第29話 秘密教団ってなんなのよ
「うへ、もうバレてらぁ」
夏の盛りにコートを身に纏う猿顔の男は、口角をへの字に下げて肩を竦ませた。オーバー気味のリアクションも含めて、馬鹿っぽさが倍増する。
だからこそ――、信じられない。
「と、特高?」
素っ頓狂な声が自然と上がった。
「け、警察なの、コイツ?」
「警察は警察でも、特別高等警察ね。内務省警保局以下、全国警察組織の花形、出世の花道、そして
ヒノエの朗々とした雑言に驚くミエコだったが、特高と言われた男は、眉から口からもすっ――と力が抜け、拍子抜けした
「なんだ『羅刹』かい。なら話が早い」
つまらなさそうな猿顔のまま、男はポケットから両切り煙草を取り出し、慣れた手つきで燐寸を灯した。
「俺ぁ、アンタを知らないが――」
「窓口は伊沢だから」
「あぁ、伊沢の旦那ね。りょーかいりょーかい」
ふぅ――と吹かした煙が夕焼け空に消える。
何が了解だ。文字通り煙に巻かれそうで、ミエコは喰い気味に問い詰めた。
「……で、アンタ名前は? どうして付け回すのよ」
睨み付けるような視線に、猿顔の男はぽりぽりと後頭部を掻いた。
「ま、羅刹ならいいか。……俺の名前は
つい最近のことだ。
在日英国人の一部がスパイ活動を行ったとして検挙され、その内、欧米通信社のコックス氏が飛び降り自殺をした事件である。英国は報復として英連邦各地の日本人を逮捕するという、互いに油に火を濯ぐ行いをしており、事態収束の目途は立っていない。
文字通りの国際問題に国内世論は沸騰し、戦争が始まって以来の「諜報熱」が高まっていた。何処にでも共産主義者、英米、中国国民党のスパイが居ると仰々しく騒がれると、おばちゃんの井戸端会議までもがスパイ狩りと密告の鉄火場になる。
「洋装と巫女服の組み合わせで、どーして英国スパイになるのよ」
「いやぁ、その取り合わせの方が怪しいだろ。うら若き女学生と
猿渡は短い
「……あなた
ヒノエの毒舌に猿渡はぽかんと口を開いた。
「アンタ凄いなぁ、よく分かるねぇ。神通力? それにしても随分と明け透けに言ってくれるじゃあござんせんか、お嬢さん」
――誰でも分かるわよ。
それに、コイツも
「そりゃ、俺は出来は悪いぜ。周りの連中ときたら超が付くほどエリートエリートしてるからな」
「でしょうね」
「へへっ、でも上司より俺の方が手柄は多いんだぜ、これでも」
――ホントかしら。
疑義を挟もうとした時。
『……こいつ、異能者ね』
ヒノエの念話に、チラリと視線を流した。
『どんな?』
『多分だけど、偶然を引き寄せる類い――
『あー、もしかして英国で言うところの「ビギナーズ・ラック」って感じかしら』
『……何それ』
『向こうの
『ふぅん。ま、この猿男、余程運が良いのね。多分、
『こいつがねぇ』
無言で念話を重ねたせいか、猿渡が怪訝に眉を峙たせた。
「おいおい、なんか言ってくれよ。嘘はついてねぇぜ」
「……分かったわ。ま、信じましょ。で、英国スパイじゃない私達への嫌疑は晴れたでしょ? それより――」
気になった一言。
「例のテロリストって何よ? 赤色系?」
発足当初から現在に至るまで、共産主義の脅威こそが特高の存在意義であったから、ミエコの一言は当然であった。しかし猿渡は大げさに首を振る。
「いんや、違う。俺達は
――なんだそれ?
吊り上がった眉が答えだ。
『……ミエコ』
顔色一つ変えないヒノエが、視線を交えずに語りかけてきた。
『聞くのは良いけど、コッチの情報は最低限。色々攪乱されるのも嫌だし』
『――そうね』
「羅刹本部は知っているかも知れないけど、私個人はよく知らないの。特高は何処まで知ってるの? 教えてちょうだい」
御転婆少女の問いに猿渡の貌がニタりと歪む。
「へへっ、
「後で伊沢に聞くから別に言わなくていいわよ」
ヒノエの一刀両断に猿渡が梯子を外されたように体勢を崩した。
「そ、それじゃ聞くなよ! 羅刹のあんた達なら、邪教教団も外国人書生の事も知ってると思ったのによ。情報交換にもならねぇぜ!」
――外国人書生。
――デービッド。
ミエコの脳裏に光を纏う金色の書生が蘇る。怪異との邂逅と抱擁。名前だけを残し雑踏に消えた彼――、後ろ姿と微笑みがまざまざと瞼に浮かんだ。
「――外国人書生? 何者よ、そいつは」
呆然とするミエコを他所に、ヒノエが二の句を継いだ。
「いやー、件の
ペラペラと流れる言葉の洪水、その只中。舞い降りた夕闇により濃さを増す影に、己の不安を融かすよう目を瞑る。ミエコは認めたくない情報に、唯々項垂れるしかなかった。
――デービッドが、テロリスト?
――よく分からない秘密教団の、テロリスト?
「ともかくよ、警視庁の特高で
「……一言余計よ、この猿男」
ヒノエと猿渡の掛け合いも耳の上を流れる雑音に過ぎない。ミエコは視線を泳がせながら、
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