陽凪くんから陽凪ちゃんへ

凪葉

第1話

 帰りのホームルームの時間の終わり際。担任の岩泉先生が「あ、忘れるとこだった」ってドアの前で足を止めた。


 みんな机の中の教科書やノートをリュックの中に詰め込んでいたけど、ピタリと動きを止めて、先生に注目した。


「ああ、他の奴らは帰る準備続けてていいぞ。拓也、お前この間の委員会サボったろ。東雲しののめ先生ブチ切れてたぞ」


「げっ、忘れてた……」


「ま、おれが図書室の掃除やらせときますって言ったら怒りを収めてくれたからさ。感謝しろよ?」


「あざまーす!!先生大好き!!」


「はいはい。じゃ、よろしくな」


 岩泉先生が、拓也の肩にポンと手を置いて悪い笑みを浮かべていた。


「えっ!?今日っすか!?今日は部活が……」


「おめぇ部活休みの日ねぇだろうが。それともどうする。やっぱり東雲先生から説教くらうか?そうなると自然と顧問の邦枝くにえだ先生からも怒られることになると思うけど、二人から雷落とされるのと、ちゃちゃっと掃除しちゃうの、選んでいいぞ」


「喜んで掃除させていただきます!!」



 岩泉先生の提案を聞くなり、ピシッと背筋を伸ばしてすぐに答える拓也に、周りの席のクラスメイトたちが「ドンマイ」って笑っていた。


 うちの学校はどの部もほとんどが強豪と呼ばれるくらいの実力をもっている。当然、普段の部活以外にも、朝練や昼練を行っている部も多くて、拓也が入っている男子バレー部がその筆頭って言ってもいいくらい厳しい練習をしている。


 でも拓也はそんな部活の時間も苦とは思わないで、いつもいつも楽しそうに教室を飛び出していくから、彼のそういった部分は正直、尊敬の眼差しで見ていた。


 まぁ、そうやって毎日毎日他のことは放っぽって部活に行ってたから、委員会のことなんて頭の片隅にもなかったのかもしれないけど。


 岩泉先生がヒラヒラと手を振って教室を出ていくと、途端にガックリと肩を落とす拓也がなんだか可哀想に見えて、「手伝おうか?」って声をかけたら、拓也はパアっと笑顔を浮かべて僕の両肩を掴んできた。


「いいのか!?でも、陽凪ひなも部活あるんじゃ……」


「僕のとこは今日オフだから、全然いいよ。それに、ある程度の時間になったら抜けちゃっていいよ。残りは僕がやっておくしさ。そしたら、拓也もすぐに部活に行けるでしょ?」


「うおぉ〜!陽凪マジでありがとう!!」


「あうあうあう……分かったからそんなに揺らさないで……」



 喜んでくれるのは嬉しいけど、僕よりも背が高くて腕力もあることを自覚して欲しい。


 やっぱり拓也は自分の身体のサイズを自覚してないわんぱくな大型犬って感じがする。


 僕だって175センチだから、別に小さい訳じゃないんだけど、拓也は198センチだからね。同じ男子でもそれだけ体格差があると力負けしてしまう。


「そうと決まれば行くぞ!」


 と、僕のリュックまで持って走り出してしまう拓也に、ワンテンポ遅れて僕も教室をあとにした。



 足が長いのに加えて速いもんだから、ぐんぐんと拓也から突き放されて、図書室に着いた時にはかなり息が切れてしまっていた。


「なんだ陽凪、こんなんで息切れするとか走り込み足りてねぇんじゃね?」


「う、うるさいよ」


 からかってくる拓也からすぐに目を離して、どこから手をつけようかと室内を見渡す。


 読書用に設けられた各テーブルの上には、かなりの量の本が積まれたままになっている。


「これどゆこと?」


「あ〜……たぶん分かったかも」


 頭の上にハテナを浮かべる拓也に対して、僕は大体の予想がついていた。


 岩泉先生の担当は国語。今日の最後の授業が始まる前、隣のクラスの人たちが、移動教室だ〜ラッキーって言ってたのを聞いた。

 隣のクラスの今日の最後の授業は国語だったはずだ。きっと図書室を使って、いつもとは違う雰囲気で授業を行ったに違いない。


 そして、岩泉先生と言えば、時間ギリギリまで授業をすることで有名。それに加えて、岩泉先生は文学部で、文学部の活動場所は図書室。でも、確か文学部も今日は部活がオフだったはずだ。


「つまり、良いところで片付け役が見つかったってことなんじゃないかな?」


「……な、なんだよそれ〜!!!!」


 結局、上手く岩泉先生に使われることになったって分かると、拓也は面白くないと口を尖らせていた。それでも渋々といった様子で本を手に取り、本棚の方へ向かっていってくれた。



「半分くらいは片付けられたね。あとは僕がやっとくから、拓也は部活に戻りなよ」


「う〜ん……けど、もうこの時間となると、今から行ったってドヤされるだけだからなぁ……今日はもう部活はいいかな。おれも最後までやるよ」


 あれ、拓也がこんな事言うの珍しいな。表情もなんか、いつもよりも固い感じするし。


 とりあえず、片付けの要領も掴んできたし、もう少しだけスピードアップできるようにしてみよう。そうすれば、拓也が少しでも部活に参加出来る時間を確保出来るかもしれない。


 そうしてやっと、最後のテーブルの分を片付ければ終わりというところまで来た時だった。


「うわっ!?」


 目の前が突然真っ暗になったことに驚いて、手に持っていた本を落としてしまった。


「えっ、停電……だよね。びっくりした〜……ね、拓也…………拓也?あれ、居るよね?拓也〜?」


 落としてしまった本をかき集めて、手探りで本棚との距離を確認しながら、ゆっくりと立ち上がった。

 飛び跳ねてしまった心臓の音を落ち着かせるために、拓也と会話をしようと思ったのに、一向に返事がない。


 なんで返事してくれないんだろ……もしかして、びっくりして転んで、頭打っちゃったとか!?


 いや、僕じゃあるまいし。拓也がそんなドジするはずがないか。


「ねぇ、拓也?大丈夫?」


 苦手とか言ってられない。今出すことが出来るだけの、大きな声を出しながら拓也が担当していた窓側の本棚へ、慎重に向かった。


 もしも拓也が倒れてしまっていた時に踏みつけてしまわないように、すり足でゆっくりと。


 段々と夜目も効いてきた。


 ここにもいないなら、一番端のほんとに窓際の方にいるのかな。


 意を決して覗き込んでみたけど、そこにも拓也の姿はなかった。


「もしかして、やっぱり部活行きたくなって行っちゃったのかな」


 だったら一言声掛けてくれても良かったのに。まぁ、拓也のことだから、言葉に出すよりも先に駆け出してそうだもんね。


 なんて考えた次の瞬間だった。


「ひっ…………」


 あまりの衝撃に、喉の奥がひゅっとなったまま、叫び声すらあげられなかった。


 人間、心の底から驚くと声なんて出ないんだね。ただただ身を強ばらせることしか出来なかった。


 急に背後から抱きつかれた僕は、暗闇の中で身動きを取ることが出来なくなってしまった。


 胸元をしっかりとホールドしている太い腕に、背中に感じる厚い胸板……ってあれ、このくらいの身長って。


「拓也でしょ……もう驚かさないでってば。びっくりしたじゃんか。心臓止まるかと思ったよ」


「………………」


「ねぇ、なんにも言わないってことは当たりなんでしょ?なに、掃除飽きちゃった?だとしたら、もう部活行っても良かったんだよ?」


「…………」


「う〜ん、とりあえず電気つけよっか」


 それでも何も言わない拓也に、これでは埒が明かないなと思って、回された腕を外そうとすると、案外簡単に腕を解いてくれた。


「おれは……」


「ん?」


 やっと理由を話してくれるのかと思って、いざ振り返って見たけど、そこに拓也の影はなかった。


「何を言いかけてたんだろ……」


 なんて顎に手を当てていると、今度は背後の窓から強烈な青白い光が差し込んできて、本棚と本棚の間にある僕の影がギュンって伸びた。


 驚いて窓の外へ目を向けると、他の星の存在を隠してしまうくらい、明るく輝く青白い星が、立派な尻尾を伸ばしながら空を駆けていくところだった。


 目の前の水田を埋めつくした真っ白な雪にも、その光が反射して、すごく幻想的だった。


 にしても、なんか


 流れ星にしては、かなり低い位置を飛んでいっているようにも見える。


 それに、建物の中を照らしてしまうくらい、強く光を感じるって、相当近いんじゃないのだろうか。


 とんでもないものを見ることが出来たという興奮と共に、これを拓也にも見せてあげたかったなぁ、なんて思いながら、ぼうっとその流星を目で追いかけていた。


「えっ」


 その流星は西の山の方へ消えていったかと思うと、西の山の天辺がちかっと赤く光り、その辺りの空も燃え上がったように赤くなった。


「嘘、落ちたの……?」


 視界の端にある西の山の様子を何とか見ようと、窓にへばりつくように手を当てて、顔も近づけた。


 手のひらがあっという間に冷たくなってしまうのも忘れてしまうくらい、その光景に夢中になっていた。


 あれ、窓ガラスが揺れ――――



 ほんの僅かな違和感を覚えた直後、僕の意識は飛んでしまった。




 ■■■■■■■■■■■




 陽凪が手伝ってくれたおかげで、思ってたよりも早く片付けが終わりそうだった。


 でもそんな時に限ってアクシデントが起こる。


 急に停電になっちまったことで、図書室の中は真っ暗。もう何にも見えなくなっちゃったから、このまま作業を続けるのは無理だろって思った。


 おれは割と落ち着いてたつもりだったけど、陽凪の「うわっ!?」って声と、ドサドサッて重い物が床に叩きつけられるような音を聞いた瞬間、やばいと思って図書室から飛び出してしまった。


 たぶん陽凪が倒れた。おれ一人でなんとかするより、大人を連れてきた方がいい。


 すぐにそう判断して、職員室に駆け込んだ。案外すぐに目が慣れて、移動自体は別に難しいことは無かった。


 職員室の中では先生たちも慌てていて、校内に残っている生徒の避難がうんたらかんたら、グラウンドにいる生徒はどうのこうのって、色んな指示が飛び交っていた。


 その中で岩泉先生を見つけ出して、おれは陽凪のことを説明した。


 そしたら先生はすぐに懐中電灯を手にして、おれと一緒に職員室を飛び出してくれた。


 図書室のある特別棟に繋がる渡り廊下を走っている時、窓の外が一瞬明るくなった気がした。けど、そんなこと気にしてる場合じゃなかったから、おれと先生はまっすぐ廊下を走り続けた。


 でもその直後、廊下の窓ガラスが急に割れて、校舎も少し揺れたような気がした。


「拓也、大丈夫か!?」


「ちょいよろけただけで大丈夫っす!ガラスで怪我とかもしてません!」


 岩泉先生が慌てて駆け寄ってくるけど、おれは自分のことよりも、一人で残しちまってた陽凪のことが心配だった。


空狛そらこま、無事か!?」


陽凪ひな、岩泉先生呼んできたぞ!!って……なんだこれ……」


 岩泉先生に続いて中に入ると、図書室の中は渡り廊下の比じゃないくらい、ぐっちゃぐちゃになってしまっていた。


 窓からはガラスが無くなっていて、凍てつくような風にカーテンが勢いよく振られていた。


 そして、さっき二人で綺麗に片付けていたはずのテーブルや椅子はひっくり返って、無造作にに転がっていて、本棚も傾いてるものもあれば完全に倒れてるものもあって、本が床に散らばっていた。


 先生が持っていた懐中電灯があっちこっちを照らす度に、悲惨な光景ばかりが目に入ってくる。


「拓也、空狛はどの辺で作業してたんだ」


「おれと反対側だったんで……」


 けど、そこには陽凪の姿はなくて、ただ本が散らばっているだけだった。


「窓際はガラスが散らばっているだろうから、手を出すのはやめておこう」


「な、何言ってんすか先生!!だってまだ陽凪がこの中に……!!」


「おれだってすぐに助け出してやりたいさ!!けどな、それでおれとお前が怪我しちまったら意味ねえんだよ。ちゃんとプロが助け出してくれる。おれらは空狛と、この後来てくれる救助隊のことを信じて待つしかない!!」


 半ば強引に連れ出される形で、おれも他の生徒たちと一緒に、グラウンドの避難させられた。


 幸いほとんどの部活がオフだったこともあって、校舎内で怪我をしたり、行方不明になっていた生徒は、陽凪を除いて他には居なかった。


 岩泉先生から事情を聞いた救助隊に動きがあったのか、少し離れたところに止まっていた救急車が一台、赤色灯を付けて校舎に近づいていくのが見えて、おれは他の先生たちの制止も聞かずに飛び出した。


「こらこら、ちょっと離れて!」


「友達かもしれないけど、あんまり見ない方がいいよ!」


 おれがショックを受けることを防ごうと、隊員さん数人が壁を作った。

 けど、おれは意地で近づいた。どんな顔をしてても、それが最後かもしれないと思ったら、もう顔を見れないかもしれないと思ったら、どうしても見て起きたかった。


 そして見てしまった。ブルーシートの隙間から、顔が血塗れになった陽凪がストレッチャーの上に寝かされているのを。


 その瞬間に力が抜けた。


 さっきまで怒鳴るようにおれのことを制止していた隊員さんたちも、今度は何も言わないで、優しく抱きしめて背中をトントンしてくれた。



 陽凪って、か。



 それから暫くは、何も考えられなかった。


 陽凪の両親には、何度も謝った。


 おれのせいだって。おれのことなんか手伝わなかったら、陽凪はあの日、いつも通り何事もなく家に帰ることが出来てたはずだって。


 なのに陽凪の両親は、泣きながらもおれのことを許してくれた。


 あの子はそういう子だからって。君は何も悪くないって。


 落ち着くまで学校を休んでいいって言われたし、顧問の邦枝先生も、部活は来たいと思えるようになってからでいいって言ってくれた。


 でも、あの星が降った日から二週間が過ぎたある日のことだった。


 家に岩泉先生が来て、「一緒に行くぞ!」って息を荒くして言ってきた。


 おれはその言葉が信じられなかった。


「陽凪が目を覚ましたんだ!!今、親御さんから連絡があった!!」


 おれは先生と抱き合って泣いた。そして涙が落ち着く間もなく、先生の車に乗せられて、陽凪が入院してる病院へ向かった。


 この後、まさかその涙がものすごい勢いで引っ込んじまうことになるとは思わなかったけど。

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