流浪の賢人とその弟子、夏の豪雪を晴らして山村を救う
まさつき
前編
今は昔のことである。
長身痩躯の美男であった。歳の頃は二十七程に見えるが、実の歳は不明である。
唐国にて
しかし、
道登には一人、童子の弟子がいた。名を
制多には、武術体術に限れば「見れば覚える」というほどの天賦の才がある。
なるほどそれなら、仙術も見せれば覚えるだろうと試した道登なのだが、こちらは何故だかさっぱり、巧くいかないのであった。
さてここで、そんな師弟の数奇な旅路における、逸話のひとつを語るとしよう。
制多が道登の弟子となり五年が過ぎた――十二歳の夏のことである。
「御師さぁ~ん……この寒さ、なんとかならないのかい……」
暑い夏の盛りであるはずなのに、道登と制多の師弟は、大粒の雪が舞う吹雪の山道を歩いていた。
「これも修行のうちですよ」と、文字通りに涼しい顔をして弟子を宥める道登の姿は、いつもと変わらぬ
さてその弟子であるが……全身真っ白の雪化粧を施されて息を弾ませる赤ら顔は、文字通りに
道登法師は弟子の制多を伴い、とある山村へと急ぐ旅路の途中であった。行き着く先は、法師と
「何か困ったことがあれば、この紙に文をしたため川に流しなさい。どこにいても、きっと助けに参ります」――そう道登が娘に告げて別れてより、どれほどの歳月が流れた時であったか。
すっかり道登も忘れていた頃になって、助けを求める文が届いたのである。
たちどころに思い返した道登は約束通り助けに馳せ参じようと、北陸へ歩み始めた踵を返し、制多共々この地へやってきた――という次第である。
「大丈夫かい?」
制多は懐の中に向け呟いた。着物の胸元では、黒い小鳥に化けた
「そろそろ村が見えてきます。もう少しの辛抱ですよ」
師が弟子に気遣いの言葉を掛けた通り、吹きすさぶ吹雪の向うに、薄墨で描いたような家並みがぼんやりと現れた。
外にはまったく、人の姿は見えなかった。家屋から漏れる僅かな煮炊きの煙だけが、まだ人の息遣いがあることを教えていた。
道登は息をひそめた山村の家を一件一件廻りながら、戸口にまじないの札を貼り付けた。一枚貼るごとに印を切って一言呟く。するとその家の周りだけ、たちまち吹雪が弱まるのである。
そうして、山村全ての家に雪避けのまじないを施すと、最後には吹雪をしのぐ結界が村全体を包みこんだ。先ほどまでの雪嵐が嘘のように晴れ渡り、穏やかな雪景色となったのである。
静謐な銀世界を見渡してから、道登は山の奥へと足を向けた。
「さて、寺へ参りましょう。
山村を通り抜け、雪に埋もれた参道を延々と登ってゆく。
「御師さん、まだぁ?」「もうすぐですよ」と、師弟の問答が幾度も繰り返され、さすがに制多も問い疲れた頃。一行はようやく、小さな尼寺に辿り着いたのである。
本堂正面、雪の被る板張りの上には、年老いた比丘尼が扉を背にして座っていた。道登の姿を見て取るや、比丘尼は深々と腰を曲げ頭を下げた。
「道登様、ようこそ、おいでくださいました」
「乙羽さん、約束通りお助けに参りました」
「ありがとう……あなたはちっとも、あの頃と変らないままですね」
互いを懐かしむ眼差しをして、にこやかに道登と比丘尼は言葉を交わした。
「お寒いでしょう、中へお入りください。ささ……こちらへ」
庵に師弟を招くと、乙羽は簡素な食事を振舞った。
美夜は……精進料理で肉が無いのを拗ねたのか、小鳥の姿のまま制多の懐で眠り込んでいる。
腹を満たして人心地ついた道登と制多は、乙羽の言葉を待っていた。
炭が爆ぜ、小さな火の粉が、舞った。
熾火の向うで静かに、乙羽が語り始めた。
「始めは……日照りが続いたのです」
「この地で? 山の主に、護られているはずでは?」
この土地は本来、夏の盛りであっても、涼やかな風の吹き抜ける暮らしやすい山村なのである。全ては山の主でもある「
「今から、四年ほど前のことです、村の若者が雪女様と相愛になり……夫婦になったのです。可愛らしい女の子も一人、授かりました」
「なんと……!」
雪女は、雪の精霊が人に化生した姿である。正体を隠して人の男と夫婦になり子をなしても、最後は本性が露見し悲劇に終わる……といった話は各地に残されている。
ところが、村の若者は始めから雪女と知りながら相愛になったというのだ。しかも、相手は山の主である。これほど珍しい出来事は、さすがの道登も聞いたことが無かった。
「雪女様もよほどお幸せだったのでしょう。加護の霊力が増して、以前よりもこの土地の実りが豊かになりました。それなのに……」
「今年になって突然、日照りが起きた……そして、夏の吹雪」
日照りはまだしも、なぜ季節外れの吹雪を雪女が起こしたのか――。
「雪女様に、何か良からぬ事が起きたのは確かなのです、でも……」
眼は衰え、足も腰も弱ってしまい、比丘尼は自分で山の様子を確かめることができない。山を登るほどに吹雪も強まり、常人が近づけるものでもなかった。
「日照りに吹雪……作物も、今年は駄目かもしれません」
「そちらも、なんとかしましょう。ですが、まずはこの雪からです。山へ近づくほどに強まる霊気を吹雪の中に感じます。しかし……」
「ねえ、御師さん!」
そわそわしながら、制多が口を挟んだ。大人の話に口を挟むものではないと心得てはいたが、まだ子供なのである。堪え性が足りなかった。
「おいら、何か悪いもんが混じってる気がする」
道登は咎めることなく、弟子の言葉に頷いた。
「悪いもの?」と、乙羽は道登の顔を伺う。
「確かなことは分かりません、とにかく……」
言葉を切ると、道登は弟子の肩に手を乗せた。
「夜明け前に出かけましょう。今夜は早く休むのですよ」
「分かった! んじゃ、御師さん、お休みっ」
言うが早いか、制多は囲炉裏端に大の字となり、天井を仰いだ。
「こらこら、そんなところでひっくり返らないっ」
だが制多は、そのままスヤスヤと――寝てしまった。
§
翌朝――乙羽に見送られた道登は、まずは雪女が家族と暮らしていたという猟師の小屋を、目指すことにした。
結界の護りを抜けて再び吹き荒れる雪嵐の中で、昨日と同じく、制多はすっかり、しょげている。
「御師さぁ~ん……この吹雪、なんとかならないのかい……」
ぼやきながら弟子が見上げる師の姿は、昨日と同じく春の中だ。
「なんとかしに行くのですけど……仕方ない。雪避けの術を授けましょうか」
「そんな術があるのなら、早く教えておくれよ」
「昨日から、やって見せてはいるのですけどねぇ」
「えーっ、またそれだったの?」
「文句、言わないの」
「うぅ……分かったから……とりあえず、教えて」
「とり……まあ、いいでしょう。まずですね……」と、道登には珍しく噛んで含めるようにして、弟子に術の稽古をつけはじめた。
理屈は、こうである。
まず、
「おおおっ! 身体がぽかぽかしてき……あ、あああ、あれれれ?」
雪を溶かし、しゅうしゅうと湯気を立てながら、制多の身体が深雪の中に沈みだした。練った気が、温かさを通り越して焼けるほどに熱くなっているのだ。
堪りかねて、制多の胸元から小鳥の美夜が飛び出した。
「こら制多! 儂を焼き鳥にするつもりかっ!?」
「うわわわわ、ごめん、ごめんよぅーっ」
「落ち着きなさい制多、呼吸を深くするのですっ」
叱咤する師の声に従って、制多は呼吸を整え我が身を鎮めようとするのだが……どうにも落ち着く様子がない。そのまま雪の中を進む姿は、まるで焼けた大岩が転がって、雪の中に道を作るようであった。
「ほう……これはこれで、なかなか便利かもしれませんね」
にわかの除雪術で作られる山道を、道登は弟子の背中を追いながら、霊気の中心目指して足を進めた。
やがて師弟は、雪に埋もれた猟師小屋に辿り着いた。
小屋の戸口を前にして道登は右手に印を結ぶと、気合一閃、左から右へと真っ直ぐに右腕を払った。するとどうだろう、小屋を隠した雪だけがふわりと、跡形もなく霧散したのである。
しかし払ったそばから小屋は白く染まってゆく。吹雪の勢いも容赦がない。
「どうやらここが、乙羽さんが言っていた男の家……雪女と娘の三人で暮らしていた場所のようですね」
再び埋もれだす前に、道登は家の中を調べ始めた。
部屋のそこかしこに間違いなく、人が暮らしていた名残が見て取れる。
だが、それだけであった。
吹雪を起こす霊気の中心は確かに、この猟師小屋のあたりなのである。
何もないが、何かが、あるはず――。
ふいに、煤ぼけた梁の上に留まっていた黒い小鳥が飛び立って身を翻すと、
「どうしたんです、急に?」と訝しむ道登に、美夜は家の奥を指さした。
「ずっと向こうに幼子の気配があるようじゃ……が、酷く小さい」
思案する美男と美婦の前に、雪まみれになって雪童子の如き制多が現れた。
「御師さん、あっちに何かいた」
「お前……その恰好、雪避けの術は諦めたのですか?」
「だって、雪の上を沈まないで歩く術と一緒だと、難しいんだもん」
それより――と、制多は師の袖を引いて、師と友を小屋の裏へ誘った。
弟子の案内で、道登と美夜は小屋の裏道を進んでゆく。やがて崖下にある小さな洞窟の前に一行は辿り着いた。
「御師さん、この中だよ」と言いながら、制多はさっさと穴の中に入ってしまう。大人二人は狭くて天井の低い道を、のそのそ屈んで進むことになった。窮屈な思いを強いられたが、ほどなくして大人が立てる程の高さがある、四畳ばかりの小さな部屋に行き着いた。
部屋の奥には、壁を背にして高さ四尺ほどの氷塊が立っている。
「ほらここ、人がいる」と制多は氷の中、白い着物姿の少女を指さした。
「気配の源はこの娘であったか。死んではおらぬが……」
眉をひそめる美夜の前に進み出て、道登は氷塊に閉じ込められた少女の前に片膝をついて座った。
「どれ、私が話をしてみましょう」
そう言って氷の上に手のひらを置いて目を閉じ――法師は、動かなくなった。
――暗闇の中、幼い娘が独り、
いつからこうしているのか、少女の記憶は定かではない。
暗闇であるのに、自分の姿はくっきりと見える。
他に何もない世界で、何かを、誰かを待っていることのみが心にあった。
誰だろう、誰がくるのだろう――誰も、来ない……そう思って過ごしていた少女の眼の先に――小さな光がぽつりと、現れた。
体を起こして目を凝らすと――誰かが、来る。
だが、あれは待ち人ではないと、何故か少女には分かるのである。
やがて目の前にやってきたのは、麗しい顔をした若い男であった。
知らない人である。
裳付姿であった。
悪い者ではない、とだけが分かった。
闇の中、ひとり春を纏ったような法師が、目の前に座った。
道登である。
法師は静かに手を伸ばすと、そっと優しく少女の額に、触れた。
少女はとたんに、微睡みから覚めた。そうして我が身に起きたことを、全て思い出した。思い出してしまった。そして涙を、どっとこぼした。
泣きじゃくる少女を、道登は懐に抱いた。
少女の背を、そっと撫でた。
そうするうちに、果てることなく泣くかと思われた少女は、落ち着きを取り戻す。
これも何かの術なのか、それとも、法師の優しさが為せるのか。
やがて気を鎮めた少女を立たせると、道登は少女と話を始めた。
「あなたを助けに来ました。私は道登という旅の法師です」
「あたしは、
「では、お幸さん。あなたと父上母上に、何があったかお話しできますか?」
「うん」と頷く幸の瞳に、悲痛の色が滲む。
震える声でぽつりぽつりと、少女は身の上を語り始めた――。
「
と言って、
「
と言った。
日照りをもたらした者の正体と、真夏の吹雪の原因を、道登は知ったのである。
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