第8話
8 アルフレッド
妻のカレンは、誰もが振り返るほど美しい令嬢だった。彼女の存在は、私にとってかけがえのない宝物だった。
彼女はその美貌を誇示せず、いつも自然体で純粋だった。彼女の笑顔や優しさ、外見だけでない心の美しさを、私は誰よりも愛していた。
彼女がそばにいるだけで、世界は色鮮やかに輝き、どんな困難も乗り越えられると感じていた。
カレンは私の子を妊娠した。それは本当に喜ばしいことで、心から感謝したし幸せだった。
彼女は、24時間にも及ぶ長い時間を経て、ネイトを出産してくれた。
ネイトはお腹の中で、子宮口を塞ぐ形で着床する前置胎盤だった。
出産時は出血が多く妻の体力はもう限界だった。
彼女の顔は青白く、呼吸は次第に浅くなり、私の手の中でその温もりが失われていくのを感じた。
妻は微笑みながら私の顔を見て呟いた。
「私たちの赤ちゃん、これから一緒に……」
それが、彼女と交わした最後の言葉となった。
彼女は目を閉じ、意識を失った。出血は治まらず、どんどん流れで出た血液はもう人間が生きていられる限界を示していた。前置胎盤のリスクは、突然の大量出血が起こる可能性が高いことだという。
カレンは出産で大量の血液を失った。
医師も、産婆も、妻を救うことは無理だと言った。
こんなことになるなんて思っていなかった。
私は床に膝をつき、彼女を抱きかかえ泣き崩れた。
喉から絞り出された叫び声は痛みと悲しみが混じり、部屋中に響き渡った。
そのまま命を落としたはずだった。
そう、あの時カレンは死んでしまいそうだった。
私は、もう無理だという状態の妻を氷漬けにしたのだ。
マウリエ山の神殿は、氷点下の位置にあり、今もなお、冷凍保存の状態の人たちが眠っている。
これは魔法学会と王家だけが知るこの国の最重要機密だった。
私は妻をそこに眠らせることにした。
毎年1日だけ、彼女に会うことができた。この10年の間、私はマウリエ山へ出向き、彼女と過ごしていた。
もちろん凍り付いたカレンと話をできるわけではないが、いつまでも美しい妻の姿をみて彼女を蘇生できる日を待ちわびていた。
カレンが産後、弛緩出血をした当時、輸血という医療行為はまだ行われていなかった。過去に動物からヒトへの輸血などで試みた実験は全て失敗に終わり、人からの輸血の成功率は約50%だった。
輸血の研究が進み、10年が経ち私はカレンを蘇生、回復させることを決めた。
高度な魔力保持者の私でも、大変危険な試みだった。
私は輸血の安全性が確認されたら、彼女を蘇生することを決めていた。
彼女のいない生活はまるで火が消えたように静かだった。
屋敷の使用人たちが、私と息子のネイトのために必死に明るく振る舞ってくれた。
母がいないネイトが可哀そうで、つい甘やかせてしまった。ネイトは母親の存在を知らない。
それでもネイトは、乳母やメイド達に愛情をもって育てられ、真っ直ぐに育った。
妻として、ネイトの母としてもう一度、私の元に戻ってきてほしい。
その思いを胸に10年、医療技術が発達するのを待っていた。
今日がその日だ。
私は静かに目を閉じ、心の奥底から願いを込めた。
私はしっかりとした決意と祈りを込め、深く息を吸い込み、目を開けて横たわっている妻の顔を見た。
信じ続けた、希望を忘れないように。
カレンの胸がゆっくりと上下し、静かに呼吸している様子が分かる。
彼女の目がうっすらと開き、唇が動いた。
その瞬間、私は思わず彼女の名を呼んだ。
「カレン!」
喜びで嗚咽しながら、妻の手をしっかりと握りしめた。
涙が私の頬を伝い、胸の中で溢れる思いは言葉にならない。カレンが再び私のそばで呼吸していることが、何よりも大切な奇跡だった。
私は彼女の顔を見つめ、微笑みかけた。
「カレン……」
長い時間がかかった。10年だ、10年間も君の帰りを待っていた。
君のことを想いながら、毎日を過ごしていた。
「……おかえり」
願いは叶った。
妻は再び私のもとに戻ってきたのだ。
「ただいま……アルフレッド……」
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