BadStart

ここあ とおん

1.

 私は死んだらしい。


 どうして死んだのかは、はっきり覚えていない。改めて思い返してみる。


 そう。学校帰りだった。久しぶりに学校へ行ったんだった。いつも通り、私は一人だった。


 部活はとっくに辞めて。担任に呼ばれたけど無視して。私は駅へと向かった。


 どうして今日は学校に行ってたんだろう。考えても思い出せなかった。ひどく、後悔した。


 今日はひどく寒い日だった。手袋をしているのに手の先は冷たかった。コートを着ているのに体が震えた。呼吸するたび、白い息が出た。


 寒さを我慢しながら、駅まで急いで歩く。改札を通って、ホームで電車を待つ。


 一番に学校を出たので、車内には同じ制服が誰もいなかった。帰宅ラッシュ、までとはいかないがスーツ姿の人もいた。


 電車がもうすぐ来ることを知らせるアナウンスが鳴った。それと同時に同じクラスの人がエスカレーターに乗って、私のいるホームへとやってきた。一緒の号車に乗りたくないな、と思って私はもう少し奥に行った。


 同じクラスの人はイヤホンをしながらスマホを見ていたので私に気づかなかった。少し安心して、到着した電車に乗った。


 電車はゆっくりと動き出した。私は座席には座らず、スマホも見ず、ただ窓の外を眺めていた。


 びゅんびゅんと通り過ぎる景色を、ただただ眺めていた。


 「死にたい」


 と思いながら。


 私は生まれつき体が弱かった。風邪をひくのは珍しくないし、学校も休みがちだった。


 友達と言えるほどの人は誰もいないし、作ろうとも思わない。少し話すくらいの人はいた気がする。もう、名前も覚えてないけど。


 人が嫌いだった。クラスメイトも、先生も、家族も、親も。人と関わるのが、大嫌いだった。


 そして、私は私が一番嫌いだった。こんなやつ、誰も求めていない。誰も必要としていない。例え死んでも、誰も悲しまない。


 何度か自殺も考えた。ネットなどでつい、「楽に死ねる方法」などを調べてしまう。すると「ひとりで抱えこまないで」とか「ここに電話して気軽に相談してみてください!」みたいな勧誘が流れてきて、うんざりした。


 私が死にたいって言ってるんだから邪魔すんな。私の人生は私のものだ。生きようが、死のうが、私の勝手だ。


 そう思っていたけど、結局自殺なんてできないまま、今日まで生きてしまった。


 そんなことを思い出しながら、私は相変わらず、窓の外を眺めていた。


 すると、となりの号車から鋭い悲鳴が飛んできた。


 外を見ていた私の目線はとなりの号車に移る。他の乗客も私と同じ方向を見た。


 乗客たちは恐怖を覚えた。


 座っていた人達は立ち上がって、違う号車に逃げる。小さい子供は泣きだす。とある人達はスマホでその写真を撮っていた。


 私は恐怖なのか、に導かれているのか。一歩もそこから動けなかった。足が硬直した。


 隣の号車には、ナイフを持った男がそこにいた。その刃先は赤く染まっていた。人が私の数メートル先で殺されたらしい。男がいた号車は一番後方だったので、運転手は何も知らずそのまま電車を走らせる。


 隣の号車からも次々と人が私の方へ逃げてくる。私の足はまだ動いてくれなかった。「あなたも逃げて!」と、仕事帰りの女性が私に言う。でも、どうしても動かない。


 隣の号車には男と殺された人以外誰もいなかった。男は全身黒い服を着ていて、顔の様子もよくうかがえなかった。典型的な「犯罪者」という感じだった。


 そして男は、私の方向に向かって歩いてきた。右手に赤いナイフを持ったまま。ゆっくりと。


 「……っ」


 私も殺される。


 そう思ったら、恐怖はさらに増した。思わず声が出てしまう。


 他の乗客はもう先頭車両の方に逃げて、ここには私と男しかいなかった。


 私と男の距離は2メートルくらいまで近づいた。ここで男の足は止まる。


「お前、逃げなくていいのか?」


 若々しい声だった。大学生だろうか。フードとマスクの隙間から、チラリと目が見えた。


「お前も、殺すけど」


 男はナイフを上げた。男はまるで犯罪慣れしているかのように飄々としていた。なんでだろう。


 私もやけに落ち着いているな。


「……うん」


 と、私は言葉をこぼした。あり得ないくらいに自然に。友達と会話しているときみたいに。


「……は?」


 私の声が小さくて聞こえなかったのか、男は少し苛立たしい声で言う。乗客は完全に奥へ逃げたのか、電車内は走行音だけだった。


 私は背負っていたスクールバックを地面に置く。堂々と座席に座る。


「私のことも、殺して」


 男の目をじっくりと見ながら、無表情で私は言った。馬鹿なことを言っているのは分かっていた。でもこれはほぼ無意識に出た言葉だった。本音だった。


「……は?」


 男はもう1回同じことを言う。しかし、今回は私の発言に混乱しているようだった。上げていたナイフを再び下ろした。


「なんだ、こいつ」


 男は、ははっと笑った。


「じゃあ、殺してやるよ」


 男は私が座ってる目の前に立つ。ナイフを私の目の前に突き出す。ナイフに写った私の顔を見る。


 塵みたいな顔。


「後悔すんなよ」


 私を刺そうと、ナイフを後ろへ振りかざした瞬間、男は言う。


「……そんなの、するわけないじゃん」


 最後、私は少し笑った。久しぶりに私は笑った。濁って汚い笑い方をしたと思う。


 その後は、記憶がない。痛みを感じた記憶とかも一切ない。だってあれが人生で一番幸せな瞬間だったから。


 

 こうやって、私は死んだ。自殺と言えば自殺だし、他殺といえば他殺だ。私の自殺をあの男は助けてくれた。


 死んでよかったと思う。嫌なことな何1つなくなるし、会いたくないやつにも会わなくていい。恐怖に怯えることも、未来を見つめることもしなくていい。


 これで、私は幸せになれた。



    ――はずだったのに。



 眠っている感覚があった。


 朝日を瞼で感じた。


 温度を身体で感じた。


 鼓動を感じた。


 息をしていた。


 目が開いた。


 光が目に入った。


 身体が動いていた。


 困惑の声が出た。


 生きていた。


 生きている。


 私は死ねなかった。


 別の人間に、生まれ変わっていた。

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