約束の果てで、君を待つ
深海亮
プロローグ
白い石畳の床にはおびただしい量の血が流れていた。濃い血の匂いが空間に充満しており、女は目の前に広がる惨状に膝を折る。
さっきまで傍にいた愛しい人は、もういない。彼は大勢の同胞と共に散った。
覚悟はしていた。でも、涙が止まらない。覚悟が足らなかった。指先が、唇が、全身が震える。
腹から突き上げてきた胃液を吐き出し、彼女は荒い呼吸を繰り返す。一人では抱えきれることのない罪悪感が女――ステラ・クラウンを襲うが、もう全てが手遅れだった。
自分たちの行いがこの光景を生んだ。切り捨てたのだ、大勢の命を。
「ステラ、辛い思いをさせてしまいすまない」
ステラの後ろからゆっくりと近付いてきた人影。男の全身は真っ赤な血に濡れていた。まるで血の雨を頭から被ったように。
「わたしは、わたしは――」
涙で視界がぐにゃりと歪む。ステラは、血に濡れた美しい男の顔を見上げて口を開いた。
だが、言葉は続かなかった。
何を言おうとしたのだろうか。言い訳か、己を正当化するための。そんなことは許されるはずがない。これは三人で決めたことだ。
ステラの心情を読み取ったように、男は優しく目を細め、彼女の手を取った。
「すまない。君を巻き込んでしまった」
むせび泣くステラに男は謝った。
「違う、わたしも同罪よ! ……でも、わたしたちでは駄目だった。あと少し、届かなかった」
何も考えたくなかった。思考を放棄してしまいたい。逃げてしまいたい。歪んだ歴史の重みに潰されてしまいそうで。
「だが、君は希望をその身に宿している。……わたしは無理でも、君だけはこの国から逃げられる。それは今しかない。賢い君のことだ、分かるだろう?」
ステラは目を僅かに開き、腹部に手を当てた。そうだ、わたしは一人ではない。守らなければならない希望がある。
涙が滲む目を、ステラは袖で強く拭った。何かを射貫くように、真っすぐに前を見据える。静かな彼女の決意に、男は安堵したように微笑んだ。
「……ステラ。悪いが、あとは頼んだよ」
男は囁くように伝えると、力を失いその場に倒れた。ステラは目を瞠る。
男の名を呼び、何度も体を揺さぶるが彼の目は開かない。
全身に血を被っていて分からなかったが、彼の腹には風穴が空いている。
ステラは唇を噛んだ。今、骸となった男の胸に顔を伏せて涙を零す。まだ温かいのに、もう二度と会えない。
ああ、二人ともいなくなってしまった。もう三人で笑いあうことも、喧嘩することもできない。
ステラは洟をすすると、男の両手を胸の上で重ねた。
「……わたしも、役目を果たしたらあなたたちの元へ行くわ。必ず行く、だから、待ってて」
ステラは誓いを立てるかのように呟くと、その場から走り去った。
残された空間には幾人もの死体が転がり、巨大な神樹が見下ろしていた。
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