着いて行くとある本棚の前で立ち止まり、一番上の棚を指さして振り向いた。
「……届かないの」
フィオの言葉を受けて辺りを見回してみても、近くに踏み台の類は見つからない。ベルは「失礼致します」と断ってフィオの傍で手を上げて本を取り出した。
「世界の植物図鑑、ですか」
ベルの言葉通りの本を探していたらしい素直な主に目元を緩める。
「他にも薬草と毒草とか花占いとかたくさん種類があったけれど、それになら載っている気がしたの」
軽く埃を払って手渡した図鑑は、世界の名を冠しているだけあって重厚感がある。大きさと厚み、重さ共に並ではないそれを取ろうと、小柄な主人が無理して飛びつくなどして事故が起きなくて良かったと、ベルは内心で安堵する。
胸元で大事そうに本を抱えている細い腕を見つめていると、フィオが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの、ベル?」
「いえ。それよりフィオ様、ずっと抱えていては重たいでしょう」
「そうね。一度に欲張らなくても本は逃げないもの。戻りましょう」
代わりに持たせてもらうつもりで言ったベルだったが、フィオは初めて読む図鑑が余程うれしいらしく、大事に抱えたまま歩き出した。
中央にある読書スペースまで戻ると、大きな背もたれのついた椅子に、いそいそとフィオが腰かけ、すかさずベルがひざ掛けをそっと掛ける。大きな花の刺繍が美しい落ち着いた深い緋色のブランケットだ。
「ありがとう。……ベルは、いつもずっと立っているのね」
「ええ、私はフィオ様の従者ですから」
まずは図鑑の中ほどを開いて気ままに目的の花を探しつつ眺めていこうとページに手をかけながら、疑問だったことを口にしたところ、答えになっているようでなってない言葉が返された。見上げれば、いつもの穏やかな微笑が目に入る。いつも傍らに控えているベルがいつ休んでいるのか、フィオは全く知らない。
この忠実な従者の寝顔どころか、寛いでいる姿さえ見たことがなかった。
「従者だからって座ってはいけないことはないと思うわ」
「はい、フィオ様が跪けと仰るなら、すぐにでも」
「もうっ、そういうことを言っているのではないのに」
氷の瞳をやわらかくとろけさせ、まるで甘い砂糖菓子でも見るかのようにフィオを見つめるベルの目は、冗談を言うときも色が変わることがない。
フィオが諦めて植物図鑑に目を通し始めると、ベルはフィオの視界にギリギリ映る斜め後ろに控え、じっと愛らしい主の後姿を見つめていた。
「見つけたわ。ねえベル、これじゃないかしら」
図鑑を捲り始めてから、小一時間ほど経った頃。フィオがうれしそうな声を上げてベルを振り返った。小さな指先が差しているページには、ランプによく似た白い花のスケッチが描かれている。
「ええ、良く似ていますね。フィオ様のお好きな、白い花のようです」
「そうなの。それでね、可愛らしいお花だと思ったら、谷間の姫なんて綺麗な別名もあるみたいなの」
「それは素敵ですね」
「ええ、ほんとうに。もっと知らないお花はないかしら」
図鑑とランプとを見比べて、いま得たばかりの知識を読み上げる様子を微笑ましく眺めていると、今度は大好きな白薔薇を探す図鑑の旅に出たらしく、忙しなく指先が移ろい始めた。索引に頼るという方法でなく、自分で気ままに見ていくようだ。その動きは飽くことなく花壇で遊ぶ蝶のようでもあり、ピアノの上を跳ねているようでもある。
フィオの周りには、白い花が多い。城壁と正門を取り囲む白薔薇に始まり、産地を問わず季節ごとに様々な白い花が咲き誇る。
中でもフィオは、表門のアーチを彩る大輪の白薔薇をこよなく愛していた。
初夏だけでなく、秋から冬にかけても花を咲かせる種類の薔薇で、アーチが綺麗に白く染まる頃にちょうど城下町で収穫祭が行われるため、フィオの中でこの白薔薇は年に一度の楽しみを告げる花となっていた。
白い指先が、好奇心に満ちた眼差しが、草花で満ちた紙面を踊る。
図鑑や画集の類はこれまで何度となく読んでいるはずなのだが、フィオはそれでも興味が尽きない様子で、新しい本に目を輝かせて見入っている。
「……フィオ様?」
ふと、フィオの指の動きが大人しくなったことに気付いて声をかけると、フィオの頭がゆるゆると傾いでいた。どうやら、夢中になるあまりに眠ってしまったらしい。ふわっとした長い巻き髪が図鑑にかかっていても退ける様子もない。
「こんなところで眠ってはお風邪を召されますよ」
「……ん……ぅ……」
肩を抱いて体を起こしてみても、あどけない寝顔が露わになるばかり。
ベルは小さな溜め息を一つ吐くと、パチンと指を鳴らした。するとフィオの座っている椅子が流星のような尾を引く白い光に包まれ、瞬く間に三日月の揺り籠のような小さいベッドに変わった。
シックな緋色のひざ掛けは月と星が描かれた甘いパステルカラーのブランケットに変わり、開いたままだった図鑑は閉じてベルの手の中に移っている。
夜空に囲まれ三日月のベッドで眠る主の無垢な寝顔を眺めながら、ベルは心底からしあわせそうに幼い輪郭を指先で撫でた。
無防備に投げ出されている手を取ると、そっと指先に口づけをして、両の手を胸の上で組ませた。やわらかな巻き髪も崩してしまわないようにそっと胸元に流し、袖と襟元を整える。
「眠るお姫様には綺麗な花が必要ですね」
そう呟いてフィオの寝姿を綺麗に整えるとベルは満足そうに口元に笑みを引いた。
「お休みなさいませ、フィオ様。どうか良い夢を」
緩やかに照明が落とされていく中、ベルは主の傍でずっと佇んでいた。
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