episode 2 話しかけたら絶交

「宇未くん、私、からまで、隠れ、なくて、いいのに――」

 私は一段飛ばしで少しずつ文句を吐き捨てて階段を上る。この先は三年生の教室が連なる北棟三階で、放課後とはいえあまり行きたくなかった。先ほど指摘されたように「帰宅部」の私には優しく声をかけてくれる部活の先輩はおらず、もちろん下級生に邪険にする部活の先輩もいないのだけど、足音をたてるごとに緊張する恐ろしい空間だった。

 予想以上の喧噪けんそうが響く三階の廊下に顔を出したとき、右からの気配に耳がうずいた。あの〝きゅぎゅぎゅっ〟の音ではない。

「じゃあやってみろよ! おまえなんかにできんのか?」

「おおっ、やってやるぜ。あとで泣くなよー」

 どちらも陽気だから怖がることでもなく、では何が気になったかというと最初の「じゃあやってみろよ」である。

 私は昨日、宇未くんとけんかになった。翌日が彼の誕生日だと知っていたにもかかわらず。私には度胸がなくて愛美さんのような「プレゼント作戦」までは考えてなかったけど、好きな人の誕生日前日に仲違いなんか絶対にしちゃいけない。今日は朝から隣の席でおめでとうも言えなかった。

 昨日のけんかの最後に彼が私に言い放ったのが、例の「じゃあやってみろよ」という台詞。けんかを悔やむ今の私には、まったくの他人の声に彼の怒りが重なって聞こえてきた。

 きっかけはささいな出来事だった。私と仲良しで髪をいつも二つ結びにしている優依ゆいが机掃除でひざまずく宇未くんの背中をってしまい、わざとだわざとじゃないでもめ始めた。私は少し迷いつつも間に入り、悪口の言い合いに突入していた二人を止める。今となっては二人とも本気で怒っていなかった気もするけれど、私が割り込んだら彼がずるいことを言った。

「どっちの味方なんだよ彩は」

 そんなの両方だよ、それが私の本音だったのに、ひょろっとした優依がぎゅっと手を握ってきた体温で私は宇未くんの味方をできなくなる。

「それは……女子だもん、優依に決まってるじゃん」

「――ふうん。いつも思うんだけどさ、すぐ女子でまとまろうとするのって、女の悪いくせだぞ?」

 ぐさり。男に対して弱者だからとはいえ、彼の言うことは間違っていないと感じた。でも私は彼女に手を握られて引くわけにいかず、「そんなの宇未くんが勝手にいつも思ってればいいじゃん。私は優依の味方だよ。ふんっ、だ!」と頬をふくらませる。

「わかったわかった、もうばいばいだな」

 夕方の学活のあとだった。宇未くんはその場限りの別れのつもりで「ばいばい」と口にし、けんかを切り上げたかったのかもしれない。しかし私はかちんときて、彼に強がりのうそをついた。

「ひとりぼっちだったときは助けてもらったけどね、今は宇未くんと話すよりもっと楽しいことがあるから全然話さなくてもいいもん」

 優依と話すのも楽しいことだけど、大好きな人には誰も及ばない。しかも私は彼に孤立から救ってもらった過去があり、本当は今の私にとっても隣の席で笑ってくれる彼は毎日必ず話す、恋心を無視してもまだまだ生きるために大切な存在だったのに私は――、

 宇未くんは最後にこう言った。

「じゃあやってみろよ。もし明日話しかけてきたら絶交だからな!」

 これが問題の「じゃあやってみろよ」で、記憶の中で怒る彼はかすかに笑っていたような気がする。彼の台詞に出た「明日」はもちろん今日のことで、あのとき彼が早く帰りたかったにしても、いきなり「明日」と言われたのは少し不思議だった。

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