第33話 探し物はなんですか?

 夏休みも、もうすぐ終わり。

 夢の時間はあっという間。でも、それは乙女の夢なのかしら?



 聖ウルスラ高等女学校は寂寞しんと静まりかえっていた。月夜を浴びた白亜の校舎は、夏の夜の夢も遠く過ぎ去り、虫の音、蛙の声が幾重にも重なり深く深く木霊する。音の奥深さは何処までも吸い込まれそうで、夏の夜寒は遠い秋の気配を感じさせている。

 ミエコはジャケットを僅かに整えた。



『3人揃ってここに来るのも久しぶりですねぇ』

 言葉は要らない。いや、極力口で話してはならない。

『あの時は色々壊しちゃったけど、結局二人は何処にいたの?』

『ただのくさむらの影よ。寒いったらありゃしなかったわ』



 かつて――。

 噂に踊らされ、怪異に遭遇し、磯子が宙を舞い、夜の校舎を駆けた。

 月夜の晩、肌を舐める空気以外は何も変わらない。ミエコ、ヒノエ、伊沢の3人は校舎の影をなぞるように歩いた。思い出話の形式を借りたが始まった。



でミエコさんには、ちょっとしたしゆをかけてましてねぇ。私の依代よりしろとヒノエさんの千里眼で不穏な気配を察知してたんですよ。ただ、いつ異能に目覚めるかなんて分かりませんから――、忙しいのに待ちぼうけでしたよ』

 伊沢は酷くんだかおをした。



『二人とも、可憐な乙女を監視した罰ね』

『好きで見てたんじゃないわよ』

『ほんとぅ?』

 ミエコの戯けにヒノエも倦んだようにミエコを見た。



『なによ、その言い草は』

『前に天邪鬼にらかわれてたじゃない。アマショク仲良い友達だの、嫉妬ジェラシィだのって。乙女を監視する心の奥底、ばかり……、ってね』

『…………思い出したくもないわ』

 指をこめかみに当てながらヒノエは深い溜息をついた。



『ま、冗談よ。見られてたのも気にしてないわ。気分を害したらゴメンね』

 以前なら、ここで買い言葉に売り言葉、大声喧嘩の花が咲く――はずであった。だがミエコは飄々と言葉を翻し、さつと足取り軽く歩み出した。

『――大丈夫よ、私も気にしてないから』

 ヒノエも合わせて歩き出す。二人にやや遅れ、伊沢は肩を竦ませながらも僅かばかりの笑みを浮かべていた。



 辺りには蛙の声が木霊している。

 小さな池の畔。僅かばかりの深林を潜った所で、『お二人とも、こちらですよ』と伊沢が呟き、二人が振り向いた。月夜の木陰、3人向かって左脇にひっそりと小さな祠が佇んでいる。

「『え……、そんなところ?』」

晦ましの式迷妄術式ね。気づかなかったわ』

『ヒノエさんにそう言ってもらえると、念入りに術を掛けた甲斐があるってもんです』

 月明かりに浮かぶしたり顔。ヒノエは再び溜息をつくと、祠の前に立った。



 鬱蒼とした草に埋もれ、大きな岩にもたれ掛かるような煤けた屋根瓦が見えた。寂しげながらも威厳を漂わせる――祠。

 祠である。

 記憶の限り、もうちょっと池に近かったような気がするが、気のせいだろうか。ミエコの疑義に伊沢が、これまたバナナのような口角でほくそ笑んだ。



『元々目に付きにくい所でしたが、念には念を。岩陰に遷しました。勿論、上でね』

『夏休みになってから知らないけど……、無くなって噂にならないかしら?』

『擬洋風の基督キリスト教空間に囲まれた中じゃ浮いてたでしょうけど、んでしょ? 場所も知らず、そこに神様がいるなんて思わず、――ただ朽ちるだけ』

 ヒノエが俯きがちに首を振った。



「『今は違うわ』」

 ミエコの声色に自信が宿る。

「『皆から忘れられても、私は覚えているわ。時代、場所、宗教、何もかもが不遇であったとしても、誰かに知られているのと、全く回顧だにされないのじゃ雲泥の差よ。……たった一人でもね』」

『ミエコ……』



 朽ちた祠を前に少女達は認め合う。

 伊沢が苦笑いしながら印契を切り始めた、その時。



『ひょっひょっひょ――、殊勝な心がけじゃのぅ』



しわがれた声が脳裏に響いた。

 こうこうの声調、何処どこにでもいそうで何処どこにもいなさそうなこわいろで。耳に届かず脳髄に染みる――念話に皆が顔を上げた。とも言えぬ祠から、ぼんやりと光が浮かんでいる。柔らかな光はやがて丸くなり、反り返った祠の屋根の上でかたちを成す。



『……これは』

多邇具久命タニグクノミコト――神様の一柱ですよ』

 伊沢がいつの間にか取り出していた扇子をパチリと閉じた。薄ら明るい光背が、かの者の姿形を闇夜に浮かび上がらせる。余りにも分かりやすい姿に、思わず一言が漏れた。



『――蛙、ね』

『そりゃそうじゃよ、お嬢さんや』

 ミエコの軽やかな放言に、多邇具久たにぐくと呼ばれた神様はホホホと笑った。褐色、黄褐色の斑模様、顔面いっぱい真一文字の口、ぎょろりと輝く金色の瞳。百年、いや、幾年経た老僧、知者の如き風格の――ヒキガエルである。



『あの節は迷惑を掛けたのぅ、すまんかったわい』

 率直に多邇具久が頭を下げた。ガッチリと大地を掴む短い手足、まさしく蛙のからだであるから、土下座しているようにしか見えなかった。



『……恨んじゃいないわ。私はどうでも良いけど、彼女――、磯子が危険な眼にあうのは、もう懲り懲りね』

 精気を吸う怪異。伸びてきた舌を全力でぶん殴った。フラッシュバックする記憶がチカチカと瞬きながら肩を竦めた。

 



『そうじゃのう。儂のとは言えスマヌ事をした。男と、そこの娘が色々くれたから、もう大丈夫じゃ』

 意気揚々と顔を上げた多邇具久の様子を見て、戯け半分に口をすぼめた。

『もう若い女の子から、精気は吸わない?』

『……………………うむ』



『何で長く黙るのよ、ちょっと!』

『いやぁ、若いもんの気は、溌剌として気持ち良かったからのぅ……』



 ――このクソガエル。

 前言撤回だ。朽ちてしまえ。

 思わず念話でぶつけてやろうかと思ったじゆの数々を、必至に腹中に留めつつ、ミエコは視線をヒノエに流した。何度重ねたか分からない溜息をついて、黒き巫女ヒノエが祠の前に立ち塞がった。



『多邇具久様、それ以上けられますと、「羅刹」流の荒魂鎮魂の儀タコ殴りを執り行いますが――、よろしいですか?』

 彼女の懐から、するりと短刀が頭を覗かせる。柄を握り、白刃がそろりと姿を現しかけたところで、多邇具久は電光石火の如く平身低頭した。



『ス、スマン――、じょ、冗談じゃ冗談! もう二度とせん! 天地神明、幽冥主宰大神オオクニヌシに誓って、もう手はださん!』

『舌も、よ』

『も――、勿論じゃ!』



 ――本当かしら?

 伊沢もミエコも半信半疑に視線を交わし合ったが、ヒノエが短刀をパチリと仕舞う音が響いた。落とされた緞帳に、多邇具久もほっと一息に胸を撫で下ろしているようだった。



『そ、――それで、何を知りたいんじゃ? 何か聞きたくて来たのじゃろう?』

 辛くも逃れた修羅場を振り切るように、ヒキガエルの頬がぷっくりと膨れた。

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