【エッセイ】海月のタネ

雨宮 灯織

第1話 雨宮灯織はいかにして。

 改めまして、こんにちは。雨宮あめみや 灯織ひおりです。


 みなさん、突然ですが、みなさんはなぜ『カクヨムで物語を書く』のでしょうか?

 趣味? 作家の夢を目指して? それとも……。


 というわけで、今回は『雨宮灯織がいかにして物語を書くようになったのか?』についてお話しします。


 遡ること小学校中学年の頃、国語の授業で『物語を書いてみよう』みたいなのがありまして。そこで、原稿用紙十枚以上に渡って物語を書いたのが、私のの始まりだったと思います。他の子達が書いた物語はは原稿五枚にすら満たない。そんな中で「私は十枚以上も書いた!」と勝手にウキウキしていたのを覚えています。

 そこから、しばらくして、当時の担任のS先生に、ある日「俳句を書いたから見てほしい」とノートのページを何枚も千切って作った俳句集をホチキスで留めて、見ていただいたんです。それが思ったよりも絶賛されて、先生、わざわざ「後ろに置いておくから自由に見ていいよ」って小さくコーナーを設けてくれたんです。かなりのクラスメイトが目を通してくれて、それが本当に嬉しくて、まさかの二作目を書いたのも覚えています。

 当時、クラスメイトの男の子に 「……は〇〇○だ、って、そりゃ当たり前のことじゃん」とある俳句について突っ込まれてしまって、しばらくがっかりしてたこともありました(笑)


 そこから小学校高学年、クラス新聞を書いていたこともありました。結局のところ、何人が読んでいたのかはわかりませんが、『自分の書いた文章を掲示して見てもらう』というちょっとした創作活動が、私の現在に繋がる大きなポイントじゃないかな、と今では思います。

 そして、またまた国語の時間に今度は『俳句を書こう』という授業があって、当時担任だったK先生(担当教科は国語)に俳句の清書を見せたらものすごく絶賛されて。当時「私は俳句の才能があるんだ!」みたいに調子に乗っていたのを覚えてます。今思うと恥ずかしい。それ以後、自己満程度で漫画をちょっと書いたこともありました。人には見せれないので内緒です。

 

 それに、卒業文集に「将来、私はみんなが幸せになるような小説を書くようになる!」と決意表明的なのを堂々と書いたことを覚えています。安直ですね。


 それから中学生になり、魔法のiらんどに二ヶ月ほど小説を投稿していましたが、スランプに陥ったのか挫折してアカウントを消し、カクヨムに移動するも、思ったより成果が出せずに挫折。小説が有り余るこの広大なネットの世界で、中学生の書く物語には誰も目を通さず、世の中の厳しさを知りました。「もう諦めようかな……」と思っていたとき、母に誘われて、新海誠監督の映画「すずめの戸締まり」を見てから「やっぱり創作は面白い」と感銘を受け、小学校で創作活動をしていた頃の情熱を思い出して、再び創作活動に励むようになりました。

 そこから、心機一転、買ってきた原稿用紙に書いてみたり、カクヨムにちょこちょこ投稿はしたものの、うまくいかずアカウントを消したり、それ以降、何度も何度も「才能ないのかな……」と悩みました。そんな苦境の中でも、諦めずに進んで来れたのは間違いなく今までの経験が支えになったからだと思います。

 まだまだ未熟ではありますが、人として、創作をする者としてこれから成長していけたらいいな、と思います。


 さて、私の今までの物語はここまで。みなさんの創作活動の始まりにはどんな背景があるのでしょうか。ぜひ、この機会に思い出してみてください。

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