変わり身。
菜美史郎
第1話
「いつまでもあいつめ奥の間で何しとるんやろ。また……」
土間で掃き掃除をしている四十がらみの女が小声でそうつぶやき、唇をかんだ。
右手にもった小ぶりのほうきを動かしたまま。家事仕事がしやすいのか、あちこち布切れでつぎはぎした草色のモンペをはいている。
お勝手の引き戸は開け放ったままだ。
七輪で焼いているもろこや鮒といった川魚が、もうもうと煙を上げている。
外からもろに家の中が観えないよう、引き戸の上から暖簾がかかる。
女はそれを引き上げては、ときどき、戸外の通路を見やる動作をくりかえした。
家は玄関が南向きの造作で、訪問客があればすぐに見つけられた。
通路わきの畑。真ん中あたりに植えられている木は、ビー玉より少し大きめの実をつけた柿の木。その木を囲むようにして、さつまいものつるがのびにのび、葉をつぎつぎに増やして、今では畑一面をおおいつくしてしまっている。
梅雨入りまじか。昨夜来しつこく降りつづいている雨にうたれて、葉っぱという葉っぱが、大通りを行く車がまきあげる土ぼこりをすっかり洗い流されてしまった。
(もう二年生になったのやから、ちょっとは大人になるかもしれんと思うとったが、どうやら甘かったようや)
女はふと視線を左にふった。
門扉のわきに植えたエニシダの花々が、輝くような黄を、あたり一面にまき散らしている。
「なんか知らんけど、この花を観るとほっとするわ)
女はそう小声でいった。
いちばん初めに生まれた男の子に、いつまでも手を焼いている。
あとにつづいた男の子ふたりは学校が好きならしく、女を困らせたことがない。
女の長男が、ゆうべ寝床にはいったまま、今朝、登校時刻になっても起きてこないのだ。こんなことは彼が小学高学年になった頃から頻繁になった。
彼のからだはいたって丈夫、少しばかり鼻かぜをひき、ぐずぐずすることがあっても、めったにひどくならなかった。
学校に行きたがらない理由は、どうやら、多くてむずかしくなった算数の宿題にあるらしかった。
「おなかが痛い」
ある日のこと、彼が女に訴えたところ、
「ほならしょうない。休んでええよ」
やすやすと学校を休めたのがいけなかった。
(くっ、またまた仮病か。中学生になってもまだ、わるいクセが直らんようやな。よっぽで熱いお灸をすえていたら、こんなことにはならなかったかもしれん)
女はわざとらしく般若の形相を顔にうかべると、よいしょと座敷に上がった。
変わり身。 菜美史郎 @kmxyzco
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