贈ること、選ぶこと、変わること。

黑野羊

贈ること、選ぶこと、変わること。

 二学期最後の一大イベントである修学旅行も無事に終わり、狛杜高校は明日から冬休みにはいる。そして冬休みの初日はちょうど、クリスマス・イブだ。

「なぁなぁ、相模。明日はやっぱ、予定あるんだよな?」

 終業式を終えた帰り道。

 いつもの四人で歩いていると、菅原がどこか楽しそうな顔で和都に尋ねる。

「うん、一応あるけど……。なに?」

「当ててやろっか! ズバリ、仁科先生と会うんだろ?」

「えっ……なんで知ってんの?」

 気持ち悪いほどにキラキラした笑顔で言われて、和都はドン引きしながら頷いた。

「きゃー! やっぱりぃ!」

「まぁ、そらそうだろうな」

「くれぐれも、健全に過ごせよ」

 一人大はしゃぎする菅原をよそに、小坂と春日はいつも通りである。

 三人の様子が意味するところをイマイチ読み込めない和都は、ただただ困惑した。

「え、なに? え??」

「だってほらぁ、やっぱりクリスマスって言ったらぁ、恋人同士でいちゃしながらデートが鉄板だろー? あー羨ましい!! 二人っきりでどこ行くんだよ? 高級ホテルでクリスマスディナー!? いっそ海まで行ってクルージングとか!?」

 両手を組みつつ小指を立てる菅原が、恋に焦がれる乙女の如く勢い込んで捲し立てる様子に、和都はなにをどう思われているのか、ようやく理解する。

「だから、そういうのじゃねーっての!」

 狛杜高校の養護教諭・仁科と保健委員である和都は、四月から秋にかけて起きた『狛犬』をめぐるあれこれのおかげで急速に距離を縮めており、今ではお互いに想いを寄せ合う仲だ。

 とはいえ、学生の身分もあるので、身近にいる春日たちくらいしかそれは知らない。今の仁科は、保護者の役割をほぼ放棄している和都の両親に代わり、遠戚という立場を利用して、保護者代理として隣に寄り添ってくれている。

 今は先生と生徒のままで、それ以上の関係になるのは卒業後に、という約束はしているのだが、この話をしてしまうと菅原が無駄に騒ぎそうなので、これだけは言っていない。

「それに、先生と会うのはそういう理由じゃないし……」

「えー? クリスマスデート以外に何があんだよぉ」

 両頬をリスのように膨らませた菅原に、和都は呆れた顔で返した。

「凛子さんから、おれ宛に荷物が届いてるらしくって、取りに来いって言われてんのっ」

「凛子さん?」

「ああ、安曇神社の巫女さんだっけ」

 凛子さんこと安曇凛子は、隣県にある安曇神社の時期当主で、狛犬騒動の時に色々と助力してくれた女性である。仁科や和都とは遠い親類にもあたる人だ。

「うん。なんか学校には持って来れないもので、いっぱいあるから選ばなきゃいけない? らしくて……」

「ふーん、なんだろうな?」

「うん……」

 和都の左目には騒動のきっかけとなった『狛犬』の力が残っているのだが、これはとても珍しいことらしい。そのため専門的な知識を持っている安曇家には、仁科を通してその後の体調や経過を報告したりしている。

 しかし、今は特に何か困っていることはないので、凛子から届くものについては見当もつかなかった。

「そういうお前らは? 明日なんかするの?」

「オレと小坂はバスケ部メンバーでカラオケよん♪」

「ふーん。ユースケは?」

 和都が隣を見上げると、春日はいつも通りの仏頂面で言う。

「明日は塾だ」

「あ、そういやそうだっけ……」

「げー、クリスマスも塾かよぉ」

 同情の声を上げる和都と小坂をチラリと見ると、春日は少しだけ遠慮がちに視線を逸らした。

「……ただ授業の後、帰りに同じクラスの何人かで飯を食おう、と誘われてはいる」

「えーなになに! 名門塾生もそういうことすんの!?」

 生真面目で堅物の春日には少し珍しい楽しげな予定の話に、菅原がはしゃいで食いつく。しかし、春日は少し呆れたように息を吐いた。

「でも話すのはたぶん、来年の受験や勉強の話だ」

「えー、なんだよー! もうちょっと青春しろよー!」

 ぶーぶー文句を言い始めた菅原をそのままに、春日が和都のほうを見る。

「ん、なに?」

「……今年は、ケーキの配達は要らなそうだな」

 どこか嬉しそうな顔で言われて、和都は少しだけ照れたように目だけで横を見た。

「まぁ、家にいないんで」

「よかったな」

「……うん」

 そんな話をしているうちにいつもの別れ道に着いてしまい、和都は「じゃあまた初詣で」と、三人と離れて一人自宅へ通じる道を歩く。

 ──いつもなら『ユースケがケーキを持ってきてくれる日』だったもんなぁ。

 自宅について、赤いマフラーとキャメル色のコートを脱ぎながら、和都は小さく笑った。

 実父が生きていた頃は、外に行けない自分のために実父がツリーやご馳走、ケーキを用意してくれていたけれど、亡くなってからはすっかり縁遠い。なぜなら冬休みに入るとすぐ、母と義父は二人きりで旅行や帰省へ出掛けてしまい、クリスマスもお正月も自宅に一人きりだからだ。

 人出の多い場所ではトラブルを招き寄せてしまうので、一人ではまともに買い物もできない。だからイベントの時はたいてい自宅で一人きりで過ごすのだが、それを知った春日がケーキなどを差し入れに来てくれるようになったのだ。

 ──アレはアレで、楽しみではあったけど。

 持ってきてくれた春日と二人でケーキを食べて、いつも通りに話をして過ごし、帰っていく春日を見送るだけの日。

 何も予定のない自分には、それが冬休みの楽しみの一つになっていた、けれど。

「……今年は、違うんだなぁ」

 家中の明かりをつけてリビングへ行くと、テーブルの上に置き手紙が置いてあった。二人はすでに年越し旅行に出掛けたようで、冬休みが終わった頃に帰ってくるらしい。

「……もう行っちゃってたか」

 相変わらず両親は、自分を放ったらかしにしている。

 与えてくれるのはこの家と、電子マネーの残高と、冷蔵庫の中身だけ。それ以外のものを、この二人からもらった記憶がない。

 欲しくなったこともあったけど、随分前に諦めた。

 それに今年のクリスマスはデートではないものの、好きな人の家に行くし、年明けにはみんなで初詣に行く予定だってある。

 寂しいと思う暇なんて、ないのだ。



 ◇ ◇



 翌日のお昼すぎ、和都は『一五〇六』とプレートの掲げられた玄関ドアのインターホンを押していた。

 内側で小さくチャイムが鳴ってしばらくすると、ガチャリとドアが開いて、癖っ毛の髪に眼鏡を掛けた背の高い男性が顔を出す。

「はい、いらっしゃい」

「……お、お邪魔します」

 小さく頭を下げて、和都はそっと中へ入った。

 養護教諭である仁科は、学校だとワイシャツにネクタイ、白衣を羽織った姿でいることが殆どである。なので休日に見る、シンプルでラフな割にオシャレな雰囲気を纏った私服の仁科は、やっぱり見慣れない。

「言ってくれれば、車で迎えに行ったのに」

「その、クリスマスの日にあんまり街中歩いたことないから、ちょっと見てみたくて……」

「……ああ、なるほど、そっか」

 自分のこれまでの境遇を知り、すっかり解決してくれた人でもある仁科が、嬉しそうに眼鏡の奥の目を細めて和都の頭を撫でた。

 けれどこれは、半分本当で半分が嘘。

 実は仁科に渡すプレゼントが全然決められなかったので、電車で向かうついでに街中をあちこち回って買ってきたのだ。

 せっかくクリスマスに会えるというのに、仁科は学校ではクリスマスの『ク』の字も出すことはなく。菅原ほど過剰に期待していたわけではないが、やはりそれっぽいことはしたかったし、せめてクリスマスプレゼントくらいは用意しなければ、と思ったのである。

 しかし、誰かに何かを贈ったこともないうえ、相手は実家がかなり裕福で、それもちゃんと働いている一回り年上のオトナの人。普段読まない雑誌を読んだり、ネットで調べたりはしたものの、何がいいのかさっぱり分からなかった。

 結局、文化祭で自分がケガをした際、仁科がネクタイを包帯代わりに使ってダメしていたのを思い出し、ネクタイにしたのだった。

 和都はトートバッグの中身を見られないように持ち直し、廊下を歩く仁科の後ろをついていく。

「それで、凛子さんからの荷物ってなんなんですか?」

「あー……、見ればわかるよ」

「?」

 妙に歯切れの悪い仁科を不思議に思いながら、中扉を抜けてリビングに入った。ダイニングテーブルと、奥の部屋に繋がる扉の前に大きな段ボールが二つ重ねて置いてある。

「……え?」

「ああ、お前の分はこっち」

 言われて仁科のほうを見ると、リビングの奥を指しており、そのまま視線を移動すれば、ソファの上やその周りに同じような段ボールがいくつも積まれていた。

「なんですかコレ……」

「開けてみ」

 言われるまま一番近くにあった段ボールの中を覗くと、大量の衣服が入っている。一着ずつビニールに入っていて、中古品とかではなく、全て新品のようだ。

「洋服……?」

「そ。全部安曇が抱えてるブランドの服だよ」

「えっ」

 慌てて衣服についていたタグの値段を見て、その0の多さに和都はギョッとする。

「な、え……?」

 意味が分からず仁科を見ると、仁科も少しばかり呆れたような顔で頭を掻いていた。

「いやー、凛子あいつなぁ。毎年クリスマス時期になると『好きなもの選べ』って、こうやって服を大量に送ってくるんだよね」

 話によれば送られてくる洋服の大半が新品ではあるものの、撮影などで使用したり、細かい不備のあったB品、諸事情で店頭では売れないものなどがほとんどらしい。それを凛子自身が全て買い取り、仁科に送ってくるのだそうだ。

 仁科と凛子は形式上ではあるが婚約者同士なので、仁科宛に贈られるのは分かるのだが、和都宛に届く理由がわからない。

「なんで、おれに?」

「夏休みに泊まりに行った時に、お前のことだいぶ気に入ってたからね。それでじゃない?」

 基本的に女性は苦手な和都だが、凛子とはまだ話ができるほうだったので、夏休みに安曇神社でお世話になった時はよく話もしたと思う。しかしそれだけでこんなにプレゼントをもらうのも、どうなのだろうか。

「でもおれ、大したことしてないし、お返しとかどうしよう……」

「ああ気にするな。これはアイツの趣味みたいなもんだから」

 安曇神社を運営する安曇グループは、不動産をはじめ、いろんな事業を展開していると聞いている。それにしても、やることがだいぶ豪快すぎないだろうか。

「本当にいろんなブランドやってるんですね」

「うん。でもまぁ届いてるのはメンズとかユニセックスの商品ばっかりだし、お前でも着れると思うよ。だから、気に入ったヤツあれば持ってっちゃって」

「分かりました」

 和都はとりあえず近くにある段ボールから一つずつ開けていく。

 基本的にはシンプルでキレイめなものが多く、手触りのいい生地を使ったものばかり。情報収集のために読んだ雑誌で見たロゴのついてる洋服もある。しかし中には、ブランドの特徴なのか派手な色使いやデザインのものもあって、着るには少し抵抗のあるものもあった。

「……あのこれ、貰わなかった分はどうなるの?」

「もちろん送り返すよ。んで返した分は、本業関係のほうで欲しい人にあげたり、寄付に回したりしてるんだって」

「そっか」

 どうやら自分が選ばなかったからといって、そのまま棄てられるわけではないらしい。

 胸を撫で下ろしつつ一通り見ていったが、和都はどうしても手が止まる。

「どうした? 遠慮しなくていいぞ?」

 側で一緒に見ていた仁科が、どうしても手の伸びない和都の頭を撫でながら言った。

 これは遠慮や、そういうのとはまた違う悩み。

「いや、その。……洋服とか、おれ自分で選んだことなくて」

「えっ。今までどうしてたの?」

「小さい時は父さんが選んでくれてて、こっち来てからはユースケが全部選んでくれてたから……」

 クローゼットの中身を組み合わせて、その日着るものを選ぶことはできる。でも、新しく好きな服を自分で選んで買いなさいと言われると、それがどうしても出来なかった。

 正しくは『出来なくなった』。

 昔はもっと自由に選んでいたけれど、母親にことあるごとに自分を否定されるようになってからは、自分で何かを選ぶことに臆病になっている。特に外見に関するものは、母親に「他人を誘惑するために選んでいるんだろう」と詰られていたので、どうしていいか分からない。

 春日は暗黙のうちにそれに気付いてくれたようで、服が必要になった時は一緒に買いに行って選んでくれていた。

「……へぇー?」

「だから、どう選べばいいとか全然わかんなくて」

「どうりで春日クンと似たような服ばっか着てるわけだ……。今日の服もそうなの?」

「あ、うん……」

 和都が困ったように言うのを、仁科はなんだかムッとしたような、面白くないとでもいうような顔で見ていた。

「せ、せんせ……?」

「じゃあ今回は俺が選ぶわ。んで試しに着てみて、お前もいいなって思ったヤツにしよう」

「え、あ、はい」

 仁科のにっこり笑う様子に、なんだか嫌な予感がする。

「んじゃー、ひとまずコレとコレと、インナーはコレかな」

 段ボールをあれこれ漁りながら、仁科は組み合わせた洋服を和都に渡してきた。

「はい、まずはこれ着てみて」

「は、はい……」

 促されるまま和都はお風呂場の脱衣所へ向かい、持たされた洋服に着替える。

 実際に着てみると、ザックリした大きめシャツに細身のパンツ、インナーのおかげかスッキリして見えた。普段着ているものもシンプルなほうだが、それよりもなんだか洗練された、大人っぽい雰囲気になる。

「着てみた、よ」

 リビングへ戻ると、仁科が段ボールの中身をあれこれ広げて、色んな組み合わせを作っていた。

「お、いい感じじゃん」

 和都を見るなり、仁科が嬉しそうに笑う。そして何故かスマホを取り出すと、写真を一枚だけ撮った。

 どうやら仁科から見ても、悪くない印象らしい。

「お前はどう思った?」

「え、あ……うん。ちょっと大人っぽくなったかなって」

 写真を確認する仁科に聞かれ、和都は脱衣所の鏡で見た時の印象を素直に答えた。

 仁科が選んだもののせいか、なんとなく仁科の私服の印象に近いものがあって。もう少しだけ、近づけた気がしたのだ。

「そういうのは好き? 嫌い?」

「嫌いじゃない、かな……」

「んじゃあ、これは決まりな」

 そう言って仁科が頭を優しく撫でる。なんだか少しだけ心が暖かくなった気がした。

「よし、次はこれな!」

「は、はいっ」

 気持ちを噛み締める暇もなく、新しく洋服を渡されて、和都はまた脱衣所へと向かう。

 ひたすらに着替えては写真を撮られ、仁科と和都がどちらも『良い』としたものをもらう、という形で服を選んでいった。

「そういえば、なんで写真撮ってるの?」

「あぁ、凛子に頼まれててさ。お前にどんな組み合わせが似合うか見たいって」

「なるほど」

 段ボールをひたすら開けてみて分かったのだが、今回送ってくれた洋服の中には、冬物以外の服も入っているらしい。

 厚手のニットなどの冬にちょうどいいものに始まり、春秋に使えそうな薄手の長袖、真夏向けの半袖リネンシャツまで入っていたのだ。

 和都も言われるままに着替え続けているが、すでに十数回を超えており、さすがに多すぎやしないだろうか。

「……ねぇ、ちょっと、多くない?」

「だから呼んだんだよ」

「そっかぁー」

 和都は休憩と称してソファに沈み込みながら、リビングの端の方へ視線を向ける。そこにはまだ開けてもいない段ボールが置いてあったので、今日中には終わらない気がする。

 他に開けてないのはないかと室内を見回していると、ダイニングテーブルの上にいくつか避けてある服が目に入った。

「……あっちは、先生が選んだヤツ?」

「うん、テーブルの近くの段ボールに返すやつまとめてる」

「見ていい?」

「どうぞ」

 ダイニングテーブルのほうへ向かうと、シャツを数枚と、ジャケットとパンツが二枚ずつ、そして一番上に紫紺色のコートが置いてある。

「今年は良さげなコート入ってたから、もらっておこうかなって」

「……カッコイイ、ね」

「でしょ?」

 細身のラインがキレイな印象の、スタンドカラーのロングコート。青みのある暗い紫が、仁科によく似合いそうな色だ。

 和都はふと思い立って、冬物のアウターがいくつか入っていた段ボールを漁る。予想通りコートも数着入っていた。その中に仁科の選んだものと同じデザインで、サイズがふた回りほど小さい、深い青緑色のものがあった。

「……これ、いいな」

 身体に当ててみると、サイズ感も悪くない。

「へぇ、いい色だな。お前、緑好きだよなぁ」

「うん。父さんが、よく着てた色で……。ちょっとだけ落ち着く気がしてさ」

「……そっか。気にいったなら貰っとけ」

 側で見ていた仁科が、笑いながらぽんぽんと頭を撫でる。

 そんな仁科を見やりながら、和都は躊躇いがちに聞いた。

「先生のと色違いとかになっちゃうけど、大丈夫?」

「俺は気にしないよ。いいなと思ったんなら、気にせず選びな」

「……先生のとお揃いにしたいから、とかいう理由でも、いいの?」

 少しだけ照れたように顔を赤くして、おずおずと言う和都に、仁科は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに頬を綻ばせる。

「いいんだよ、理由はなんでも。少しずつでいいから、自分で選べるようになりなさい」

「……うん」

 和都は嬉しそうに頷くと、もらう分と決めた洋服の山の上に、青緑色のコートをそっと置いた。



 ◇



 昼過ぎから始めたはずの洋服選びだったが、まだ開けていない箱があるというのに、外はすっかり夜の帷が落ちて真っ暗である。

 外の暗さに気付いた仁科が、時計を見ながら頭を掻いた。

「……あー、そろそろ行く準備しねーとなぁ」

「え?」

「夕飯だよ、夕飯。さすがに腹減ったろ?」

 言われてみれば、確かにお腹が小さく鳴っている気がする。

「う、うん。そうだけど……」

「……あれ、もしかしてなんか約束とかしてた?」

「ううん、してない! ……でも今日クリスマスだし、予約してないとお店とか入れないんじゃないの?」

 いくら季節のイベントに疎いとは言っても、こういう日は何日も前から予約するのが普通だろうということくらい、和都でも知っていた。

 しかし仁科は少しだけ照れたような顔で、小さく咳払いをしてから言う。

「……ちゃーんと予約くらい取ってありマス」

「へ……?」

「せっかくお前とクリスマスの日に一緒に過ごすのに、準備しないわけないでしょ?」

 あまりに予想外の言葉に、和都は呆気にとられて、ただただポカンと口を開けた。

「だ、だって先生! 学校じゃ全然そんな素振り見せなかったじゃん!」

「学校でそんな話してみろ。菅原クンのいいオモチャだぞ?」

「……たしかに」

 和都は昨日の帰り道、菅原が恋する乙女ばりに妄想全開のクリスマスデートを口走っていたのを思い出す。

 もし仁科が少しでも『クリスマスディナーの予約をしている』なんて言っていたら、あれより酷い様子を見ていたかもしれない。

「ほら、支度しよう」

「新しいコート、着て行っていい?」

「ああ、いいな。せっかくだし着て行こうか」

 それぞれ選んだコートのビニールを外し、タグを切ってから上に羽織る。

「軽いのにあったかーい」

「やっぱ良いやつは手触りがいいよなぁ」

 仁科が言うので、和都も手のひらでそっとコートの表面を撫でた。ふんわりと柔らかく滑らかで、触っていて気持ちがいい。

 いつも通りに持ってきていた赤いマフラーを巻いてみる、が。

「めちゃくちゃクリスマスカラーだな」

「……えー、なんかやだ」

 キャメル色のコートに合わせていた時は問題なかったが、青緑色のコートにはどうも馴染まない。段ボールの中にマフラーもなかっただろうか、と漁っていると、仁科が明るいグレーのマフラーを差し出した。

「これやるから使いな」

 時々、学校でも見たことのあるマフラーだったので、多分自分で使おうとしていたのだろう。探している時間もないし、和都はひとまず受け取って巻いてみた。鏡を見ると、さきほどの赤いマフラーと違ってバランスが良いように思える。

「戻ってきたら、ちゃんと返すね」

「いいよいいよ。そのコートによく合ってるし、もらっとけ」

 そう言いながら仁科はまた別の、ライトベージュのマフラーを持ってきて首に巻いていた。そちらはそちらで、紫紺色のコートによく似合う。

「なんか今日、もらってばっかり……」

「まぁクリスマスだしね」

 身支度を終え、玄関に向かう途中の廊下で、和都はムッとしたまま立ち止まった。

「どうした?」

「貰ってばっかりは、悔しいので」

 和都はムッとした顔のまま、トートバッグの中に手を入れて、クリスマスモチーフの包装紙でキレイに包んでもらった、細長い箱を取り出す。そしてそれを仁科に向かって差し出した。

「……はい」

「俺に?」

「先生が全然クリスマスとか考えてなさそうだったから、これくらいはしなきゃと思って、買っといたの」

 ささやかにクリスマスらしいことが出来ればいいか、と思ってプレゼントを買っておいたのに、まさかしっかりディナーの予約までしているなんて。

 してもらっていることに対して、返せることが少なすぎる。

 けれど仁科は驚きつつもちゃんと受け取ってくれた。

「……開けていい?」

「うん」

 箱を開けて出てきたのは、深い青紫のネクタイ。ブロックチェックの織に、淡い色の小さな花柄がところどころに入っている。

「ネクタイ……」

「これでもすごい考えたんだけど、全然思いつかなくて。高いものとか買えないし、お菓子とかもなんか違うなぁって思って」

 もっとクリスマスらしい何かを贈りたかったのだが、学校で毎日会うせいか、それ以外に本当に何も思いつかなかったのだ。

「文化祭の時、おれのせいでネクタイ1個ダメにしてたでしょ? きっといっぱい持ってるだろうけど、先生なら毎日使うから、いっぱいあっても困らないかなって思って……」

 仁科が何も言わないせいか、言い訳のような言葉が出てきてしまう。

「先生に似合うのとかよくわかんないし、ブランドものでもないし。要らなかったら、捨ててくれていいし……」

「そんなことするわけないでしょ」

 俯いてしまった和都を、仁科が上からぎゅっと包むようにして抱きしめた。

「……ありがとう。すごく嬉しいよ」

「うん……」

 その言葉を聞いて、和都もようやくホッとしたように仁科に擦り寄る。

 自分の選んだものを喜んでもらえることが、こんなにも嬉しいなんて。

 おもむろに大きな手に優しく頭を撫でられた。見上げると仁科の顔が近づいてきて、ゆっくり唇を塞がれる。

 しばらくして顔が離れると、仁科が眼鏡の向こうの目を細めて笑っていた。

「飯の後に渡そうと思ってたけど、俺もちゃんと用意してんのよ、プレゼント」

「えっ。いや、もうマフラーもらったよ!?」

「そっちはついで。本命は、こっち」

 仁科がそう言って、コートのポケットから小さな箱を取り出す。

 受け取った和都が箱を開けると、出てきたのは深い緑色の、革製のキーケースだった。

「キーケース……?」

「うん、なんかずっと古いの使ってただろ? さすがにヤバそうだなぁと思ってさ」

 和都はバッグの中からこれまで使ってたキーケースを取り出す。

 同じように革製ではあるが、表も裏も表面がボロボロで、特に折りの部分は一部が破れてしまっており、鍵をつける金具部分も少し錆びついていた。

「……先生って、よく見てるよねぇ」

「まぁね」

「これ、父さんの形見っていうか、そういうやつでさ」

 小さい時から実父が愛用していたもので、その時からすでにだいぶ傷んでいるものだったが、父が入院してから代わりに使い始め、亡くなった今も新しい家の鍵をつけて使っている。

「あ、そうだったのか」

「うん……。ずっと変えなきゃって、思ってたんだけど、なんか出来なくて」

「そういう大事なやつなら、修理してもらおうか?」

「ううん、いい」

 和都は首を振ると、古いキーケースについていた鍵を、仁科にもらったものへと付け替えた。

 自宅の鍵と、仁科の家の鍵。二つの鍵が真新しいキーケースの内側に並ぶ。

「ありがとね、先生」

「どういたしまして」

 仁科の大きな手が頭を優しく撫でた。きっとこれでいいのだ。

 自宅に帰ったら、父の遺影のそばに置いて、キーケースを返そう。

 彼岸へいった人の影を、いつまでも追いかけている場合ではないのだから。

 ふと仁科が腕時計を確認する。

「あ、やべ。本当にもう行かないと、予約の時間になっちまう」

「うんっ」

 二人は慌てて靴を履き、玄関の外に出た。

 街明かりで明るいものの、外はすっかり暗くなっていて、真っ黒い空で星が凍えるように瞬いている。

「道混んでそうだし、歩いていくかぁ」

「お店近いの?」

「うん、すぐそこのホテルのレストランだから」

 仁科の自宅マンション近辺にあるホテルは、確かそれなりに高級なものしかなかったはずだが。

 ──菅原には黙っておこう……。

 話したら最後、どうなるか目に見えている。

「ほら、行くよ」

「……はぁい」

 和都は差し出された大きな手を握り、仁科の隣で笑いながら歩き出した。


〈了〉

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贈ること、選ぶこと、変わること。 黑野羊 @0151_hitsuji

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