北斎ちゃん、お勉強の時間です!
菅原暖簾屋
ありし日のプロローグ
「初めまして。君が北斎さんだね?」
私の名前を呼ぶ声が、大好きなお爺ちゃんの葬式会場の中でいやに響いた。
その声の主は、会場の受付横で蹲って座り込んでいた私の前に立ち、こちらのことなど知ったことではないように続ける。
「手前は身罷られた師宣殿の友人である森谷と申します」
葬式には似つかわしくない、見ただけでわかる一揃えの高級スーツにインバネスコートを羽織った森谷と名乗る男は、亡くなった祖父の友人だと言った。突然なんだコイツはと、訝し気に睨みつければ、森谷何某はにっこりと笑顔で懐から白封筒を取り出した。そして、それをそのまま私に手渡す。反射的に受け取ってしまった私は、顔をあげて尋ねる。
「これは?」
「御仁の遺書さ。もっとも、遺産相続などが書かれているわけではない、君に向けた私信になるのだろうね」
何故封も切られていない封筒の内容を知っているのか、表情に出ていたのだろう、森谷さんが困ったように頬を掻きながら教えてくれた。
「その遺書はボクの代筆でね。作成されたのはおよそ一週間前、死に瀕した師宣殿の最後の願いが記されている」
「最後の願い……」
胸に込み上げてきた感情を抑えきれず、涙が頬を伝う。ぐしゃぐしゃの顔で封筒の中身を確認しようとする私に、森谷さんが待ったをかけた。
「今の気分では、そこに書かれている内容を真っすぐ受け止められないと思う。葬儀が全て終わり、心が落ち着いたと確信できたら読むことをオススメするよ」
優しい声色で告げられた助言に、私はこくりと頷く。遺書の入った封筒を喪服のポケットにしまいこんで立ち上がり、森谷さんへと頭を下げる。
「ありがとうございます」
「うん。では、ボクの仕事は終わりだ。失礼させてもらうよ」
「え? あ、あの、お焼香は……」
「御仁との別れはもう済ませてある。これ以上は蛇足だ」
一八〇センチほどの身体をゆらりと揺らして、葬式会場から森谷さんは消えていった。私も周りの人も口を開けてその後ろ姿を見送ることしかできなかった。
なんとも不思議な人だったなと考えていた私は、三日後に彼と再会することなど欠片も思ってもいなかったのである。
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