カフェの一杯と執筆の時

魔人むにまい

カフェの一杯と執筆の時

 彼がよく通うカフェの窓際席には、決まって座る場所があった。昼下がりの光が柔らかく差し込むその場所は、彼にとって心地よい時間の流れを与えてくれる。毎日通うわけではないが、ここで過ごす時間が彼にとっては欠かせない習慣のようになっていた。


 彼はゆっくりとカフェの扉を開け、店内に足を踏み入れる。穏やかなジャズの音色が流れ、店内には何人かの客がひと息ついている。店員に軽く挨拶をし、彼はいつもの窓際の席へと向かった。その席は、周囲の喧騒から少しだけ離れた静かな隅にあり、窓からは町の風景が一望できる。


 席に着くと、彼はゆっくりとiPhoneを取り出し、ロックを解除して通知を確認する。メッセージ、天気予報、SNSの更新通知。それらを一瞥し、iPhoneをポケットにしまうと、腕に巻いたAppleWatchを少し調整し、MacBookを開いて文書を確認し始めた。


 最近、彼は執筆に没頭していた。新しい小説に取り組み、毎日少しずつ物語を進めることが楽しみになっていた。 MacBookの画面に映る文字を見ながら、ふと思う。物語が少しずつ形を成していく感覚は、どこか夢のような気分にさせる。まるで、ページの中に入り込んでいるかのようだ。


 その時、店員が静かに彼のテーブルに近づいてきて、注文を聞きに来た。彼は顔を上げ、微笑みながら言った。


「ブラックコーヒーのラージ、それとレタスドッグをお願いします。」


 店員は頷いて、メモを取り、すぐに去っていった。彼は再びMacBookに目を戻し、物語の続きを書き始める。穏やかな時間が流れ、ふと外を見ると、風が通り抜け、街を行き交う人々の足音が静かに響く。彼はその景色を眺めながら、少しだけ気持ちを落ち着けた。


 コーヒーと軽食を注文してから10分も経たないうちに、店員がカップとプレートをテーブルへ置きに来た。彼は軽く会釈をし、レタスドッグを一口食べながら、コーヒーを啜る。温かいコーヒーの味が、どこか落ち着くような気がして、彼はしばらくそのまま味わった。


 周囲の客たちはそれぞれに過ごしている。スマホを見ている女性、おしゃべりをしているカップル、カウンター席で読書を楽しんでいる人々。彼はそんな日常の一部に溶け込んでいるような気がして、どこか安心感を覚える。彼にとって、このカフェはただの休憩の場所ではなく、心を整えるための小さなオアシスのような場所だ。


 彼はあまり長居をすることを好まない。心の中で何かをやり遂げた感覚が欲しいからだ。執筆がひと段落すると、軽くため息をつきながらMacBookを閉じた。その瞬間、ふと気づく。コーヒーはすでに冷めてしまっている。あっという間に過ぎた時間に、少し寂しさを感じる。


 店員が何気なく通り過ぎるのを見ながら、彼はAppleWatchを手首から少しずらし、画面をタップした。支払いが完了すると、Watchの画面に「支払い完了」の表示が出る。財布を取り出すことなく、スムーズに支払いを終えると、彼は立ち上がった。


 カフェの窓から外を見つめると、町の風景が少しずつ暗くなり始めている。彼はその景色をぼんやりと眺めながら、静かな満足感に包まれた。今日は良い時間を過ごせたな、と心の中でつぶやく。


 再び店員に軽く会釈し、カフェを後にする。バッグを肩に掛け、外に出ると、空気がほんの少し冷たく感じる。彼は少しだけ歩きながら、後ろを振り返ると、カフェの明かりが遠くに見えた。また、この場所に来るだろう。穏やかな日常が、彼を静かに迎えてくれる場所として、ずっとそこにあり続けるのだろうと思いながら、彼はゆっくりと歩き出した。

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