第41話 獣臭い男

 ――いつも夕暮れだった。

  人の世と彼の世の境は、常にざらついた不安の朱である。


 日の高い内は学校がある。仕方ない。それは乙女の矜持だ。

 勉学に勤しみ、交流の機会を漫ろに散らし、そそくさと帰宅しては指令を待ったり、指示通りに神田の東京支部に出頭する。友達付き合いが出来ないのは苦しい。初江や磯子とも全然出来ない。

 それでもこれは自分の選んだ道なんだ――、と心に刻み込むようにミエコは目を瞑った。



 夏休みを終えた初日、神田、日本橋川の空気を目一杯吸いながら、一人ビルヂングの前に佇む。初秋の気配が帝都を覆い、肌を拭う風は些かに冷たい。



 瞼を閉じて。

 思い出されるのは幼き日々。

 父の言う『人並み』の世界。

 もう戻ることもない。

 夜に舞い、魔を討ち、影ながら人を救う。



「ここにいたの、ミエコ」

 とヒノエが髪を靡かせながら声を掛けてきた。これから会議が始まる、その束の間の休みであった。

「もう始まる?」

「えぇ。行きましょ」

 感情の抑揚なく、踵を返してビルヂングに入っていく姿を見て、ミエコは少し駆け足で彼女の後を追った。



 神田にある『羅刹』本拠。

 東京支部は四階建てのモダンなビルヂングであった。エレベータも地下もあり、巨大デパートでしか見かけないオゾン空気清浄機まで完備されている。

 ミエコはヒノエに続いてラウンジを抜け、吹き抜け天井を見上げた。一見一流ホテルを思わせるほど、有りと有らゆる所に意匠が施されている。彫刻と調度品の良い塩梅が、現代と前近代を一緒くたに混ぜ合わせつつ、整然と帝國に恥じぬ顔を擡げる。



 ――見かけは良いんだけどね。

 と、ヒノエとエレベータに乗った所でミエコが嘆息を吐いた。

 外面は帝都に恥じぬ様相。内装も豪華。しかしながらその実、ここは羅刹の本拠であり、有象無象の怪異現象に対応すべく設計、建設された近代的呪術拠点であった。受付嬢も、ラウンジで微睡むサラリーマン風の男も、全て羅刹の輩であり――、否、全国の構成員でも選りすぐりの才能が認められた者だけが、此処に配置されているという。

 ミエコにはよく分からなかった。

 そんじょそこらの怪異など、多重防御の結界に阻まれて近づくことも出来ないらしい。聞かされた話では、それも伊沢とヒノエという当代一流の呪い師が磨き上げた一種の芸術作品でもあるという。



「今日は人と会うんだっけ?」

 ガクンと揺れるエレベータの中で、ヒノエの後ろ姿に声を掛けた。

「そうよ。大阪支部から人が来ているの」

 ちょっと癖があるけど、とボソリと呟いた。

「まぁ、怪異と命懸けで戦う輩だもの。なんて気にならないわ」

「会う前に聞く人物評としちゃ、最悪の部類ね」

 と鼻を鳴らしたところで、チンとエレベーターが3階で止まった。



 整然と無機質な廊下が続く。フロアには三室しかなく、作戦司令部を兼ねた事務所、会議室、機械室である。事務所にツカツカと足音を立て、ヒノエとミエコが続け様に入ると、幾つも並んだ事務机の向こう側で、伊沢が窓から差し込む夕日を背に浴びていた。

 口元を扇子で隠している辺り、何か考え事をしているのだろう。



 しかし、見る度に思う。

 一応、責任ある偉い人間なのよね――、この弁士崩れも、と。

 ミエコが「戻ったわ」と口にすると同時に、

「おー、ヒノエはん! 元気でっか!」

 と、太鼓を叩いたような大声が全員の耳に劈いた。



 伊沢の横に佇む男――、その外見にミエコは目を見開いた。

「この人がその人。丸島虎三さんよ、ミエコ」

 と、視線を交えずヒノエが呟いた。

「そない本名で言わんでええのに。他人行儀やなぁ」

「紹介するなら普通そうでしょ、まったく」



 丸島と紹介された男は、非常に分かりやすい外見をしていた。

「えぇと、丸島さん? ……の選手ですか?」

 六尺を上回る巨体に浅黒い肌。筋肉がスーツを着ているように、上半身は見事なまでの逆三角形の体躯に、ミエコが浮かんだ推測がそれくらいしかなかった。彫刻の題材になりそうな体躯の上に、日本人らしい丸顔が乗っている。

「そんな訳あるかいな! しっかし、まぁ、あんさんが――」

「神宮司ミエコさんですよ」

 肘掛け椅子にどっぷり浸かりながら、伊沢が答えた。



「べっぴんさんやなぁ! ミエコはんは」

 なんで最近そういう人物評が多いのか――、ミエコは頭を抱えながら「あ、ありがとうございます」と礼を言うしかなかった。その様子に口の端を上げたヒノエは、笑いを堪えるように「もうちょっとまともな自己紹介をしたら? お互いに」と段取りを付けた。



「せやな。……わしが羅刹大阪支部長の丸島や。の依頼で、ある目撃情報の調査のために来たんや。まぁ交流も兼ねて――、ってそこら辺は伊沢はんに任した方がええやろな。とにかく数日間世話になるで」

 何にもなければええんやけど、と続け様に呟いた。

「何の調査? 西で起きたこと? それとも東京で?」

「――それを聞く前に自己紹介しなさい、ミエコ」

 呆れたようにヒノエが溜め息を浮いた所で、丸島が笑いながら「いやいや、良いんですわ」と遮った。



「神宮司財閥のことは聞いとりますし、ミエコはんが一番聞きたいのは、見慣れぬわしがいることでっしゃろ? ……単刀直入に言わせてもらいまっせ。実は姫が言うとるんです――」



 この国を覆う龍がおかしなっとる――、と。

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