量子的連鎖
夜のチチェン・イッツァは、満月の光を浴びて青白く浮かび上がっていた。カスタ神殿の石壁が月明かりを反射し、その表面で微かな波紋のような模様が揺らめいている。
「ガルシアさんは?」
美咲が周囲を見回した。約束の時間は過ぎているのに、老研究者の姿はない。理子は携帯型の量子センサーを石壁に向けていた。
「何かがおかしい」
画面には世界中の古代遺跡からのリアルタイムデータが表示されている。シュナイダー財団のネットワークを通じて、各地の観測値が次々と更新されていく。
「この振動パターン...」
石材の量子状態を示すグラフが、通常とは異なる波形を描き始めていた。周波数解析を行うと、それは明らかに人工的な規則性を持っていた。
「まるで...起動シーケンスのよう」
その時、彼女のスマートフォンが鳴った。山岸からだ。
「大変です」山岸の声が震えている。「ギザのピラミッドが異常な量子シグナルを発信し始めた。他の遺跡でも同様の現象が」
通話が途切れた。タブレットの画面で、センサー値が急激な変化を示し始める。世界中の古代建造物が、同時に量子的な共鳴状態に入っていった。
「驚くべき同期性ね」
美咲がホログラフィック地図を展開する。建造物間の量子もつれを示す線が、青白い光を放って浮かび上がる。それは地球全体を覆う巨大なネットワークを形作っていた。
「私の量子コンピュータ...」
理子は急いで端末を操作する。シュナイダー財団の施設に設置された量子コンピュータが、前例のない規模の量子干渉パターンを検出していた。それは既知のいかなるアルゴリズムとも異なる、全く新しい数学的構造を持っていた。
「これは...メッセージ?」
量子状態の重ね合わせから、明確な情報パターンが浮かび上がってくる。それは単なるノイズではなかった。古代文明が残した情報が、量子的な共鳴を通じて顕在化しつつあった。
「翻訳を試みます」
美咲のAIが解析を開始する。しかし、従来の量子アルゴリズムでは、このパターンを解読することができない。
「別の方法を」
理子は、これまでの研究で見出した文明間の共通パターンを応用した。エジプトの分数システム、バビロニアの数列、マヤの暦法。それらに内在する量子数学を使って、未知のメッセージを理解しようと試みる。
ホログラム空間に、新しい数式が次々と形成されていく。それは人類の既知の数学を遥かに超えた、多次元的な構造を持っていた。
「これは...」
理子の手が止まる。解読された最初の部分は、彼女の予想をはるかに超える内容だった。それは単なる科学的知識の伝達ではなく、人類の進化に関する根源的なメッセージのように見えた。
その時、遠くからエンジン音が聞こえてきた。複数のヘリコプターが、遺跡に向かって接近している。
「シュナイダーね」
美咲が夜空を見上げた。サーチライトが闇を切り裂く。
「急いで」理子は必死でデータの保存を試みた。「このメッセージを記録しないと」
しかし、量子状態として記録された情報は、従来のデジタルシステムでは完全に捉えることができない。理子は古代の数学者たちが使った方法を思い出そうとした。彼らは、この壊れやすい量子情報を、どうやって石に封じ込めたのか。
カスタ神殿の石壁が、これまでにない強さで青白く輝き始めた。古代文明からのメッセージは、まさに今、その全容を現そうとしていた。
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