第16話 意外な遭遇

 肉厚の刀身が鈍い輝きを放つ。

 鋭さは外形に違わぬであろう。チカチカと瞬く電光を浴びて、怪異を殺せと囁くように短刀は冷たい重みをしっかりとミエコの手に伝えていた。



「こ、これで――」

 殺せという。



 ミエコは数瞬わなき、視線を泳がせた。

 確かににわとりを捌いたこともある。うさぎも捌いたことがある。でも子鬼とはいえ――人型の、子どもより大きい、やはり人型である。

 短刀の切っ先はためい、頼りなく揺れる。



「……何してるの。さっさとやりなさい!」

 ヒノエの冷酷な叫びが怒りを伴い工場に劈く。

「で、でも――」

 ミエコは僅かに口籠もった。



 如何に拳で物を言わせてきたとしても『殺す』のは次元が異なる。刺された者、斬られた者は鮮血を流し、筋を切られて骨を断たれきようかんの内に絶命する。人型の怪異なのだから、なのではないか――。おぞましい想像がミエコの背筋を震わせた。



「弱っている今のうちにさっさと刺しなさい! この工場を元に戻したいんでしょ!」

 怒声に紛れる冷静な言葉を投げかけられ、ミエコは口角を下げながらヒノエを見た。

「……そうよ。だからこそ……」

 ぬきを触る指先に力が込められる。

 それでも僅かに打ち震える切っ先を見て、ヒノエが溜息をついた。



「……あなた、自分の力が分からないのね」

「え――」

「あなたの力は清祓きよはらえ――、向こう海外の連中は『神聖化』とも呼んでるわ。あなたの手から溢れるその光は、邪なるモノを祓う力よ」



 光――?

 ミエコは不思議そうに自分の拳を見下ろした。

 見れば――、淡く白い光が眼に映った。拳を包み込む儚げな光。湯気が空気中に霧散しゆたうように、両手の掌から滲み、溢れ出る。



「こ、これは――」

「だから。ちゃんと気を念ずれば、刃にも祓う力が伝わるはずよ」

 倦んだような物言いだが、助言そのものは的確だ。



 ――おおの舌を殴った時みたいに。

 ――念じて。

 ミエコはを必死に思い起こしながら、抜き身の短刀を引っ提げて天邪鬼に向かってゆっくりと歩き出した。



『ヒ、ヒヒィィ!』

 藻掻き苦しむ天邪鬼が狂ったように怯え、絶叫がはこに響き渡る。足腰が立っていない弱者に忍び寄る殺し屋――。ミエコは己の姿を思い、感情の揺さぶりに唇を噛んだ。



 ――怖じけるなんて

 ――お父様の邪魔をする元凶を、私の手で。

 天邪鬼の目の前に立ち塞がり、ミエコは順手で刀身を前に突き出し掲げた。



「――覚悟!」

 ミエコの眼が鋭く光る。

 静寂を切り裂くように、全身全霊の力を込めて刀身が突き出される。

 紫電一閃の一突きは、天邪鬼の右胸上部へ――。




『ヒ、……ギャアアァァァ!』

 ミエコの前髪が揺れ、ジャケットの裾が翻る。力強く突き出された鎧通しは、遮ろうとした天邪鬼の左腕をも退けて深々と突き刺さっている。




 刺さっている。

 だが――、





『ひ、ヒヒ、……ヒヒヒヒ! 効かねぇなぁッ!』


 突如。

 天邪鬼の高笑いが響き渡った。

 ミエコが驚きの声を上げる間もなく、天邪鬼の豪腕に筋肉が蠢くように迫り上がる。次の瞬間、ミエコのからだは払いのけられるように軽々と宙を舞っていた。



「くッ――!」

 短刀を手放した腕が幸いにも一撃をふせいだ。それでも豪腕の勢いは激烈で、彼女は木の葉のように吹き飛ばされ、堅い混凝土コンクリートの地面をボウリング球の如くゴロゴロと転がった。



 明滅する明かりにめる煙。

 ミエコは喘ぎ、せびながら辛うじて上体を起こした。



 ――痛い。

 膝も肘もが痛い。



「な、なんで――!」

「力があまり伝わってないからよ。拳から先にしっかり伝えるには多少の修行が必要ね」

 澄ました声で酷いことを……、ミエコは怒り心頭に悪態をついた。



「そ、そういうことは早く言いなさいよ! やれって言ったのはそっちなんだから!」

「あなたに力があるって言ったのは事実よ。――でも、ここまで形になっていないとは思ってもなかったわ」

「なぁんですってぇ!」



 乙女の醜い言い争い。

 喧騒ばかりが工場に虚しく響き渡る。

 その間にも、意識のらちがいに置かれた天邪鬼は音もなく立ち上がり腰を落とした。その所作を視界の端に捉えたヒノエが視線を向けたが、気づくには遅すぎた。



『ヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒ!』

 悦に浸る叫喚――。

 天邪鬼の鋭い爪が禍々しくしなるのをヒノエは見た。うごめき迫り上がった大腿筋が醜く波打ち、瞬く間に天邪鬼は天高く跳躍したのをミエコも見た。



 ミエコの瞳に映り込むのは、殺気を伴い明滅する光を身体に浴びる鬼。鋭い爪が、豪腕が、自分を殺しにやってくる。その事実が言葉になる前に、彼女は反射的に避けようと大きく上半身を捩ったが、痛みに支配された躯はとても動きそうにない。



 ――駄目、だ。

 ミエコは瞬時に目を瞑った。

 何れ来たる痛みの予感に、強く強く眼を瞑った。

 しかし――。



 刹那のこと。

 建屋の空間いっぱいに、耳を劈く雷鳴が轟いた。

 尋常ならざる、あまりに聞き慣れぬ甲高いへきれきが。同時に『バチン』と激しく弾ける音が不協和音を奏でる。

 ミエコは瞬時の轟音に身体を竦ませ、思わず顔を伏せた。




 だが――、何も起きない。




 一瞬の雷鳴が過ぎ去り、しこうして残響激しく筐を揺らす。けんのんな空間が水を打った静けさを取り戻した頃、刺激的な火薬の臭いで彼女の意識は現実に引き戻された。



「な、なに……?」

 恐る恐るミエコが顔を上げた。



 ぼやける焦点がゆっくりと明瞭になっていく。光陰の瞬きは収まり、薄暗い白熱灯だけがヒノエとミエコの間隙を照らしている。ゆらゆらと揺れる灯り白熱灯に照らされて、影が一つ闇からじわりと現れた。



 硝煙の香りを漂わせ――。

 真っ直ぐに伸びる長い銃身対戦車ライフルの影が落ち――。

 じんあい棚引く暗闇というの向こうから――女。

 僅かに口を開き、ぽつりと呟いた。



……」

 聞き覚えのある声。

 聞き覚えのある背格好。

 三つ編みを降ろし、いつものロイド眼鏡を外した使





「…………志乃?」





 現実感が唐突に喪失し、ミエコの頭の中は真っ白になった。

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