剣闘士令嬢
@sion8787
第1話 初陣
心臓が、早鐘を打つ。
それはなにも、ここまでを走ってきたからではないのでしょう。
「……本当に来やがったか……」
「来るわよ。何のために、練習してきたと、思ってるの」
でもそれは、目の下の真っ黒いクマと腹部を押さえる手で、いつも台無し。
だけど……。
今、彼の胃をキリキリと引っ掻いているのは、きっと私のことなのだわ。
そう考えてついニヤけてしまった私に、その幼馴染み……アラタは、憂鬱そうに眉を寄せてまた溜息を吐く。
そうして次に口から滑り出したのは……。
「……お前は、そういう綺麗な格好してる方が、似合ってると思うぜ?」
思いがけない言葉に、頬が熱を持ったのを自覚したわ。
綺麗? 私が?
……いや待てこいつ、私の服装のこと言ってやがるんだ……。
慌てて表情を引き締めた。
「……はん、その手には乗らないわ! 諦めさせようって魂胆は見え見えよ!」
そんな適当な言葉で誤魔化されないんだから! と、息巻いてみせると。
「バカ、今さらお前に世辞なんか言わねぇっつの。本当にそう思うから、言ってんのよ俺は。つまり……最後の忠告だ」
そう言いながら、腹部を押さえていない逆の手に握る、私専用に改良された剣帯を差し出して――。
「せっかく
苦い表情で、そんなことを言うのは酷いと思う。
身分……。
身分なんてね……。
貴方に見てもらえない、身分なんて……。
「女の私に、身分がどれほどの価値を持つの?」
でも。
女の私には、私が家の所有物であるという意味しかない。
そう言ったのは貴方よ。
「クルトを待てば良いだろ。あいつならお前を、道具扱いなんてしない」
分かっているわ。
でもそれも、私が望むものではないのだもの。
「その間に、何回あの
守ってもらいたいんじゃないわ。
「……勘違いしないで。誰のためでもない、私が、私のために、戦いたいの」
私は、貴方たちと並んで立ちたいの。
「せっかく綺麗にしてきた身体も、ズタボロになるんだぞ」
「今さらでしょ。稽古で傷だらけよ」
「父親の
「でも貴方が庇護してくれるのよね?」
「当然だろ。
それが
「お前が俺の剣闘士になるなら、俺はお前の尊厳を守る義務がある」
義務。
そう言うって、分かっていたわ……。
「なら、守りなさいよね。私は絶対、花形になる。貴方の抱える剣闘士の中で、一番価値ある存在に上り詰めるわ」
だからせいぜい、私を大切に扱いなさいなと、アラタの手から剣帯をもぎ取って腰に回した。
少し手こずりつつもなんとか礼装の腰に結え付けた時、何故か急に抱きしめられて、息が止まったわ。
「フザケンナ。サクラは今だって、俺の大切な
耳元で囁かれた熱い言葉。
「だから絶対勝て。擦り傷くらいなら許してやるが、それ以上は承知しねぇ」
私を、
「……当然よ」
その背に腕を回して、ギュッと一瞬だけ、抱きしめた。
「勝つわ」
そう言って、腕を離す。
頭に手をやって、婚約者から贈られた髪飾りを強引に引き抜くと、長い髪がはらりと広がり落ちた。
「持ってて。規定外の武器を持ち込んだなんて、言われたくないもの」
「そもそもつけてくんな」
「仕方ないでしょ! お手洗いに行くって言って来たんだから!」
この軽口だって、私のためにしてくれてるって知ってるわ。
だから私も、いつも通りに言葉を返して、緊張なんて
心臓のバクバクは、貴方が抱きしめてくれたからだし、緊張じゃないわ。
……そうだ。勝ったらまた抱きしめてもらえるわよね。俄然やる気が出た。もう一回、今度はゆっくりじっくりしてもらおう。
私の興行師を引き連れて、
けれど流石に、舞台への鉄扉を守る門番は、私を止めようとしたわ。
「お、お嬢様、ここから先は、関係者以外立ち入り禁止となります」
「関係者よ。お嬢様じゃないわ」
「え、えぇ? ですが……」
「二刀闘士サクラ。次の対戦表にそう書いてあるでしょ。私よ」
そう言うと、ピッと銅板が顔の横に差し出された。
アラタが持っていた、私の剣闘士たる身分証明書。
これがある以上、私は中に入る権利を持つ。そして、ここからは一人……。
「行ってくる」
「あぁ。舞台袖でヘマしないか見といてやる」
「言ってなさいよ。吠え面かかせてやるわ!」
控えの間を歩く私を、数多の剣闘士や審判、奴隷らが唖然と見送る中、さらに足を進めると、聞こえてきだした
「それでは本日の第一戦目。花の如き十七歳、新たな女性闘士のお披露目でございます!」
ギリギリだったわね。もう入場じゃないの。
「麗しいお顔をとくとご覧あれ。
女性闘士じゃねぇっつの。
わぁっ! と、喝采が上がり、私は舞台に足を踏み入れた。
途端に歓声が、勢いをなくしてふにゃりと歪んだわ。
「迷い込んでしまったのか?」
「あの服装、
「なぁ、どこかで見た顔じゃないか?」
一階の観客は元老院階級が占めているから、当然私を知ってる人も多い。
そしてその中にお父様も、私の新しい婚約者も座っているって知っていたわ……。
さっきまで、私もそこにいたのだもの。
だけど、私はもう、ここに立った。
後戻りはできないし、する気もない。
なにより貴方が抱きしめて、勝てと言ってくれた。
だから勝つ。勝って私にも意思があるのだと、お父様の所有物じゃないのだと、示すのよ!
勢いのまま進行役の前に足を進めて、彼の持つ拡声器をもぎ取り、騒めく観客席に向けて大きく息を吸い込んだ。
「二刀闘士サクラよ!」
女性闘士じゃないわと訂正して、拡声器を投げて返し、剣帯に結えられた私の短剣二本を抜き放って、顔の前で交差。
これが、二刀闘士の戦う準備ができたという合図。
「さっさと出しなさい!」
そう言うと、慌てて避難口へと退く進行役。
その状況に、観客席は興奮と混乱の入り混じった歓声をあげたわ。
深呼吸をして、そんな周りの雑音を、頭から追い払った。
ガラガラと、鉄格子の降りていた魔獣用の門が開いていく……。
私がここに立つ日が、やっと来た。
決意のあの日から、ようやっと辿り着いた。
後悔なんて、ひとつもないのよ。たとえこれで死ぬことになったって。
もし、何度人生をやり直すことになっても私は、必ず、この道を選ぶと断言できる。
五年前……私たちの運命の歯車が噛み合ったあの日、あの瞬間を、今も
だから、どうか最後まで、見届けて。
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