セラフの聖槍
テンタクルズ武田
001.救国の英雄
カリストリア聖王国通信 特別号外
「神に選ばれし英雄、またも勝利!」
その姿を見た者は口を揃えてこう語る──「彼は神の化身だ」と。
白銀の剣を携え、背中には光り輝く羽根を広げ、彼は北の闇を切り裂く。聖王国の守護者として、彼はまたもや敵軍を撃退し、この大地に神の祝福をもたらした。
ノクスリッジ山脈の麓で繰り広げられた激戦。死を恐れず突き進む「英雄」の姿に、兵士たちは奮い立ち、恐るべき北の軍勢──忌まわしき魔獣どもを見事撃退した。
以下に、今回の勝利を象徴する一枚の映写魔法の画像をご覧いただこう。
その背中に広がる光の羽根は、まさに神の証。これが彼だ、これが我らが英雄なのだ。
その下に掲載された映写魔法で作成された絵には、光の羽根を広げた英雄の背中のシルエットが神秘的に映し出されている。
しかし、皆の記憶に残るのは彼の顔ではない。むしろ、それが重要なのだ。
英雄は「個」ではなく「神の代弁者」であるべきだと、聖王国教会の高司祭は語る。「英雄の姿そのものが信仰を強め、国民を一つに結びつける力となるのです」。
映写魔法という新たな技術が生み出す神秘の中で、私たちは彼の背中を見つめ、その意味を想像するだけで良いのだ。
──我らが英雄は、今日も神の加護を受けて戦場へと向かう。
◆
この世界に神がいるとするなら、それは冷酷な観客に過ぎないのかもしれない。
カリストリア聖王国の北部に広がるノクスリッジ山脈。切り立った岩壁と霧深い谷間は、すべてを拒むような威圧感を放つ。人々はこの地を「神と魔の境界」と呼び、その先に存在するものを「人の敵」として語り継いできた。
その「敵」は人々の言葉を理解せず、共存も拒む恐るべき存在──魔の軍勢。人々は彼らを「魔獣」と呼び、その恐怖を語り継ぐたび、心を震わせた。魔の軍勢が侵攻するたびに聖王国は被害を受け、そのたびに「英雄」が立ち向かうのだった。
その英雄こそ、白銀の剣を携え、光の羽根を広げる戦士──カリストリアの守護者。
「英雄」はすべてを沈黙させる。千の魔獣を退けるその剣と、背中に輝く羽根が、神の加護を示していると国民は信じて疑わなかった。
しかし、英雄自身の瞳には、何の信仰の光も見えていなかった。
今日もまた、戦いの幕が上がる。ノクスリッジ山脈の麓、冷たい風が吹き荒れる中、男は剣を構え、霧の向こうに蠢く影を見据え、ヴァリクは無言で携えていた槍を胸に突き刺した。
「ゔっ……ゔぇっ……」
何度も何度も経験している痛みなのに、あまりの激痛に声が漏れてしまう。
膝丈程の短い槍を自身に突き立てるのには理由がある。ヴァリクが英雄の能力を解放する為に必要な儀式なのだ。
荒い息を一つ整えると、さらに槍を深く自らの胸に押し込んだ。すると、ようやっとヴァリクの背中側から槍の先端が僅かに顔を出したのが分かった。そこからまるで花が開くかのように、光で出来た大きな羽根が生える。
そしてヴァリクの心は、静かな夜の海のような、無感情な静寂に包まれた。
意識が沈む。
心臓に刻まれた魔法陣が発動して、心も身体も無機質に変わっていく。
これで、もう大丈夫。戦える。
◆
「はー、緊張する〜」
私が馬車の中で大きな独り言を言うと、隣に座っていた編集長に頭を小突かれた。
「コラ、聖騎士様の前でなんと気の抜けたことを」
「あうっ! はひぃ、すいません……」
「ははは、お気になさらず。我々も、ヴァリク様に初めてお会いした時は緊張しましたから、お気持ちは分かりますよ」
対面式の馬車の中、私の目の前に座っている銀の鎧姿の男性が温和な態度で返答をした。たしか、ヘンリーと名乗っていた青年だ。今は英雄ヴァリクの王都内での警護を担当しているらしい。
その朗らかさとは真逆の態度なのが、ヘンリーの横に座っている同じ銀の鎧姿の口髭を蓄えた中年の男だ。名をダリオンと名乗っていたが、名乗ったきり口を閉ざしている。ヘンリー曰く、真面目すぎて頑固で気難しい男なのだそうだ。
ダリオンは馬車内の座席に縮こまるように座る私を、上から下まで値踏みするようにジロジロと眺めた後、腕を組み直して窓の外に目を移した。嫌われていることがありありと伝わり、思わず苦笑いしてしまう。
「あー、ダリオンが失礼を。ダリオンはヴァリク様に対してかなり過保護でして」
「ヘンリー」
場を和ませようとしたのか、ヘンリーの言葉にチッと舌打ちをしたダリオンが、話をできるようと開いていたヘンリーの鎧の面を手でバシャリと叩いて閉めてしまった。思わず編集長と揃ってびくりと肩が跳ねてしまう。
ダリオンの顔を見ると、いかにもヘンリーの言葉が不服であるというように、鼻に皺を寄せていた。そんなに怒らなくても良いだろうに。
カシャカシャと金属同士が当たる音が聞こえるのも憚らず、ダリオンはついに貧乏ゆすりまで始めた。そろりそろりと編集長と目を合わせ、小さく頷き合ってお互いの手元にある資料に目を落とすことにした。
◆
救国の英雄、ヴァリク。
彼が活躍し始めたのはつい5年ほど前のことだ。
彼が聖王国の英雄の称号を賜ったのは、その後すぐのことである。
記事曰く、聖王国騎士団がノクスリッジ山脈の麓で一人で魔獣と戦う彼と出会い、聖なる儀式にて彼が神の加護を受けた聖王国の英雄であると認定されたとのことだ。
人知れず魔物と戦っていた彼は、森の中の魔物に滅ぼされた村の出身であるらしい。村を全て焼き払われたその時、神の加護をその身に宿したと語っていたそうだ。そこから約一年程、孤独に魔物と戦い続けていたというから驚きである。
そんな記事の数々を、カリストリア聖王国通信社に入る前から読み漁っていた私、ロベリアはこう思った──記事がつまらん。
内容が面白くない。ヴァリク様がまた勝った! ヴァリク様勝利!
それは良いことだ。真っ先に伝えるべき情報だろう。
しかし、ヴァリク様の名前と、ご出身が存亡の村らしいことと、ヴァリク様が千の聖騎士にも万の聖騎士にも匹敵する程の力を持っていることしか伝わってこない。
ヴァリク様って何者? ヴァリク様って普段何してるの? 救国の英雄とはいえ、人間なのだからどこかで寝起きしてご飯を食べることもあるはずだ。だけど、そういった人柄に関する情報はどこにもない。
だからなのか、ヴァリク様の記事を見てもなんだかお伽話でも聞かされているようで、いまいちピンと来なくなった。ヴァリク様が現れた当初は夢中になって新聞を読み漁り友人達とヴァリク様の活躍について大いに語り合ったものだが、英雄であるヴァリク様が戦いに勝利して戻って来るのが当たり前になってしまって、すっかり慣れてしまった。せっかく最新の映写魔法でお姿が掲載されることが増えたにも関わらず、その姿は光り輝く羽根を生やした後ろ姿しか──といっても、このお姿の公開自体は世間的には衝撃で、救国の英雄をモチーフにした絵画やペンダントの御守りが大流行した──民には伝えられていない。
おそらく、救国の英雄であるヴァリク様自身に、聖王国民は結構興味津々なはずなのである。後ろ姿の映写魔法だけであれだけの大流行となったのだ。戦っていない時のヴァリク様のお姿や、お言葉をきちんと聖王国民に伝えることが、ヴァリク様や聖王国教会にとって、マイナスになるわけがない。
「……って思うんですよ!」
「ほー、面白いこと考えるじゃねぇか」
カリストリア聖王国通信社に入社して主に雑用係として大活躍していた三ヶ月目、やっと開かれた私の歓迎会の中で、たまたま隣に座ったトーマス編集長に酔っ払った勢いでヴァリク様の記事に対して思っていたことを捲し立てた。
「だって、だってさぁ、ヴァリク様に対して感謝してる人ってたくさんいるはずなんですよぉ! 私だって、お父さんが戦場で死んじゃってますし」
「まあ、気持ちは分からんでもないな。最近は金持ち連中の寄進も減ってきているらしいし」
「そう! そうなんですよぉ! 多分みんな、ヴァリク様がいることに慣れちゃったんですよ。数年前まで街から街への移動だってビクビクしてましたけど、今じゃ女性だけで歩いて移動してもなーんにも心配要らないし」
「……ふむ、検討の余地はあるな。だがなぁ、聖王国教会が許可を出すこたぁないだろうな」
私は手に持っていたジョッキをダンッと勢い良くテーブルに置き、椅子の背もたれに身体を預けた。
「まあ、そうですよねぇ。知ってました知ってました、どうせダメですよね。あーあ」
「なんだ、ロベリアはそんなにヴァリク様に興味があるのか」
「当たり前じゃないですか、編集長」
私はゆっくりと上体を起こして、トーマス編集長に向き直って言った。
「あんなカッコいい方、全女子が惚れますって」
「あー、まぁそんなもんか」
トーマス編集長は何故だか呆れたような態度に変わり、ため息を吐いてエールを流し込んでいた。
そんな出来事があった二ヶ月後、突然トーマス編集長に呼び出された私は、寝耳に水の情報に素っ頓狂な声を上げることになった。
「……へっ?」
「だーかーら、お前が前に言ってたヴァリク様の私生活とかのインタビューの件、話通ったぞ。そして担当は」
トーマス編集長は、一度言葉を切ってから、目を白黒させている私に筒状に丸めた書類を突き出してくる。
「ロベリア、お前に決まった」
「へっ? えっ?」
改めて頭の中で言葉を繰り返してみる。
私が、救国の英雄の、インタビューと記事の担当……?
入社五ヶ月目にして初めての記者らしい仕事。それが、まさかの──。
頬がカッと熱くなり、心臓が早くなるのを感じる。皆んなの憧れの英雄様へのインタビューという大仕事に、手にジワリと汗が滲む。かつて友人達と「ヴァリク様ってどんな人なんだろうね」と語り合った思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡る。
「なんだ、嫌か?」
トーマス編集長が差し出した書類を引っ込めようとしたため、大慌てで掴み取って大声で返事をした。
「はひっ! がんばりゅます!」
噛んだ。
その時、背後からクスクスという笑い声と小さな拍手が聞こえ振り返ると、先輩方皆が手を止め、私を優しく見守っていてくれた。
優しい人たちに恵まれた。
そんな先輩方に「ありがとうございます! ありがとうございます!」と、私は何度も胸に手を当て礼を述べたのであった。
そんな出来事から二週間後の今日が、そのインタビュー当日である。
王都内でも一際大きい建物、王城よりも尖塔は幾分か低いが、王城の倍以上もの敷地を持つという聖王国教会本部。その敷地内に、ヴァリク様の邸宅が用意されているという。
そこでヴァリク様と護衛の騎士達で暮らしているらしい。
敷地内に入ってからも馬車でしばらく移動していたため、普段高い壁の向こうから屋根だけを見ていた聖王国教会本部の建物を、物珍しさを感じて窓から外を眺めていると、馬車内にダンッという音が響き渡った。
慌てて振り返るとダリオンが睨んでいたため、慌てて顔を引っ込める。先ほどの音は彼が床を強く蹴った音だったようだ。
取材だから特別に入れてもらえているだけで、無関係の建物を無遠慮に見て良いわけではないのだ。解ってはいたが、荘厳な建物群に目を奪われてしまっていた。
建物のほとんどが外郭の壁より僅かに高く作られており、青い屋根瓦がキラキラと太陽光を反射している。壁も白い石造りで統一されており、陽の高い今は屋根も壁もあちこちが陽の光を反射させる為、ここで暮らすと目が痛くなるのではと思ってしまう。
下を見れば、道路脇には装飾の為だけの水路が通されており、そこも水面がキラキラと輝いている。傷ひとつない磨かれた石畳は馬車がすれ違えるほど広く、あまりのスケールに頭の中の縮尺がおかしくなってきた気さえする。
まさに荘厳。
救国の英雄が暮らす場としては、これ以上にないほど相応しい場所だろう。
しばらく進むと馬車は道を右に進み、この敷地内で二番目に高い大きな建物の前で停まった。ヘンリーが最初に馬車を降り、扉を開けて降りるように促してくる。
トーマス編集長が先に降り、それに続いて降りようとしたところ、ヘンリーに手を差し出され、ドギマギしながらその手を借りて馬車を降りた。ヘンリーはそれを見てニコリと微笑む。自然なエスコートに緊張がより一層強くなってしまった。
反対側の扉から降りていたダリオンを先頭に、大きな建物の扉を潜った。中は吹き抜けになっており、天井を見上げると神をモチーフにしたレリーフが掘り込まれていた。思わず感嘆の息が漏れる。ダリオンはその吹き抜けを真っ直ぐに横切り、奥に続く真っ直ぐな廊下へと進んでいく。そのまま後ろをついて行くと、なんとそのまま建物の反対側に抜ける扉を開けて、外に出てしまった。
思わずトーマス編集長と顔を見合わせたところ、後ろからヘンリーに「合ってますよ」と言われ微笑まれる。疑問に思いながらもダリオンに続いて建物を出ると、目の前にはこぢんまりとした一軒の家が建っていた。
高い鉄柵に囲われたその建物の前まで行くと、そこでやっとダリオンが足を止め、振り返って言った。
「ここで、普段ヴァリク様はお過ごしになっています」
◆
先にダリオンが中にいるヴァリク様に到着の旨を説明してくるとのことで、玄関前でヘンリーとトーマス編集長と三人で待機となった。
緊張で手を握ったり開いたりしていると、ヘンリーが声をかけてきた。
「あー、あまり緊張しなくても大丈夫だと思いますよ。ヴァリク様はとても素朴な方というか、あまり英雄っぽくはないと思いますので」
その言葉にヘンリーを振り返りきょとんと見つめていると、ガチャリと扉が開いて慌てて扉に顔を向けた。
「ヴァリク様、こちらが新聞記者のトーマス殿と、ロベリア殿です」
「これはどうも、カリストリア聖王国通信社編集長のトーマス・グレインと申します。こちらが記事を担当することになった、ロベリア・フィンリーです」
いた。いや、今、目の前にいる。
背が高いダリオンより頭ひとつ高い長身。毛先の乱れた白髪が無造作に揺れる。前髪の隙間から見える、白く長い睫毛に縁取られた目にはオニキスのように黒い瞳。肌は白く美しいが左目の上から右頬にかけて斜めに大きな傷がある。その傷を隠すように、男性にしては少し長めの前髪が目元を覆っている。救国の英雄らしく、筋肉質でがっしりとした体付き。
後ろ姿しか見たことがなかったが、確かにヴァリク様だ。
まずは挨拶をと思っていたのに、緊張で喉が震えて声が出ない。トーマス編集長が私を見ているのが視界の端で分かる。
その時、ヴァリク様が一歩前に進み出て、目を細めてグッと顔を近付けてきた。こてんと首を横に傾け、ヴァリク様は息がかかってしまうのではと思う距離まで顔を寄せてきた。
私はバクバクとうるさいくらい早鐘を打つ心臓をどうにか宥めようと意識しながら「ロ、ロベリア・フィンリーと申します……」となんとか絞り出すように言った。
「あ」と、横のヘンリーが声をあげたと同時に、目の前のヴァリク様がハッと息を吸って勢い良く私から顔を離した。そしてそのまま尻餅をついて床に倒れ込んだ。
ヘンリーがそのヴァリク様の足をピョンと飛び越え、建物内に入ったと思ったら、すぐに戻って来る。その手には眼鏡があった。
「ヴァリク様、眼鏡!」
渡された眼鏡をかけたヴァリク様は、眼鏡をかけると大慌てで立ち上がり直角に等しいほどの角度で上体を倒した。
「す、すみませんっ! 目が悪くて女性だとは気づかず……!」
ゆっくりと顔を上げたヴァリク様は、恥ずかしそうに頭を掻きながら目を逸らし、耳まで真っ赤にして「すみません、すみません……」と口をモゴモゴとさせていた。
私はというと、口をあんぐりと開けたまま硬直していた。
自分の心臓の音でヴァリク様のボソボソとした声が掻き消されてしまいそうだ。目から水分が蒸発しそうなくらい顔が熱い。耳まで熱いのが自分でも分かる。
思っていたよりデカい。思っていたより顔がカッコいい。
そして──想像していた以上に、可愛かった。
救国の英雄は、可愛かった。
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