多声妖貝
――この間、チナリといえば一種の地獄を味わっていた。
目を覚ましたら、そこは暗く、ベタベタドロドロした生臭い場所だった。
多少の窮屈さを感じるものの、意外にも奥行きがあり、身動きが全く取れないわけじゃない。
それは仮に、この空間にいるのが一人だけならば、の話だ。
現状、自分の他に二人の女性が収容されている。
どちらも街で見覚えのある子達だが、呼吸は浅く、意識が朦朧としているようでグッタリと横たわっていた。
実際酸素が薄くなってきてるのは事実で、あまりうかうかしてられない状況であるのはチナリも把握していた。
とにかくこの奇妙な密室から出るために、行動を起こさねば。
何か鋭利な刃先のものがあれば空気孔くらい確保出来るかと懐を漁り、ようやくペンダントが無いことに気づく。
サッと血の気がひき、いつ、どこで落としたのかと記憶を巡らせるが……思い当たる節は、一つしかない。
「……飲み込まれる前に、落とした?」
沸々と怒りが込み上げ、一刻も早くこんな場所から脱出してやる、と気合も同時に注入される。
注意深く観察すれば、僅かに光が漏れ出す隙間――割れ目っぽい溝を見つけた。
何度かペンを突き立ててみるが、あまりに硬く、ペンの方が折れてしまいそうだ。
そうこうしてるうちに、奇妙な振動を覚える。
足場が小刻みに震え、気色悪い低い不協和音が生み出された。
この不快感の元凶をまずは始末したい一心で、持っていたペンの先をこのヌメついた地面に全体重をかけ突き刺す。
すると一瞬、甲高い悲鳴ともとれる奇声が聞こえた後、例の溝が上下にガバリと開いたのだ。
そこから広がる外の光景――その中心に意外な人物の姿を見た。
***
シノノメの煽りに呼応するかのように、大きく開かれた口。
実際は内部のチナリによる一撃が効いてのことだったが、どちらにせよ、このチャンンスをみすみす逃すシノノメではない。
なによりも、内部に囚われている人影がチナリ本人と判明した瞬間、悩む余地なんて微塵もなくなったのだ。
素早くその得体の知れない貝との距離を詰め、自らの右腕を、開いた口内に滑り込ませる。
か細いチナリの手首を掴み、引き上げようとしたその時。
グギっ、ギギギ……ガリガリ。
自ら飛び込んできた異物に対し、突然のことで反応が遅れた貝だったが、獲物を取られる間一髪のところで口を閉ざした。
硬い物同士が擦れ合い、何かが砕かれていくような異音。
耳を塞ぎたくなるそれが何であるかは、シノノメの苦痛な表情からも結論は簡単に出てしまう。
挟まれた腕をそのままに、彼女は貝に寄りかかり脱力していった。
「シノノメ……!」
時間にして、僅か数秒に起きた惨事。
呆気に取られていたユメビシだったが、徐々に範囲を広げていく赤黒い水たまりを目にし、シノノメの元へ駆け寄る。
彼女の片腕を咥え込んだことで、完全に閉まらなくなった開閉口だったが、その隙間からは短いながらも鋭利な牙が覗く。
本来は上下の牙がかっちり噛み合うことで、体内の密閉性を生み出してるであろうそれが、今は容赦無くシノノメの肉……更には骨にまで食い込んでいた。
ユメビシもすかさず自身の両手を滑りこませ、上顎と下顎をそれぞれ
チナリも先程と同じ作戦で、地面にもう一度ペンを突き刺す。
しかし、外と内から二人で奮闘するも、もうぴくりとも貝は動かない。
激痛により朦朧としかけた意識を、ツンとした鉄の匂いが呼び覚まさせる。
シノノメはなんとか顔をあげ焦点を合わせると、肘から伝う鮮血をものともせず、口を力任せにこじ開けようとするユメビシの姿が映った。
その両手は何やら皮の手袋に包まれているとはいえ、そうもしっかり掴んでしまえば、容易に牙が突き刺さる。
大人しそうな顔に似合わず、なんて脳筋な子なんだろう……と、こんな状況でありながら、口元が綻びそうになってしまう。
だって、普通はもっとこう……棒状の物なんかを挟み、てこの原理を利用するはずだ。
仮にその発想がなかった場合「開かぬのなら、壊してしまえ、ほととぎす」よろしく強行突破に出る未来は、そう遠くないだろう。
「頼むから……乱暴に、扱ってくれるなよ。外部からの衝撃が、内部の人間にどう影響するか……分かったもんじゃない」
「……この貝、割ったらまずいのか」
「やっぱりな! お前、知恵の輪も工具使って分解するタイプだろ」
そうは言っても、次の一手が思い浮かばないシノノメは着実に追い詰められていた。
体内に取り残されたチナリの安全が保障されない限り、闇雲な行動は控えたいところなのだ。
現状、隙間から聞こえる彼女の元気すぎる息遣いは健在だが、『人喰い箱』の本領がどのタイミングで発揮されるのか、気が気じゃない。
『やあやあ、お騒がせするよ。ちょっと野暮用でね』
……と、ここで彼らの頭上からは、緊張感のかけらもないよく知る声が、街中に備え付けられたスピーカーから響き渡る。
『いいかい、シノノメ。それはおそらく擬態貝(ぎたいがい)の一種だ。読みが正しければ、それらの弱点は熱湯だから、先手を打っておいたよ。
***
マイクから口を離したヨミトは、満足そうに事の成り行きを静観する。
自分の役割はもう果たしたと言わんばかりで、勝手に茶まで淹れ始める始末だ。
現在の傘ザクラには、肉体労働に乏しい二名だけが残っていた。
寛ぐヨミトとは対照的に、周囲への警戒を続けるユキタケは、意識を現場周辺に集約させたまま、うわごとの様に疑問を口にする。
「ヨミトさん、その擬態貝ってなあに?」
集中状態のユキタケに何を言っても、右から左に流され、この間に交わした会話が彼の記憶に残ることはない。
流し聞きに終わるのは目に見えていたが、ヨミトは気を悪くするでもなく、寧ろ嬉々とした様子で語り始めた。
「擬態貝自体は、昔からいる妖さ。その中でも声色を巧みに操り、捕食対象者を誘き寄せることから『
――そう、例えば『故人の声』なんかが多いと聞く。
もう二度と聞くことが叶わない声。
ふとした瞬間、それに語りかけられたら、ほとんどの者は足を止めてしまうだろう。
なんで、どうして……と。
そうなって仕舞えば、多声妖貝は共鳴によりその感情を読み取り、言葉巧みに対象者を自身の懐に誘き寄せる。
……徐々に視覚や嗅覚を汚染し、思考能力を低下させながら。
「とは言っても通常、あそこまで大きくない。せいぜい人一人飲み込むくらいの大きさしか、持ち合わせていないはずなんだ。実に妙だね、突然変異かな?」
完全に興が乗ってきたヨミトは、上の空な相槌を肴に、ベラベラと見解を述べ続ける。
ユキタケにとってはすっかり、作業用BGMな存在として垂れ流されていることだろう。
「限定的な条件になっていたとはいえ、かの人喰い箱の特徴は、多声妖貝と実に酷似している。核に使われていたとみて、間違いないだろう」
ヨミトの呟きは、湯呑みから漂う湯気と一緒に、人知れず上空に溶けて消えていった。
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