第3話
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夫は先月、12月24日にマウリエ山で彼女と夕陽を見ている。
彼は確かクリスマスに仕事で家を空けていた。
年末の、しかもクリスマスにだ。そんな時期に仕事だなんておかしいと思っていた。
夫は屋敷の者たちにこう言っていた。
『クリスマスだから、大聖堂での手伝いがあるんだ。そんな日は皆仕事を休みたいし、誰も行く人がいないんだ。だから仕方なく私が出ることにした。2日で帰ってくるから、帰ったら年が明けるまでゆっくり過ごせる』
大聖堂では、クリスマスに大規模なミサが行われる。教会だけの仕事ではなく、王城からも手伝いに行く人が必要になるのだろう。彼にそう言われたら、文句は言えなかった。確かに、誰もそんな時に仕事はしたくない。彼は責任感の強い人だから、部下に代わって自分から出仕を希望したのかもしれない。他の人を思いやることができるなんて、彼は凄いなとその時は感心した。
手紙の内容を知った今、私は夫に対して何を言うべきか、どう対処すべきかを考えなければならない。言葉にならない苦しみが、静かに心を締め付ける。
涙でぬれた頬をハンカチで拭い、疲れたように息を吐く。
私は手紙を丁寧に折りたたみ、再び封筒に戻した。
アルフレッドは大聖堂に行っていたのじゃなかった。いったい何処に行っていたの……
マウリエ山脈は王都から馬車で3時間ほどかかる。神が降りるといわれる山は、一年中雪が積もると言われ常に氷点下だときく。神聖な地として有名で、観光客も多い。私は一度も行ったことがない場所だった。
夫を信じたいけど、あそこは貴族たちの旅行や、恋人たちが泊りに行くホテルが多く、避暑地として有名な場所だった。人気がある場所だから、随分前からの予約が必要だろう。
ずっと前から決めていたのだろうか。
手紙を要約すると、彼らの付き合いは私たちが結婚する前から続いている。アルフレッドは結婚しているから、頻繁には会えず、年に一度だけ12月24日に二人で会う約束をしている。肌の滑らかさや、体温と言う表現から、体の関係はあるのだろう。
アルフレッドは彼女を愛していて、その気持ちは永遠に変わらないと書いていた。
じゃぁ、なぜ私と結婚したの?
ネイトが産まれたことを、あんなに喜んでくれているあのアルフレッドが、浮気……
信じられない気持ちでいっぱいだ。
その愛する人と、一年に一度しか会わないのはなぜ?
彼女はめったに会えない距離に住んでいるのだろうか。既婚者同士なのだろうか。
濡れて宛先が読み取れなくなった封筒の文字を何とか拾い読みたいと思った。
けれど誰に書いた物なのか、愛する人の名前が滲んでいて文字が読めない。
私は愛人をたくさん囲っていると噂のある、ダンヒル男爵夫人のことを思い出した。彼女なら、こういったことに詳しいかもしれない。そうだ、誰かに相談したらいいかもしれないと思いついたが、すぐにそれは悪手だと気がつく。社交界の格好のネタにされるわけにはいかない。
屋敷の使用人たちは、私とアルフレッドが仲の良い夫婦だと思っている。毎日温かい気持ちで私たち夫婦、そしてネイトのために働いてくれている。
変なことを訊いて、皆を悲しませたくはない。私の実家も、王都からは離れているし、相談できる友人も近くにいない。両親を心配させるわけにはいかない。
誰にも相談できず、自分は一人なんだと思うとまた涙が出てきた。信じていた人に一瞬で裏切られ、心の中に深い絶望が広がった。
***
いろいろ考えた結果、夫に手紙のことは訊かないと決めた。もし、今夫を責め立てても、揉め事が大きくなればネイトに悪い影響が出るかもしれない。なにより一番大事なのはこの子だ。
「ただいまネイト。どうしたんだ?ぐずっていたそうじゃないか、体調がすぐれないのか?」
アルフレッドが帰宅して、子ども部屋へネイトの様子を見にきた。ネイトは朝からぐずっていて、今日は機嫌が悪かった。
「ごめんなさい。少し機嫌が悪いみたいだから、休んでいただけよ。今晩はこのまま自室で休んでもいいかしら?」
「すぐに医者に来てもらおう。ネイトに何かあったら大変だ」
私は心配するなというふうに、夫に笑顔を見せた。
「雨が降っていたから、気分が沈んでしまったのかもしれませんね。明日まだ調子が悪かったら、お医者様に診てもらいましょう」
乳母のマーヤが旦那様にそう告げた。
マーヤはベテランの乳母で、出産のときからずっと面倒を見てくれている。ネイトも懐いているので、旦那様の信頼も厚い。
アルフレッドはネイトの手を握り、心配そうに手の甲を撫でた。その瞬間、すぐに夫の手をネイトから引き剥がしたくなったが、何とか堪えた。
「今日はネイトが心配だから、ここで食事を摂るよ。それに、同じベッドで眠れないのは寂しいからね」
他の女性と同じベッドで眠ることはできるんでしょう。私じゃなくてもいいでしょう。
旦那様は毎日、自分のベッドでネイトと一緒に眠っている。いくら我が子が可愛いとはいえ、そんな父親は珍しいだろう。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。旦那様は先月お仕事で泊りがあったじゃないですか。その時はお一人で眠られたのでしょう?」
「仕事と屋敷とは別だろう。何かあったら大変だ」
「何かあったらすぐにお知らせします。旦那様はお仕事でお疲れでしょうから、ゆっくり休んで下さい。まだ夜泣きも酷いですしね。ネイト坊っちゃまも、ベビーベッドのほうが眠れるかもしれません」
ネイトも彼女に懐いているし、マーヤの言うことは絶対だ。
「そ、そうなのか?だが、親子なのだから」
「旦那様はクリスマスの時はお一人でも大丈夫だったでしょう?お仕事でしょうけど、たまにはそういうのもいいかと思いますよ」
「まぁ、そうかもしれないな。私がネイトの横で眠ると、どうしても抱きしめてしまうからね。寝苦しいかもしれなかったね。気付かずに済まなかった」
なんとかアルフレッドと同じベッドで眠ることを避けられた。クリスマスのことを少し話しに混ぜただけで、彼は簡単に引き下がった。
やはり、クリスマスに彼女と会っていたのは間違いないだろう。
さすがに、あの手紙を読んですぐに、旦那様と同じベッドでは眠れない。
寂しそうに眉を寄せるアルフレッドに、食事を摂られたらいかがですかと退出を促した。
今日一日、あの手紙の内容が、何度も頭の中でよみがえっていた。その度に、私の心の痛みが増していく。
時間が経ってもその感情は薄れることなく、むしろ深まるばかりだった。
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