第2話 銀色の英雄は戦場に舞う 2
3両が援護射撃をしている間に残り3両が後退することの繰り返し。正直あまり頼りになるとは言えない装甲で逃げ惑う味方の歩兵の盾となりながら、鋼鉄の騎兵たちは抗い続ける。
<<622号車より621号車、射撃態勢完了!! 下がってこい!!>>
「了解、残存組後退!!」
ゆっくりと後退を開始する戦車たち。反転すればもっとスピードが出るが、そんな馬鹿なことをする奴はいない。敵に狙われている状況下で、正面装甲よりも脆弱な側面装甲や背面装甲を見せるのは素人の所業だ。
ここで逃がしてたまるかと、こちらを射撃するべくT-34がしつこく姿を丘の上に現すが、先に後退した戦車たちの援護射撃がそうはさせないとばかりに火を噴く。
それでも敵が多すぎて、ヴォルフたち後退するⅣ号戦車の周囲に射撃を許された砲弾が次々と弾着するが、奇跡的にどうにかこうにか1両も欠けることなく後退し——―
「ッ!! 止まれ!!」
ヴォルフが車内通話で叫ぶ。後退の速度がようやく乗り始めたまさにその瞬間、操縦手のテレマン軍曹が何事かとブレーキを踏み、ヴォルフのⅣ号戦車は突然停止した。
ヴォルフはハッチからふと後方を確認した時に気付いた。気付いてしまった。自身の戦車の後方で一人の歩兵が転び、危うく自身の戦車でひき殺しそうになっていることに。
腰を抜かしてしまったのか、あるいは怪我をしたのか。立ち上がることすらできず、じたばたするその歩兵の愕然とした恐怖にゆがんだ顔―――若い青年のその瞳が、まっすぐに自分を見ていた。
だから反射的に叫んだ。止まれと叫んでしまった。
「早くどけ!! 死にた———」
死にたいのか。呆然としているその兵士に対し、ハッチから身を乗り出してそう大声を上げようとした次の瞬間、ヴォルフはハンマーで頭を殴られたような感覚に襲われた。
「ぐッ———あ、が、は、あ……」
何の前触れもなくいきなり襲い掛かってきた、ひどい耳鳴りと猛烈な吐き気。頭が痛い。脳が揺れているような感覚が気持ち悪くて仕方ない。いったい何が起きた?
「う、ぐ……おえッ!!」
口の端から胃液交じりの涎がだらだらと出てくる。その不快感に顔をしかめながら、ヴォルフは歯を食いしばってどうにかこうにか頭痛に耐える。
「―――ッ!! ―――フ!!」
誰かが何かを叫んでいる。自分のものより大きな手が、自分の身体をゆすっている。頼りになる先輩にして兄貴分、砲手のシュターデ軍曹か?
「―――ルフ!! しっかりしろヴォルフ!!」
「シュ、シュターデ軍曹……何が……」
「被弾したんだ!! テレマンとザックスは死んだ!! 早く脱出するぞ!!」
見れば、装填手―――自身と同じ年齢で、絵を描くのが上手なおとなしい性格の金髪青年であるザックス上等兵が、喉元に突き立った鉄片から血を噴き出し、頭からも血を流しながら動かなくなっていた。もはや光の灯っていない瞳を見開いて呆然とした表情は、きっと自分の身に何が起こったのかもよくわからずに死んだのだろう事実を如実に訴えてくる。
そしてテレマン伍長―――同じ同郷の出身で、女性を一度も抱いたことがないどころか、デートにすら誘えたことがないヴォルフのことを散々童貞だ、ヘタレだなどとからかってきて———でも、なんやかんやでシュターデ軍曹とともに、自分が装填手だったころから面倒をよく見てくれた先輩が、死んだ?
彼のポジションは操縦手。戦車を移動させる役割。その彼が死んだ?
それはつまり、この戦車は身動きが取れなくなっているということ。そのことに気づくと同時に、意識がはっきりする。
「ハック軍曹は!?」
「残念だが返事がない!! 今は自分たちの身の安全だ!! 急げ!!」
操縦手の隣に座っていたはずの通信手の安否を確認する間もない。というか、一発車体に被弾して貫徹を許し、運よくそのまま弾薬庫が誘爆しなかった奇跡に感謝するべきだろう。
どうにかハッチから転がり落ちるように出たヴォルフは、すぐさま砲塔側面の脱出口から出ようとしてるシュターデ軍曹を手伝おうとする。
「シュターデ軍曹、早く!!」
「く、くそ、何かが引っかかって……」
焦りのあまり、そして先の被弾で引きずる眩暈と頭痛ゆえに何かしら失敗をしたのだろう。戦車からの脱出は訓練でも何回も練習したものだが、自分の命が天秤にかかっている絶体絶命の状況であるが故の焦りから、どうしてもうまくいかない。
「ぐぅっ!?」
次の瞬間、ヴォルフは呻き声をあげながら左肩を抑えつつ戦車の上でよろめいた。肩が火傷したように熱く、そして激痛が走る。戦車の装甲板に、自身のものと思しき真新しい血痕が飛び散っている。
肩を弾が掠めたと気付いて、二人はほぼ同時に敵方に目をやれば……いつの間にか、連邦兵たちが小銃を撃ちながら少しずつこっちに近づいてくるのが見える。距離は約200メートル程度か。腕のいい奴なら十分に当てれる距離だ。
銃弾が何度も掠める風切り音の中、ヴォルフがシュターデ軍曹を見る。
茶色がかった癖っ毛と剃る暇がなくて生えかけの無精ひげ、油等に少し汚れたシュターデ軍曹の顔—――その緑がかった色彩の目もヴォルフの目をまっすぐ見て———その瞳の奥に、何かの覚悟が垣間見られた次の瞬間、シュターデ軍曹はヴォルフを突き飛ばした。
「ぐあっ!? シュターデ軍曹!?」
不意を突かれて戦車から転げ落ちたヴォルフが顔をあげた次の瞬間、Ⅳ号戦車の同軸機銃―――戦車砲のすぐ横に設置されている対人機関銃が火を噴き始める。
突然の反撃に連邦兵が何人か倒れ、生き残りが慌てふためいて地面に伏せた。即席の機関銃トーチカと化したⅣ号戦車は、砲塔を回しながら、機銃で敵兵を圧倒し続ける。
誰が操作しているかなど言うまでもない、シュターデ軍曹だ。
なぜ戦車に戻った?
決まっている。
自分だけでも———ヴォルフだけでも逃がすためだ!!
「ダメですシュターデ軍曹!!」
自分も慌てて戦車に乗ろうとした次の瞬間、Ⅳ号戦車の長砲身が火を噴き、驚いたヴォルフは尻餅をついた。
ヴォルフは知る由もなかったが、シュターデ軍曹は覚悟を決め、雄たけびを上げながら機銃を撃っている最中に気づいたのだ。こちらに狙いを定める敵の戦車の姿に。
最初の被弾を受けた時点で徹甲弾はまだ装填済みだった。だからその一発にかけて撃ったのだが……その戦車に男の魂の籠った一発は当たりはしたものの、車載機銃を衝撃で使用不可能にしただけで、致命的な一発とはならなかった。
KV-1重戦車。T-34をも上回る巨体と、それに見合う重装甲を備えた恐るべき強敵は、無情にもその一撃を装甲で防ぎきり、お返しだとばかりに反撃の一発を放った。
今度こそⅣ号戦車は何もできずに一撃で大破させられ、中隊長戦車と同じようにあらゆるハッチから火を噴きあげて爆発炎上した。
その衝撃をもろに至近距離で受けたヴォルフは、燃え上がる自身の戦車を呆然と見つめた後に我に返る。ふらつきながらもなんとか立ち上がり、先輩たちの鉄の墓標となってしまった戦車から離れる。
自分がするべきことは分かっていた。シュターデ軍曹の死を無駄にしないために、何が何でも生き残るのだ。ここで自分まで死んでは、ますますシュターデ軍曹が報われない。
背後からこちらを目がけて銃弾が飛んでくる。どうにかその辺に転がっていたライフルに飛びつくようにして拾い上げ、やけくそ気味に撃ち返せば、幸運にも敵兵が二人ほど倒れ、他の敵兵士たちが身を伏せるのが見えた。
しかし絶望は終わらない。立ち上がり、逃げようとした彼の至近距離で地面が爆発。文字通り体が宙に浮いたヴォルフは、そのまま地面に叩き付けられた。口の中では土の味、さらに眩暈がする視界の中でどうにか気付く。
今度はKV-1……ヴォルフの先輩の命を奪い去ったあの悪魔が、エンジンを唸らせ、履帯を鳴らしながらこちらへと走ってきたのだ。先ほどのは榴弾による射撃であり、それが近くに弾着して自分を吹き飛ばしたのだ。つまり、狙われている。
「く、くそ!! くそ!! くそぉ!!」
無我夢中で効きもしない小銃を撃つが、鋼鉄の怪物はそれをあざ笑うかのように走ってくる。今はまだ全力疾走ではないのは、周囲を一応警戒しながら進んでいるからだろうが……むこうがその気になれば逃げきれないのは明白だった。
そうでなくとも、もし車載機銃が先ほどの被弾で故障していなければ、ヴォルフはとっくの昔にハチの巣になり、この大地に屍を晒すこととなっただろう。
これまたふらふらしながら数歩進んだ先に、息絶えた味方の兵士がいた。
彼の持っていた手榴弾をとりあえず投げつけてはみるが、戦車砲にすら耐えうる装甲相手にそんな程度のものでは当然のごとくなんの意味もなく———というより、ヴォルフは己の馬鹿さ加減を笑うしかない。
野球選手でもなんでもないヴォルフが手榴弾を投げたところで、50mも飛びはしないのだ。戦車との距離は、どうみても50m以上100m未満。もっと近くに見えたのは、迫りくる相手があまりに強大であるが故。完全に恐慌状態である。
慌てて走り出そうとして見事に転び、今さらになって足が妙に痛いことに気づく。折れてはないようだが、先ほどの榴弾射撃か何かのタイミングで捻ったらしい。道理で走れないわけだ。
やけくそで再び小銃をKV-1に撃つが、当然意味はない。死神の鎌が自分を確実にとらえつつあるという現実をヴォルフは嫌でも自覚せざるを得なかった。
まさに怪物に追われる哀れな犠牲者。とうとう小銃の弾も切れ、過度の緊張と疲労から過呼吸のようになりつつも、傍らの遺体からどうにか武器になるものを探そうとして———やめた。
今更だが、その遺体は下半身が行方不明になっていた。当然、弾帯の類も行方不明。
出てきたのは、胸のポケットから出てきた家族の写真だけだ。幸せいっぱいといった具合の一家が写ったそれがいたたまれなくて、ヴォルフは写真をそっと彼のポケットに戻してやり、しっかりと、絶対に写真が遺体から離れないようボタンをしめてやる。
そして軽く遺体を押しのけ、蹴飛ばして、位置をずらしてやった。乱暴なのは勘弁してほしい。戦車に轢かれて、もっとぐちゃぐちゃになるよりはましだろう。
そしてKV-1の方を———まさに自分の命を奪わんとする鋼鉄の怪物を睨みつける。恐怖で歯がガチガチと鳴って、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにする中で、本当に毅然と睨みつけれているのか自分ではよくわからないが———せめて最期くらい意地を見せてやりたかった。
履帯が迫る。ギリギリまで引き付けて横に転がって躱したところで、後からやってくる随伴歩兵になぶり殺しにされるだけだろう。
終わった。自分はここまでだ。
さようなら———
いよいよもってどうにもならない現実をついに受け入れ、遠く農場で暮らす、故郷の家族の顔を思い浮かべて別れの言葉を述べようとしたその時だった。
強烈な風切り音がしたかと思うと、次の瞬間に目の前に迫っていたKV-1がいきなり大爆発した。
「……は?」
一体何が?
訳が分からずぽかんとしていると、いつの間にか近くにいたT-34が何かに気づいたらしく、その戦車から見て右前方に砲塔を動かそうとし———次の瞬間には砲塔に火花が散り、そのまま動かなくなった。
あと2両ほど同じような動きを見せたT-34が、これまた次々に被弾して動かなくなり、あるいは爆発炎上する。
訳が分からないまま、ヴォルフは周囲を見回し———そういえば双眼鏡を持っていたことを思い出して、改めて少しレンズがひび割れたそれを覗き、そして気付いた。
ここから1㎞程度離れた小高い丘の上に、美しい夕陽の絶景を背負うようにして”そいつ”はいた。
端的に言えば四角いシルエットであるⅣ号戦車をそのまま巨大化し、さらに武骨にしたような、”ものすごく強そうな戦車”。子供のような表現であるが、事実そのようにしか表現できないほど、その戦車は威風堂々とその威容を見せつけるが如く佇んでいた。
夕陽に照らされる黄土色を基調とし、茶色と緑で彩られた迷彩塗装。見るからに頑丈そうに見える垂直に切り立った装甲。ヴォルフが今まで見たことがある、どの帝国軍戦車よりもはるかに長大な砲身。大地を踏みしめる履帯も、その重そうな巨体を支えるのに相応しく大柄だった。
逆光で見えづらいが、車長と思しきシルエットがハッチから顔を出しているように見える。
「あ、あれは……」
それはヴォルフだけでなく、思わず追撃の足を止め、そちらを見やった戦車9両を始めとする連邦兵たちも抱いた疑問だった。
どこをどう探しても、突如攻撃を仕掛けてきたのは”そいつ”しかいない。
———この絶望的な状況下で、まさかたった1両で仕掛けるつもりなのか? と。
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