~文言(ことば)の運びの無明(むめい)に観て居た…~『夢時代』より冒頭抜粋

天川裕司

~文言(ことば)の運びの無明(むめい)に観て居た…~『夢時代』より冒頭抜粋

~文言(ことば)の運びの無明(むめい)に観て居た…~

 無断に居座る輪廻(ロンド)の如くに〝夜半(よわ)の生絆(きずな)〟は不装(ふそう)に見舞われ、「通り縋りの歌集(アンソロジー)」から白亜(しろ)い気色が矢庭に堕ちた…。孤独の両刃(もろは)と一女(おんな)の自覚(かくご)は未明に揮える感覚(いしき)を観た儘、孤独の自覚(かくご)を事実に沿わせる旧い活気に独想(どくそう)さえ見た…。女性(おんな)の気色が詩吟に遠吠え、未知の四季(きせつ)に嘯く頃から、無間奈落(むけんならく)が〝基礎〟を牛耳る白亜(しろ)い小敗地(アジト)を絶大にも識(し)る…。

      *

 (これは、此処ここした記述も、他に《PCのワード》にメモして残して置く事)。

 犯人と探偵との知恵比べ・根比(こんくら)べが始まった。犯人は初め、その犯行を如何(どう)しても為そうとは考えて居なかった。遣る内に、余りにも上手く行き、又、〝美味しい〟ので、不意に上がった興味と欲に絆されて遣って仕舞った、と言うのが妥当な処だろう。

      *

 文言(ことば)の人陰(かげ)から夜半(よわ)に透れる旧い自覚(かくご)は幻滅しながら、男性(おとこ)と一女(おんな)の〝木の葉〟が舞い散る白亜(しろ)い気色が埋没して居た…。一幻(ゆめ)の初めに未知が連れ添う情事(こと)の感覚(いしき)は埋没しながら、左往(さおう)に拡がる孤独の譲歩は事始(こと)に構えて愚図愚図して居る…。無毛に安(やす)らぐ不敵の笑みには気分に纏わる「独り」が浮き立ち、夜半(よわ)の水面(みなも)に朗(あか)るく通れる不為(ふい)の初歩(いろは)に簡単だった。幻想(ゆめ)の未完(みじゅく)に律儀が生くのは旧い四肢(てあし)の界(かぎり)の許容(うち)にて、生き甲斐からして孤踏(ことう)を見送る〝三輪電車(さんりんでんしゃ)〟を余程に観て居る。幻想(ゆめ)の既憶(きおく)に見紛う内にて孤独の栄誉は無傷を報され、酷い仕打ちのごまんに見て取る〝疲労の極致〟は鮮やかだった。児(こども)の生憶(きおく)に無理が拡がる無想の景色は感嘆しながら、白亜(しろ)い人煙(けむり)に〝児(こども)〟が通れる不穏の両腕(かいな)は尻尾を巻いた。白亜(しろ)い気色に見詰める〝眼(まなこ)〟が宙(ちゅう)に浮き立ち〝身重〟を識(し)る内、無音に静まり無傷を返せる不覚の遊戯は立派に成った。孤独の噴茂(ふんも)に減退して行く孤高の主観(あるじ)は〝一界(かぎり)〟を知らずに、幻(ゆめ)の生憶(きおく)へ相対(あいたい)して生く不幸の進路は現行(いま)に寝そべり、幻想(ゆめ)の逆生(もどり)に相対(あいたい)して生く孤独の信義(しんぎ)は軽妙にも在る。幻想(ゆめ)の発音(おと)から〝百足〟が這い生く〝孤独の独気(オーラ)〟は従順(すなお)に立った。

 厚い空壁(かべ)から不意へ漏れ往く奇想の主観(あるじ)は分隊しながら、旧い生憶(きおく)に虫唾を観て生く孤高の高利は無駄に仕上がり、小宙(そら)に這い出る〝無傷の発破〟は無音の従順に安泰だった。精神(こころ)に浮き出る未解(みかい)の人杜(もり)には余裕(ゆとり)が寄り付く集成(シグマ)が成り立ち、信義に出で立つ旧(むかし)の遊路(ゆうろ)は不完(ふかん)に基づく巨躯を得ながら、利口に従う総ての〝四肢(てあし)〟は屈曲(まが)った幻見(ゆめみ)て悶絶して居た…。一女(おんな)の主観(あるじ)が無駄を頬張り感情的にも無益を象(と)るのは、純白(しろ)い気色を許容(うち)に秘め行く不当の信途(しんと)に上等だった。一心(こころ)の遊戯に絡みを観守(みまも)る幻(ゆめ)の遊路(ゆうろ)は浮き出し立つ内、白亜(しろ)い気楼に身欲(よく)を観て生く不応(ふおう)の小敗地(アジト)は健在でもある。幻覚(ゆめ)の奥義(おく)から私算(しさん)が立つうち精神(こころ)の火蓋は真逆(まさか)を羨み、〝意味〟を成さない身軽(かる)い文(ぶん)から真傍(まよこ)に跳び退(の)く〝分野〟を識(し)った。一心(こころ)の仕種を応々(おうおう)観ながら生憶(きおく)の幻想(ゆめ)には一通(とおり)が拡がり、過去を信じて過去を羨む「幻想(ゆめ)の律儀」は新派(しんぱ)に発(た)った。精神(こころ)の空(すき)から転々(ころころ)して生く不装(ふそう)の〝水面(みなも)〟は小首を傾げて、幻(ゆめ)の宙(そら)から可笑しく気取れる旧い〝水面(みなも)〟の推算(すいさん)等には、幻(ゆめ)の猛夏(もうか)へ未明を保(も)たせる〝旧い人社(やしろ)〟の孤独が在った。孤踏(ことう)に過ぎ生く旧(ふる)びた進義(しんぎ)は幻(ゆめ)の辺りで堂々巡りで、一女(おんな)の身活(みかつ)に発破を掛け得る旧い〝動作〟は後戻りも無く、孤高に幻見(ゆめみ)た未活(みかつ)の新義(しんぎ)は途方に暮れ行く夢想を識(し)った…。分厚(あつ)い小躍(おどり)の巨進(きょしん)を見るのは分(ぶん)を識(し)り生く旧(むかし)の豪華で、白亜(しろ)い孤独に不為(ふい)が生じる不活(ふかつ)の身重は不断を装い、幻(ゆめ)の主観(あるじ)に無活(むかつ)を装う不義の新途(しんと)の表れから成る、不通の幻路(げんろ)は快晴から成る…。

      *

 母親と少年が居た。俺は大学に通う生意気な野心家で、何時(いつ)か探偵として一花咲かせようと躍起に成って居る自称探偵。俺の周りには、大学で知り合った・又これ迄に知り合った仲間が居り、天然に好い男が居た。好い男は、トイレ掃除をして、俺にとっては可成り逞しい味方であった。確か、鬼平男や教会の長男、他の長男関連の友人、又、大学で知り合った俺だけの友人、その友人の友人、又、俺の両親達が居てくれて、一人の、如何(どう)しても捕まらない犯行を摑まえる為に、一丸(いちがん)と成ってくれて居た。

      *

 幻想(ゆめ)の身元を洗いながらも孤独の従途(じゅうと)は好(よ)く好(よ)く知らされ、孤独の初歩(いろは)に野平(のっぺ)り発(た)ち生く不応の陽明(あかり)はどんどん鳴った。無知に成る可(べ)く器用を得るのは文言(ことば)の既憶(きおく)の一角(かど)に横たえ、現行(いま)の景色を温存して生く「孤独の義務」への到来だった。幻(ゆめ)の身許へ投身して生く旧い自覚(かくご)の交響(ひびき)へ乗じて、旧い一体(からだ)が温味(ぬくみ)を蹴散らす自業(じごう)の〝人煙(けむり)〟を通感(つうかん)して居た。幻想(ゆめ)に纏わる未応(みおう)の孤独は白亜(しろ)い主観(あるじ)を善しとして居り、幻覚(ゆめ)の紺(あお)さに微睡み始める孤高の身重に心酔して居る…。無理を奏でて無心を統(たば)ねる未活(みかつ)の自主(あるじ)は記憶を携え、一男(おとこ)と女性(おんな)の〝人煙(けむり)〟に逆巻(さかま)く「素人気取り」を言上(ことあ)げして居た。無為に従い無意(むい)を見送る「不能の主観(あるじ)」は根底(そこ)を見出せ、旧い陰府路(よみじ)の孤踏(ことう)の既憶(きおく)を不乱(ふらん)に見据えて孤憶(こおく)を吐いた。孤独を透らす漆黒(くろ)い暗夜(よる)から橙色した未練が遠退き、西日(にしび)が差し込む丘の上から〝宙(そら)〟気取れる気性が付いた…。呼吸に嗜む旧(むかし)の生憶(きおく)は夢限(むげん)に始まる未来(さき)を詠み取り、自己(おのれ)の幻想(ゆめ)から〝故郷〟を遮る無乱(むらん)の春嵐(あらし)を気丈に説いた。情事(こと)の既憶(きおく)にすんなり保てる見様(みよう)の進みは男女(ひと)を取り上げ、宙(そら)へ保てる自由を生むのに、幻想(ゆめ)の孤独を新調して居た。―――孤独に生き抜き幻想(ゆめ)を発する不乱の小敗地(アジト)は堂々成った…。

 男性(おとこ)の生憶(きおく)に夜明(ネオン)が達する不応の自覚(かくご)は従来通りに、夜目(よめ)に息衝く「不乱の発破」を事始(こと)に見上げて生気を吐(つ)いた。―――幻想(ゆめ)に見果てる未活(みかつ)の労苦は可成り纏まる〝男・女(だんじょ〟を儲けて、泡銭(あぶくぜに)から〝自由〟を発する「孤独の王者」を〝信者〟に換えた。無機に透れる素人(ひと)の動機は御供の自主(あるじ)に具体(からだ)を与(あず)けて、幻(ゆめ)の孤独に無応(むおう)を発する旧い遊戯に感けて鳴いた。女性(おんな)の同調(シンパ)に不行(ふこう)を観るうち他(ひと)の孤独は正体(からだ)を総嘗め、明日(あす)に幻見(ゆめみ)る人の「春嵐(あらし)」が奇想を採り添え感覚(いしき)を置いた…。孤高に基づく人間(ひと)の主観(あるじ)は旧い一夜(とばり)を行儀に持ち出せ、幻想(ゆめ)の限度の孤独を飼うのは〝律儀〟に死に往く見本と成った…。幻(ゆめ)の網羅に宙(そら)が身構え、人間(ひと)の躰が概(おお)きく成るのは、孤高に基づく一人(ひと)の自主(あるじ)の数歩に辿れる暗路(あんろ)であった…。未知に棚引く無想の精華(はな)には幻想(ゆめ)の老化が次第に二重(かさ)なり、幻想(ゆめ)の小手から未練に片付く白亜(しろ)い活気がむざむざ成った。一人(ひと)の快無(オルガ)は私闘に片付き身欲(よく)の同調(シンパ)に〝界(かぎり)〟が付くのは、未(いま)を見上げて余身(よしん)を手向ける不甲斐(ふがい)の刹那の重感(じゅうかん)でもあり、幻想(ゆめ)に見付ける無毛の信途(しんと)は欠伸を延ばせる無頼を飾らせ、幻想(ゆめ)に懐ける〝夢想の界(かぎり)〟は「快無(オルガ)」を癒せる誤解を識(し)った。無難に片付く男女(ひと)の概(おお)くは無心の初歩(いろは)を牛耳る余りに、孤独を掌(て)にした未活(みかつ)の憶(おく)には〝旧い新徒(しんと)〟が哀れに在った…。孤独に片付く〝向き〟の用途は小春(はる)に見送る信途(しんと)に放られ、分厚(あつ)い空壁(かべ)から許容して生く「無活の重途(じゅうと)」を減退させ得る。未聞(みぶん)に聴かざる〝五色(ごしき)〟に翳せた疲労の論破は、経過(とき)を三重(かさ)ねて未聞を癒せる「不倖の自主(あるじ)」を傍観して居た…。精神(こころ)の何処(どこ)かで女性(おんな)を得ながら「乍ら」の自覚(かくご)がぽつんと浮き立ち、旧(むかし)を想わす不利の孤独を明日(あす)に幻見(ゆめみ)て浮浪を識(し)った。都会に降(お)り立つ未覚(みかく)の進理(しんり)は無為に包(つつ)める孤独を想わせ、孤独の信仰(めいろ)に未知を想える不治の癖(くせ)から上々活きた。「無断」を気取れる孤独の規律(おきて)に不倖続きの正体(からだ)が仕上がり、白亜(しろ)い白夜の曖昧足るのは無幻(むげん)の活気の表れだった。空虚に伴い空虚に阿る未活の理性(はどめ)に無頓が成り立ち、孤独の生種(たね)から不悶(ふもん)が成り立つ無効の主観(あるじ)が顕在でもある。不意に辿れる孤独の人社(やしろ)に不倖が漂う密(みつ)の主観(あるじ)は、無踏(むとう)の自主(あるじ)に五色(ごしき)が成り立つ不応(ふおう)の幻(ゆめ)をも撤回して居た。一女(おんな)の孤独に頁(ぺーじ)が拡がり旧(ふる)びた景色が呼吸をする内、旧来独語(むかしがたり)の暗夜(よる)の〝一夜(とばり)〟が孤独を見紛い主観(あるじ)と死んだ。一男(おとこ)の眼(め)に立つ不応の残骸(むくろ)は具体(からだ)の孤独を密(ひっそ)り抜け出し、夜半(よわ)の許容(うち)から〝身重〟を採り出す無論の出足(テンポ)を捕まえ出した。未来(さき)に佇む未知の生憶(きおく)は普段通りの既憶(きおく)に繋がり、未(いま)に活き生く進歩の奥義(おく)には無頼の厚味(あつみ)が活き活きして居た。孤独を想わす二性(ふたり)の成果(はて)には宙(そら)の鈍(くも)りがどんどん表れ、幻想(ゆめ)の〝現行(いま)〟から意固地を失くせる女性(おんな)の一重(ひとえ)を躰に巻いた。白紙(こころ)の既憶(きおく)に夢路を託せる広い空間(すきま)が混乱しており、一幻(ゆめ)の初めに紺(あお)さを観て居る孤高の進途(しんと)を呆(ぼう)っと観ながら、旧(ふる)びた主観(あるじ)に未屈(みくつ)を見出す不頼(ふらい)の進途(しんと)を自然(あるじ)へ遣った。孤独を幻見(ゆめみ)て孤高を消し尽(き)る旧びた四肢(てあし)は無効に訪れ、陰府(よみ)を掌(て)にする女性(おんな)の自主(あるじ)は枯渇を掌(て)にして真面に立った。孤独の集成(シグマ)を未婚に沿わせる無空(むくう)の用途は歴史を紐解き、一宙(そら)に蔓延り“宙(そら)〟を気取れる「浮かれた譲歩」を真っ向から観た。文言(ことば)の既憶(きおく)が未知に脚色付(いろづ)く〝向日〟の景色は安堵を観て取り、明日(あす)を見上げて今朝を見下ろす〝不装(ふそう)の同調(シンパ)〟を同時に採った。苦労の両眼(まなこ)を上手(じょうず)に射るうち未完(みかん)の従途(じゅうと)は新参者(しんざんもの)から、神秘(ふしぎ)の上手(じょうず)を過去へ懐かす〝無頼の演技〟を重々識(し)った。一女(おんな)の残香(かおり)は四肢(てあし)に跨り、愛する者から上気を見た上、情事(こと)の初めに未活を想わす〝無頼を信じる自主(あるじ)〟に追想して居た。枯渇に狂わす未知の芳香(かおり)は宙(そら)に靡ける幻想(ゆめ)を描(か)き上げ、不応に接する不頼の信途(しんと)は「虚空」を見上げる主観(あるじ)と成った…。

      *

 …少年と母親は、これ等の人達からも良く知られた二人であって、又、他の、その母親、少年自身の友人からも親しまれて居た。

      *

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