私が人と接するのが苦痛になってしまった原因
@Tougarasinoko
はやく滅亡したらいいのに
なぜ自分はここまで人間が嫌いになってしまったのか、そんな議題を噛み砕きどうにか心の接着剤に加工するために奮闘や葛藤、様々な心境を綴っていく。
私は実は幼稚園児のころから人間というものはどんなに信頼関係を築いたところで何の意味もなく呆気なく裏切るものだと考えている。
なぜそのように考えるようになったのかというと、毎日よく遊んだかつて友人であった人間からある日突然「もう◯◯ちゃんとは2度と遊ばないからね」という言葉を投げつけられたのだ、それだけならまだしも私がお手洗いに行きたいなと思って前を通るたびにこの言葉を毎回繰り返されるのだ。その後どんどん内気にはなってしまったものの、外で遊ぶのはあまり嫌いではなかったのでクラスメイトたちとかくれんぼをして遊んだこともあったが見つけづらい場所に隠れていたわけでもなく見つけられることもなく存在を忘れられていた。幼稚園児だけならまだしも大人である先生たちすら探してくれなかったのだ。それが一度や二度では済まない。さらに母の都合ではあったが毎日弁当を作る事ができなかったので幼稚園ではほとんど給食弁当というものを食べていた。それが明らかにどう見ても大人向けのような、しば漬け、煮物、そういった和食が多く詰められており米も私が普段食べる量の2倍も入っている弁当を提供されていたのだ。問題はそのあとなのだが、母が作る弁当は子供用の弁当箱に詰められており私が問題なく食べられる量だ、それなのにも関わらず幼稚園の先生は私に向かって「何でお母さんの弁当は完食できて給食のは食べられないんだ」と言いながら私の頬にビンタを喰らわせた。もちろん、私はどう考えても成人男性が食べるような量であるのにどうやって食べ切るんだと説明をしたがそんなことは無視されてしまった。そこからきっと私の性格は「擦れ」という傷を負ったのだ。
そんな中でも何人か私と仲良くしてくれる人はいたのだがその中でもさらに問題が起きてしまった。当時流行っていたキャラクターがいたのだがそのキャラクターの靴を私の祖母がプレゼントしてくれたのだが、こういったものは奪われる可能性があると思い母が靴に名前を書いてくれたのだ。さすがに他の人が持って行っても私の名前がフルネームで書いてあるのだから大人たちも何とかしてくれるだろうと思い浮かれた気持ちのまま幼稚園に登園した。だがそれがあまり良くない結果を招いてしまったのだ。なぜかわからないが私の靴と同じ靴を履いて来た子がいたのだがなぜか彼女は「私の下駄箱から私の名前が書いてある靴」を奪い取って「私の靴」を履いて園庭に出るではないか。さすがに私も焦って先生になぜ彼女は私の靴を履いているのか、なぜそれを黙って見てるのかと問いた。そしたら驚くことに私に対して我慢して彼女の靴を履いて外に出ればいいだろうと言うのだ。細かくいえば私の靴の方がサイズが大きく彼女の靴では足が痛くなってしまう、そのことを伝えてもなぜか大人たちは私のことを黙らせようとする。そうして私は最後の年には特に誰かと仲良くするわけでもなくひとり遊びを極めるということをしていた。そんなことをしていたが結局他の人と仲良くする事が善と疑わない愚かな大人からみんなと仲良く遊べなどと言われ幼稚園児ながらにクソ食らえと思ったものだ。
そして月日は経ち小学生になった。
だがやはりくだらないことをして私を傷つけ己の正義を疑いもしない愚かな教師が現れるのだ。私もさすがに小学生のときに取るコミュニケーションが間違ってしまうことは仕方がないことだとは思うのだが私としてはそれで傷ついているからと相談しても「あなたのことが好きなんだよ、許してあげて」などと平気で被害者に言ってしまうような価値観の人間が教師をしていることに再び絶望した。
言葉だけであればまだ、まだ、気持ちを誤魔化しながら生きて来れたのかもしれないが決定的に人間など滅んでしまえと思った日ができてしまったのだ。それは男子児童からの性加害行為ではないか?ということをされても何かいやらしいものを見て不快になったと言わんばかりの顔をし、無視されたことだ。彼は私に対してストーカー行為を宣言してきたような人間だった。でも誰も、助けてなんてくれない、仕方なく殴った、嫌だと言っても誰も助けてなんてくれない、言ってもわからないなら殴るしかない、それで殴ったのにそれすら責められてしまう。その後は私に対する真実なんて何ひとつない噂を作り上げられ誰も助けてなんてくれない場所なんて行きたくないと思い小学生ながら大幅な遅刻を繰り返した。だが既に気持ちはいっぱいいっぱいでもうどうしようもなかったのに母から中学受験をしないかと言われるのだ。あまり気乗りはしなかったが一応受けれるところは皆受験したのだ。好きでもない勉強を無理して気に病んだこともあるがそんな中でとんでもない言葉を投げかけられた。「お前と同じ中学に通いたくないけど受験にも落ちて欲しい」と、今までそこまで不仲でもなかった人から言われたのだ。その後は耳打ちで誰にも聞こえないように早口で私を批難してきたのだ。ここまで読むと私の人間性を疑うだろう。
正直今も自分の人間性をずっと疑いながら生きているのだからそれは当たり前の感覚だ。
私も最初からここまで何かしらの問題を起こしていた訳ではない、元々はみんなと仲良くして楽しく過ごそうと考える人々のうちのひとりだったのだ。
だからこそこれ以上、傷つきながら必要以上に「みんなと仲良く」を守ることへの価値を見出せないのだ。
もちろん人脈を作ることも付き合いを大切にすることもメリットはあるし大切であることは論理的には理解ができるのだが感情が追いつかず他人の気持ちを汲み取る方法なんてものも踏み躙られて生きているのでわかるはずもなく「社会不適合者」の烙印を押されてしまう。困ったことに「誰もまともに信用していない」という人間を、人間は見抜く事ができるのだ。それと同時に「この人は信用できない」と言われるのだ。そうやって何度も様々な絶望を繰り返し、生きていくのにも希望を見出せない。私は私自身の手で救えるところまではなんとか救ってきたけれど、それでも絶望という深い霧から抜け出すのは難しいのだ。誰も私を信用しない、だから私も誰も信用しない。ただ利用できるから繋ぎ止めて利用価値が無くなれば縁を切る、それしかもう共存する方法が分からないのだ。
そうやって生きてしまっているからきっと私の来世があるのであればそれも悲惨な人生だろう。
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