断章 61年後の香調

消える物語(前編)

 

 空気が澄んでいて、静寂に包まれた夜。

 冷たい風が容赦なく体を通り抜けていき、足がすくむ。

 

 外の世界は、すっかり様変わりしていた。

 透けてしまった身体で、こうして外に出てしまった選択。

 多くの不安と迷いを抱えながら、今ここに立っている理由は……過去の後悔を回収するため。


 どこにいるんだろう? 近くに気配を感じる。

 

 ――貴方も私の一つなのに、辛いものを一人背負わせてしまって、本当にごめんなさい。


 身勝手なのは分かってる。

 それでも、戻ってきて……一緒に居よう。

 ようやく理解した。苦しい気持ちも、憎い気持ちもすら、全部が私の大切な感情だと。

 もう一人じゃない。一人にさせないよ、と貴方にも伝えたい。

 ……私にそう言って、傍にいてくれた人がいるように。



 ***

 

 

 あの場所を後にして、気配のする方角を突き進む。

 いくつかの鳥居を通り過ぎ、広い通りに出た矢先――私達は再会を果たした。

 ……しかし、記憶の中にある彼女とは、異なる姿で。

 

 私が懺悔の気持ちから会いに行ったのとは対照的に、彼女はただひたすらに復讐の鬼と化し、私を探していたのだろう。

 その怨念を、決して甘く見ていた訳じゃない。

 

 ――けど、どうなってるの?

 

 自分から弾き出された、同じく実体を持たないはずの存在は、どういうわけかを得て、別の在り方へと変貌を遂げていた。

 外見は私に似ているが、私本人であるはずない。

 だって身体はとうの昔に朽ちている。

 

 ――ならばあの体を、どうやって?


 言葉を交わしたわけではない。

 でもお互い対峙した瞬間、もう元通りにはならないと察した。

 

 初めから相手は私を始末する為に、殺意を込めた眼差しで、鈍器を掲げて襲いかかる。

 恨みや怒りの原動力は凄まじいものだ。力の差は歴然だろう。

 しかし私は何があっても、彼女を受け入れるために来たんだ。

 逃げも、隠れも、するつもりは毛頭ない。

 

 ――それでも、一緒についてきてくれた露命ろめいだけは、絶対傷つけさせない。

 

 私を庇おうとした彼を手で制して、彼女の攻撃を受け入れた。

 

 

 

 ……衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。

 

 鈍器は体を貫いているのに、痛みすら感じない。

 その代わり、なんとも例え難い悲しみが、胸に広がった。

 それは自分の肉体が無いことを痛感した為か、接触したことで彼女の苦しみが伝わったからか、その両方なのか。

 

「……ごめんね……」

 

 その言葉は、彼女の逆鱗に触れたらしい。

 私を貫いてた物を乱雑に引き抜くと、次は露命を標的にした。

 

 ――露命はダメだ。

 彼は何があっても栞恩わたしを絶対に傷つけない。

 襲っている方も、襲われている方も結局は栞恩わたしだから、彼は何も出来ないだろう。

 

「嫌だ、逃げて……!」

 

 案の定、露命は私達の間に入り、背中の後ろへ私を隠してしまった。

 

「貴方も、先程したでしょう?」

 

 なんて、困ったように笑うのだ。

 あぁ、何も変わらない。大切なものを守ろうとして、いつも最後は守られてしまう。

 ……そして失うんだ。

 

 私にもっと力があればよかったのに。そうすれば××のことも……。

 

 ――いや、過去はもう変えられない。変えるなら……後悔するくらいなら、今動け!

 

「させない。その危なっかしいの、降ろしなさいよ!」

 

 お願いなんかじゃない、これは命令。

 別個体になったとはいえ、元は同じ栞恩。

 まだどこか深いところで結びつきがあるのだろうか。

 強い意思で念じると、彼女の動きが一瞬止まり、頭を抱え苦しみ出した。

 

「貴方の怒りはごもっともだけど、それは私だけに向けなさい。彼に手を出すことは、そっちだって望んでないはずよ」

「……イ…………テ」

 

 彼女は初めて口を開いた。

 その表情は、どこか泣き出しそうな危うさがある。

 

「カ……エシ……、テ」

「なに、を」

「アノ……バショ、ガ…………オマエ、ガ……ニク……イ!」


 ――憎い。

 それが彼女の平常を取り戻す呪文となり、再び敵意がこちらに向けられる。

 痛々しいその姿に強い既視感を憶えた。

 こうなってしまえば、もう誰の声も届かないだろう。

 ……かつての自分がそうであったように。

 

 

「何してるんだ、あんたら」

 

 この場にいた誰のものでも無い声が、束の間の静寂を切り裂いた。

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