澄まず濁らず

魚崎 依知子

一、すっごい悪い顔してる

 機備課の部屋が林業公社の地下倉庫から三階へ移ったのは、今年の夏だった。

 知事に働きを認められて県庁総務課の出張所になったことや、専務から理事長へ昇進した新田にったの「真方まがたはともかく稲羽いなばを倉庫に閉じ込めるのは問題がある」との意向によるものだ。おかげで日中は陽光が降り注ぎ、窓を開ければ換気もできる。そして冬には暖房の恩恵を受けられる、素晴らしい環境で働けるようになった。


「戻ってきた部屋が暖かいって、最高ですよね」

 自分のデスクに戻り、ぐるぐるに巻きつけていたマフラーを解く。

 おそらく今年最後になるであろう案件は、本庁総務課経由で届いた土木課からの依頼だ。十一月から着工したダムの工事現場で「幽霊のようなもの」が何度となく目撃されるとともに、機器の故障が続いていた。機備課は表向きには機械備品の確認や整備の取次を行う課と位置づけられているが、実際の業務は公共事業の現場や公共施設などに現れる霊的トラブルに対処する課だ。

 真方は寺の副住職で霊力を持ち、私は山神を父に持つ半神半人のために神の力を使える。その力を使い、昨年四月に派遣されてからこれまで、時には死の淵に瀕死ながらも案件を片付けてきた。

 今回も寒風吹きつける中何度となく現場へ足を運んで情報を集め、木霊達が守り続けていた子供の白骨遺体を引き取れるところまでこぎつけた。このあとは警察が入るから、私達の次はおそらく年明けだ。

「そこに理事長室さえなけりゃな」

 真方はうんざりしながら背後のキャビネットに錫杖を立てかけ、椅子にどさりと腰を落とした。

 でもそれは、仕方のないことだろう。

――いやになったら、迷わず言うんだぞ。むしろ迷うな。

 新田は故あって、公社では保護者のような存在だ。いろいろあって真方と正式に付き合うことになった私のことを心配し、常に目を光らせている。

 とはいえ、今のところ真方が彼氏として私に何か無理強いをするようなことはない。そして私はそれに甘えているところがある、のは分かっている。分かっているんだけど。

 おい、と聞こえた声に、コートから腕を引き抜きながら真方へ視線をやる。

 細身のスーツに襟の高いシャツ、ネクタイもきちんと締めた格好はいつもどおりだ。でも醸し出すものは僧侶とも紳士とも程遠く、退廃的で仄暗い。黙っていればイケメンに入るであろう涼やかな造作なのに、態度の粗さと口の悪さがネックだった。まあそのおかげで、私は少し安心できてはいる。いるからたぶん、ダメなのだとも思っている。

「明日明後日、なんか予定あるのか」

 真方はふんぞり返るように椅子に座り、机に足を乗せた。定時も過ぎたし今日は残業確定だが、真方にはもう働く気がないらしい。報告書は、また私が書くのだろう。諦めて腰を下ろし、PCを立ち上げた。

 明日明後日は二十四日と二十五日、クリスマスだ。今年は二十四日が金曜日で二十五日は土曜日だから、一応、二十五日は丸一日空けておいた。

「明日の夜は父が会いに来いと言うので無理ですけど、二十五日は空いてます」

「親父が聖夜になんの用だよ、日本の神だろ」

「なんでしょうね。親子の会話みたいなことがしたいのかもしれません」

 山神として真方に接してきた父は、一応、私の相手として真方を認めている。でもそれとこれとは別らしく、時々こうして口を挟んでくるのだ。明日の夜もどうせ近況報告を求めるくらいで、寒いからとすぐ家に帰すのは分かっている。

「なら二十五日、晩飯でも食いに出るか」

「分かりました」

「あと、泊まれよ」

 まあ、寺にはこれまで何度も泊まってきたから今更だ。でも確かめた真方は、目をギラつかせて柄の悪そうな顔つきになっていた。僧侶なのに。

「あのクソ親父に、死ぬほど歯ぎしりさせてやる」

「すっごい悪い顔してる……」

 苦笑した私に鼻で笑い、真方は机に乗せていた足を組み変えた。

 たまに大丈夫なのかと不安になることもあるが、それだけではないと今は分かっている。真方に対する信頼は、と続けかけた時、真方のスマホが鳴った。

 真方はスマホを取り出して確かめたあと、舌打ちをして拒否を選んだ。

「出なくて良かったんですか」

「ああ、ほっとけばいい相手だ」

 と真方が返した傍からまた鳴り始める。真方はうんざりした様子で足を下ろし、スマホを手に外へ向かう。

 部屋を出る辺りで、通話ボタンを押したのだろう。なんと言っているのかまでは分からなかったが、聞こえたのは女性の声だった。

 真方の寺には百軒以上の檀家がいるし、真方自身にも女性の知り合いが一人もいない、とは思わない。でもなんとなく「そういうものではない」気がするのは、女の勘だろうか。

 「私の副住職」は決して浮気などなさらないが、相手が籠絡しようと関わってくることはあるだろう。もしそんなことになったら、私がこの力で以って全てを灰に。

 勢いよくドアを開けて戻ってきた真方に驚いた途端、視線が合ってしまった。

「なんだ」

「ああ、いえ、早かったなって」

 慌てて答えたあと、これまでのデータを開いて報告書の作成に取り掛かる。

「檀家総代の娘からだ。同級でな、離婚して帰ってきたからって飲みの誘いだ」

「行くんですか?」

「行ってもいいのか」

 キーを打ちつつ思わず聞いてしまった私に、席に着いた真方は質問で返した。手を止めて視線をやると、反応を窺うような表情が応えた。

 正直なところは「行ってほしくない」が、檀家総代の家なら付き合いも大切なはずだ。そもそもお互いが築いている人間関係を、感情的な理由で制限し合うのはどうなのか。これまでこんな問題がなかったから考えずに来たが、邪魔はしたくなかった。

「そこはあまり口出ししたくないので、お任せします。ただ副住職はともかく、真方さんはあんまり信用できないというか」

「なんでそこで人格を分けるんだよ」

 真方は苦笑して、煙草を取れない指で組んだ腕を叩く。三階になって、倉庫では暗黙の了解で吸っていた煙草も吸えなくなってしまった。

「まあ、大丈夫です。何かあったら、この力で全てを塵芥に変えればいいわけですし」

「行かねえよ。断ったから、世界を巻き込むな」

 笑って答えた真方に、明らかに胸が安堵するのが分かる。それなら、最初から「行かないで」と言っておけば良かっただろう。自分で自分が面倒くさい。

「すみません。私、面倒くさいタイプですよね」

「今更か? 最初の飲みでさんざん絡み酒した時点で分かってただろ」

「あーそーですよねー」

 キーボードに突っ伏さんばかりの勢いで項垂れ、派遣されてきたばかりの頃を思い出す。確かに、今更取り繕ったところで無駄だった。

「だから、お前には俺がちょうどいいんだよ」

 続いた台詞にどきりとして、目前に迫っていたキーボードから顔を上げる。でも真方はこちらではなく、仰ぐようにして天井を眺めていた。天井?

「おい聞いてるか、クソ親父」

 そういうことか。

「父にケンカ売るのやめてください」

 また項垂れながら止めたが、気づけば胸が凪いでいた。結局いつもこうして、救われている気がする。私も真方のようにさらりとうまく言えたらいいのだが、どうにも難しい。

 溜め息をついて再び報告書に向かうが、指が進まなくて諦める。知事にひとまずの報告を連ねたメールを送信して、今日の業務を終えた。

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