南国の怖くて優しい話 ‐日本兵の幽霊と煙草‐

十夢矢夢君(とむやむくん)

第1話

今から八十年ほど前の話。


 日本は当時、大日本帝国と呼ばれ太平洋戦争へと突入した時期であった。南方アジアへの侵攻を開始し、植民地政策を進める列強西洋諸国との戦いを繰り広げた時代だった。


 私が暮らすタイの国へも、日本軍の侵攻は開始され、特に悪名高き「泰緬鉄道」(タイとビルマを鉄道で結び、イギリス植民地であるインドまで攻略する戦略のため、短期間の劣悪な環境の下で建設された鉄道路線のこと)での伝染病や飢えが原因で死亡した日本兵、そして労役に利用された連合国軍の捕虜たちがいた。


 時は流れ、平和な時代が訪れ、私も無難に今日までこの「微笑の国」でお世話になっている。


 ある日、友人の誘いでこの悲惨な戦争の爪痕の泰緬鉄道に関わった,日本兵たちへの慰霊祭へ行くことになった。場所は、西洋の映画「戦場にかける橋」という有名な映画の部隊でもある「カンチャナブリ」バンコクから車で3時間ほどの自然豊かな土地。そこはすでに映画の影響かタイでも有名な観光スポットとなっていて、鉄橋のある川沿いの街は国内外からの観光客で常に賑わっている。


 今回はその「観光スポット」の紹介ではない。


 カンチャナブリの街の外れ、物静かな河沿いにひっそりとたたずむ社がある。「桑井川神社」という。


 此処は、この鉄道建設で亡くなった日本兵の英霊を祀った神社なのだ。”桑井川”...そのまま読むとクワイ川となる、タイ語では“クウェー”と発音するのだが日本人には”クワイ”と聞こえたのだろう。ただ、タイ語で“クワイ”と言うのは、男性の陰部を指す単語なので、当地を観光する際は間違っても”あれが、クワイ川だ!”などと奇声をあげないように。


 前書きはさておき、日本は真冬なので怖い話はさらに身体が冷えるでしょうが、どうかご心配なきよう。


 今回は不思議な話を一つ。南国の果ての国で、我が日本の国を護るため命を賭して生きた兵士の英霊の話。


 私たちは神社には夕方に着き、明日の慰霊祭まで境内を散策する。様々な慰霊碑や石碑が日本人の有志で建てられている。どの石碑にも平和を祈り、英霊を慰める言葉が刻まれ胸が痛んだ。そうこうするうちに陽も落ち、明日の慰霊祭のために、日本から来た十数人の遺族や関係者の方と一緒になり、前夜祭のような感じで和気藹々と境内で食事会が催された。


 テーブルには美味しそうなタイ料理が並び、お酒やビール、ウィスキーも差し入れられ、和やかな時間が過ぎて行った。私は愛煙家なので席を中座し、神社のすぐ横を流れるクワイ川の川辺へ降りて行った。明かりもないので暗く滑らないようにゆっくりと土手を下り、煙草に火を点けた。


 三日月の薄明りがまったりと暗い川面を照らしている。平和で静寂な雰囲気が漂う。土手の上で盛り上がっている人たちとの談笑だけがかすかに聞こえてくるだけだ。


 ”ああ、英霊の方々よ、あなた方もこの静かな水面を見ながら、祖国日本へ、家族の元へ、愛する人の元へ帰りたいと思い馳せたのだろうか“ と哀愁にふけりながら一人煙草をふかしていた。


 後方から草を踏む足音が聞こえてきて、誰かが土手から降りてくるような気がした。


「ああ、煙草を吸いに来られたのかな…」と思いながら私は川の方に向かって煙を吐いた。


 すると、後ろから私のシャツをグイっ、グイっと二回引っ張られた。私は咄嗟に ”ここは禁煙のエリアか、しまった!” と振り返り、”ごめんなさい!” と言いかけた。


 「あれ?」


 私は狐に騙されたかのような気になって、あれ?あれ?と周りを見渡す。そこには誰もいない。相変わらず土手の上からは仲間の談笑が聞こえてるだけだ。急に気味悪くなり、煙草を消して慌ててテーブルに戻り仲間に言った。 


 「あの、今、誰か下に降りてこなかった?」


 すると仲間たちが顔を見合わせ、「誰も行ってないよ、さぁ、飲もう飲もう!」と誘うだけだった。しかし、そのうちの年配の方がそっと話しかけてきた。


 「それ、英霊さんだよ、君の煙草が欲しくて、シャツを引っ張って『俺にも一本くれ』って…」


 私は、はっと我に返り「そうだ、そうかもしれないですね、じゃ、もう一度川辺に降りて行きます」と言って、土手を降りて川辺にある石の上に、煙草を三本ほど取り出し火を点けて置いた。煙草の煙はまるで人が吸っているように、赤く燃えては消え、煙は川面を滑るように流れていく。私はそっと手を併せ、「どうか、ゆっくりお休みください」と静かに言った。


 そしてテーブルに戻ろうとすると、先ほどの年配の方がビール瓶とウィスキーも持って席を立って歩いて来た。


「えーと、何処だい?君がシャツ引っ張られたのは?」


「ああ、あの、あのあたりです」と川辺を指さすと、彼はそこへ歩いて行って手に持ったビールとウィスキーを置いた。何か祝詞のような文言を手を併せて唱えると、おもむろに携帯電話取り出し、写真をパチパチと撮りだした。彼は少し微笑みながら私に言った。


 「君はいいなぁ、兵隊さんに気に入られたんだよ、でも僕には何も見えないからせめて写真にでも写ってくれないかなと思ってね、ははは」


 何を呑気なことを言う…(笑)心霊写真でも撮ってるつもりか。


 こちらはシャツを引っ張られた指の感覚がまだ残っているし、幻聴だろうか、低い男の声で『おい、おい!』というドス声がまだ頭の中に残っていた。


 この出来事を聞いた他のテーブルの方々も一斉に煙草や酒を持ち出してきて、川辺に向かって撒き始める。ある人は、川面に向かって「どうか、皆さんで楽しく飲んでください!」とか「大役、ご苦労様でした!」とか叫んでる。私は泣きそうになるのを抑えながらみなさんの笑顔と涙顔を交互に見ながら、タイのシンハビールに氷をぶち込んでグイっと一気飲みをした。


 ふと川辺の大きな木を見上げると、枝分かれしている木の幹に生成りの薄汚れたシャツに軍帽、ぼろぼろの半ズボンに草履を履いた若い兵士が、宴会の様子を手を翳しながら見ている。その幹の下には彼の部下のような幼い少年のような同じ格好をした兵士が「俺にも見せてください!」というような感じで若い先輩兵士の足首を掴んでいる。


 私は薄いフィルム超しにみる映画のようなこのシーンが今も忘れられない。


 怖いような、嬉しいような、儚いような、不思議な話である。


 祖国のために命を懸けた英霊たちに ”敬礼!” 


(終わり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

南国の怖くて優しい話 ‐日本兵の幽霊と煙草‐ 十夢矢夢君(とむやむくん) @Samurai-cowboy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画