古保と千里②

「さて、ひとつひとつ認識をすり合わせていこうか」

「はい! あ、このクッキー美味しいです」

「後で持ち帰り用に用意させるから話は聞いてね?」


 リス、もしくはハムスターのように頬にクッキーを詰め込んだ北斎が激しく頷く。森谷はの教育をしないといけないのかと、友人からの頼みを引き受けたことを後悔し始めた。


「まず、君はお爺さんである師宣さんの遺産を受け継ぐ資格をもっている。これは他の親族の誰にも侵されない君の権利だ。これはわかっているね?」

「ふぁい!」

「ものを詰め込んだ口を開かない!」


 森谷がと吠えた。


「つまり、君はボクの運営する私立早乙女学園に入学し、かつ卒業すれば遺産を手に入れる資格の半分を満たせる」


 ごほんと森谷が空咳をして続ける。


「なお、君の母上と保護者の両名からは既に許可を取っているため、入学は確定済みだ。推薦なので入試もない」

「ええ!?」

「不満であろうと君に拒否権はない。彼らの期待に報いるために高校は卒業したまえ。中卒で働こうとしていると彼らにはバレバレだったよ」

「な、なんですって? 私の完璧な計画が何故……」

「……完璧と名乗るのならば求人情報誌は部屋の本棚に置かないことだ」


 北斎のあまりの単細胞っぷりに頭痛がし始めてきた森谷が嘆息してマグカップのコーヒーを煽る。北斎も森谷の真似をして煽り、苦いとぼやいた。


「話を戻そう。高校生活の三年間を過ごすことで遺産を手に入れるゴールの半分は必然的に得られる。ならば、残りの半分を満たすための『本物の人間』とはなにか」

「そう、それを聞きに来たんです。実は私が幼い頃に死んだ孫のクローンで人間じゃないとか……!」

「馬鹿なのかな君は?」


 耐えきれず、ついに森谷は直接的な暴言を吐いた。北斎は何故か照れ臭そうに頬を掻く。森谷は深く考えると胃に深刻なダメージを負いそうなのでスルーすることにした。


「師宣さんの示す『本物の人間』とは媚びず、諂わず、自分の考えで行動する人間のことだ」

「いつも通りの私じゃないですか」

「ちょっと黙って聞いて」

「あっ、はい」

「師宣さんは血を受け継ぐ君に、なにかに流されるような大人になってほしくなかったんだろうね。死の迫ってくる最中さなか、初めて見る孫に自分と同じ輝きを見た。唐突な遺言の書き換えはそういうことだとボクは思う」


 森谷は自論を展開し、北斎も納得したのか一つ頷く。そして、気になっていたことについて尋ねた。


「そういえば、他の財産分与を受け取る人たちって……」

「いないよ」

「え?」

「師宣さんが死ぬ前に自らのカリスマでもって承諾させた。故に彼の財産を受け継ぐのは君だけ」

「え?」

「競争者がいないということは君が本格的に師宣さんが統べた古保グループの後継として当確していることと同義だ。君が頑張らないとグループ内で内乱かもね」


 にっこりと笑い、お返しとばかりに脅迫じみた言葉を北斎へ送る森谷。その言葉を受けた北斎は身を震わせて――。


「つまり、私が最強、ってこと?」

「ハァ?」

「だって私がお爺ちゃんの後継者として唯一抜きんでて並ぶものなしってことですよね!」

「……そうだけども」

「だったら、私が頑張ればお母さんと叔父ちゃん叔母ちゃんも喜んでくれる! 運動会で一着獲ったときみたいに!」


 北斎の脳内が理解できず、森谷はなにかを言おうとして口を開けて、なにも言えずに閉口する。業界では『美術界のナポレオン』と呼ばれるカリスマディーラーを黙らせるのはある意味快挙である。


「もう、それでいいよ……」


 やっと絞り出した言葉と共に森谷は両腕をソファの背もたれに回し、森谷自身でも聞いたことがないほどの大きなため息をつく。

 株式は既に森谷の引き取りになり現金化しているため、別に遺産を引き継いだところで自動的に古保グループの長へスライドできるわけではないと説明する気力は森谷に残されていなかった。


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