第1話: 初めての現場
朝の冷たい空気が倉庫内に流れ込む。
大きな倉庫の入り口に立つ山本涼介の目には、不安と期待が入り混じっていた。
広大な空間、天井まで届くパレットラック、そして行き交うフォークリフト。
その全てが、25歳の新人には圧倒的だった。彼の手には、藤原から渡された履歴書ノートが握られている。
そのノートにはまだ何も書かれていないが、これからどんなことを記録していくのか、考えるだけで胸が高鳴るような気持ちと緊張が湧いていた。
「現場は誰でもこんなものです。すぐになれるよ。」
低く落ち着いた声が涼介の耳に届く。
振り返ると、作業服姿の藤原健次が立っていた。
リーダーの藤原は、180cmを超えるがっしりした体格と、冷静で優しそうな目元が印象的な男性で、現場の細かいところまで目を配りつつ、新人の育成にも力を入れる彼は、スタッフたちから絶大な信頼を得ている。
涼介は藤原の顔を見て少し肩の力を抜いた。
藤原の落ち着いた表情と柔らかな口調が、緊張で硬くなった涼介の心を少しずつ解きほぐしていく。
「おはようございます!」
と反射的に背筋を伸ばして挨拶する涼介に、
藤原は「まずは倉庫の流れを覚えることだ」と優しく言葉をかけた。
その一方で、涼介は「こんな大きな現場で自分が役に立てるのだろうか」という不安を拭いきれずにいた。
藤原はそんな涼介の表情を見逃さなかった。
「山本くんの専用のノートだ」と履歴書ノートを手渡しながら、
「ここに失敗も成功も全部書き込んでください。それが成長の証になるんですよ。」
と力強く言った。
その言葉に、涼介は少しだけ希望を感じたものの、自分にそれができるのかという葛藤が頭を離れなかった。
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午前中の作業は入荷エリアで行われた。
涼介の仕事は、トラックから荷物を降ろし、バーコードスキャナーで読み取り、指定された場所に運ぶというシンプルな作業のはずだった。
しかし、実際に始めてみると、緊張でバーコードを何度も読み取りミスをしてしまう。
スキャナーのエラー音が鳴るたびに、背後から視線を感じ、汗が背中を伝った。
「山本くん、スキャナーをもっと近づけて、バーコードにしっかり光を当ててください。」
同じエリアで作業していた村田典夫が声をかけてきた。
ベテラン作業員の村田は寡黙な印象だったが、その声には威厳があった。
涼介は「すみません!」と謝りながら、言われた通りにスキャナーを操作した。
村田の厳しい視線が彼の手元に注がれる中、涼介は必死で集中しようとしたが、心の中では「また失敗したらどうしよう」という不安が膨れ上がるばかりだった。
作業を続ける中で、涼介は周りのスタッフたちの動きを意識し始めた。
フォークリフトの操作は滑らかで、荷物の配置も素早く的確だ。
村田がフォークリフトから降り、荷物の状態を確認している様子は、経験に裏打ちされたプロフェッショナルそのものだった。
その姿に、涼介は「自分もこんな風になりたい」と初めて思ったのと同時に、「自分にはまだまだ遠い」と感じる劣等感も胸に広がった。
村田は新人アルバイトにも的確な指示を出しながら、全体の流れを見渡していた。
その姿を見て涼介は、「いつか自分もこうやって現場を動かせる存在になりたい」という願望を強く抱いた。
そんな想いが、彼の手の中で握られたスキャナーを少しだけ重く感じさせた。
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なんとか午前中の作業を終えた頃には、涼介は疲労と自己嫌悪でいっぱいだった。
昼休みに休憩室へ向かう途中、藤原が声をかけてきた。
「初日はどうだ?大変だっただろう。」
涼介は小さくうなずき、
「ミスばかりで、皆さんに迷惑をかけてしまいました」
と肩を落とした。
その表情には、失敗への後悔と、自分の未熟さへの苛立ちがにじんでいた。
藤原は少し笑いながらポケットから一冊のノートを取り出した。
「これは私の履歴書ノートだ。」
涼介が目を向けると、それは使い込まれたノートだった。
ページをめくると、作業の記録や改善案、失敗から学んだことがびっしりと書き込まれていた。
その文字の一つ一つから、藤原がどれだけこの現場に真剣に向き合ってきたのかが伝わってきた。
「現場での失敗は勲章だよ。誰でもミスをする。それをどう次に活かすかで成長のスピードが変わるんだよ。」
藤原の言葉に涼介は少し驚いた。
失敗が勲章だと言われることに戸惑いながらも、その考えにどこか救われる気持ちがあった。
その日が終わる頃、涼介は初めてノートに書き込むために机に向かった。
書き始める前に一度ペンを握った手を見つめ、深呼吸する。
「今日の失敗」と小さく書き始めた後、彼は今日の出来事を一つずつ思い出しながら、次のように記した。
「スキャナーの使い方に慣れず、バーコードの読み取りミスを3回してしまった。その結果、周囲のスタッフに迷惑をかけてしまった。村田さんに指摘を受け、スキャナーを近づけてバーコードの中心を狙うことを学んだ。次からは、焦らず、正確に狙うことを意識する。」
最後に「明日は絶対に同じミスを繰り返さない」と書き加えると、彼の胸に少しだけ自信と決意が生まれた。
ノートの一ページが埋まる頃、彼の心には小さな達成感が芽生えていた。
そして彼は、新しい一歩を踏み出す覚悟を静かに胸に秘めた。
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