便利な穴

魔人むにまい

便利な穴

 とある小さな町に住む青年、田中雄太は、普段はあまり考え事をしない性格だった。しかし、ある日裏山を散歩していると、なんだかいつもとは景色が違っていることに気づいた。


 山の中腹あたりに差し掛かったとき、突然目の前に現れたのは、巨大な穴だった。どこからも音が聞こえない、ただただ深い闇が広がる穴。その周囲には不気味な静けさが漂い、雄太は思わず足を止めた。


「これは一体……?」


 不安と好奇心が入り混じった雄太は、試しに石ころを投げ込んでみた。だが、底に落ちる音は一切響かなかった。音すら届かないその穴は、まるで異世界に通じているかのようだった。


 雄太はその穴に、思わず手を伸ばした。しかし、足を踏み外すと危険な気がして、ただ見つめることしかできなかった。それでも、何か魅了されるようにその穴を離れられずにいた。


「この穴、どれだけ深いんだ?」


 しばらく眺めているうちに、雄太はある考えを思いついた。穴の底を確かめれば、何かがわかるかもしれない。その日、家に戻り、長いロープとバケツを持って再び裏山に向かった。


 ロープにバケツをくくりつけ、穴の底に届かせようと試みた。だが、かなり深くまでロープを下ろしたところで、急にロープが軽くなった。慌てて引き上げてみると、ロープは途中でちぎれていた。雄太はその瞬間、無力感に襲われ、しばらく呆然と立ち尽くした。


「まるで、何もかも消えてしまってるみたいだ……」


 その時、雄太はふと思いついた。もし、何でも捨てられる場所があったらどうだろうか? ゴミの処理に困っていた彼は、その穴にゴミを捨てることを思いついた。


 最初はただの遊びのつもりだった。雄太は家から出ると、次々とゴミをその穴に捨て始めた。古びた鍋や使い古した衣類を投げ入れてみると、どんどん消えていった。


 次第に、その穴は雄太にとって便利な場所となり、ゴミを捨てることが日常的になった。あの穴にゴミを捨てることで、彼は少しだけ心の中で満たされるような気がした。


 そしてある日、地元の飲み会で友人たちが集まった。雄太はその場で、ひとつの提案をしてみることにした。


「実はな、最近裏山にすごいものを見つけたんだ。でかい穴があってな、何でも捨て放題なんだよ」


 友人たちは興味津々に聞き入った。雄太は笑いながら続けた。


「ゴミの処分、俺が安く引き受けるから、困ってるなら言ってくれ」


 その言葉に、友人たちは少し驚きながらも、すぐに乗り気になった。


「それは便利だな、雄太! じゃあ、俺の家のゴミも頼んでいいか?」


「もちろんだよ。お前のゴミなんて、すぐに片付けてやる」


 その夜、飲み会が終わると、何人かの友人が早速雄太にゴミを渡した。雄太はそのゴミを黙って穴に捨て、少しずつ報酬を手に入れた。


 最初はほんの少しの金額だったが、次第にその噂は町中に広まり、友人たちはもちろん、近所の人々も次々と雄太にゴミの処分を頼むようになった。彼はそのたびに報酬を得て、次第に金が増えていった。


「すごいな、雄太、お前って本当に便利だな。業者に頼むより安いし、助かるよ」


 ある日、友人の加藤健がそう言った。


「もちろんだ。俺に任せてくれ」


 雄太はその言葉に満足げに答えたが、その背後には次第に大きくなる欲望があった。


 金が増えるにつれて、雄太はその商売を本格的にしようと考え始めた。家の庭はゴミで埋まる一方で、雄太はそのゴミを次々と穴に捨てた。そのたびに、彼は報酬を得ていった。


 だが、次第にその商売の規模は膨れ上がり、雄太は次第に道を踏み外していく。ゴミを捨てるために人々が集まり、雄太の家はまるでゴミ処理場のようになった。そのことに、彼は次第に快感を覚え始める。


 ある日、雄太は地元のゴミ業者、黒崎一郎と名乗る男と接触した。


「聞いた話ですが、田中さんはかなりの量のゴミを捨てて下さるのだとか。では、私どものゴミも引き受けてはいただけませんかね?」


 黒崎は名刺を差し出しながら、にやりと笑った。その名刺には「株式会社エコテック 営業部長 黒崎一郎」と書かれていた。


 雄太はその名刺を受け取りながら、心の中で何かがひらめいた。自分の商売をもっと大きくすれば、もっと金が入るだろう。


「もちろんです。何でも引き受けますよ。どんどん持ってきてください」


 それから数日後、黒崎が依頼したゴミが届けられた。それは、危険な廃棄物、化学薬品や劇薬だった。雄太はその依頼を受けてから、ますます裕福になっていった。金が目の前に山のように積まれるたび、彼の心は次第に冷たくなっていった。


 だが、金が増える一方で、雄太の心には次第に不安の影が忍び寄っていた。夜になると、彼は何度もその穴のことを思い出すのだ。あの穴に、どれだけ危険な物を捨ててきたのだろうか。


「こんなことを続けていて、本当にいいのだろうか……」


 その不安を感じながらも、雄太はその不安を振り払い、次のゴミを穴に捨てることを繰り返した。


 ある夜、黒崎から電話がかかってきた。


「田中さん、今度の依頼は特に厳重な注意が必要です。依頼内容について、確認したいことがありますが、明日来ていただけませんか?」


 黒崎の声が、雄太の胸に重く響いた。その妙に冷静な声が、まるで予兆のように感じられた。


 翌日、雄太は指定された場所に向かった。そこには、見たこともないような巨大なドラム缶が並んでいた。中身は不明だが、遠くの作業員たちが防護服を着て作業をしていた。


「これを捨てるのか……」


 雄太は心の中で呟いた。その瞬間、背後から黒崎が現れた。


「田中さん、あれは放射能汚染物質です。引き受けてくだされば、あなたは一生遊んで暮らせるだけの報酬を手に入れることができますよ」


 黒崎の言葉に、雄太の心は揺れ動いた。しかし、金の誘惑には逆らえなかった。


「……わかりました。引き受けます」


 その決断を下すと、作業員たちはすぐに動き出した。ドラム缶は重機で慎重に穴へ運ばれ、最終的にその作業が終わった。


 だがその瞬間、雄太の心に何か不穏な気配が走った。あの穴が、彼をどこかに引き寄せているような、恐ろしい予感がした。


 その後、雄太は依頼を受け続けた。報酬はますます高額になり、豪華な生活を楽しむ中で、彼の心は次第に冷たく、無感覚になっていった。


 そして、数ヶ月後、雄太が目覚めたとき、裏山の景色がいつもとは違っていた。あの穴が、突然消えていたのだ。


「どうして……あの穴はどこだ?」


 焦る雄太が探し回るが、何も見つからなかった。穴は、まるで最初から存在しなかったかのように、忽然と消えてしまっていた。


 その時、雄太は小さな石が頭に当たり、ふと空を見上げた。そこには、巨大な穴が現れていた。


「これって、まさか……」


 雄太は恐怖に震えながら、その穴を見つめ続けた。


 穴はまるで、彼を試すかのように深く、無限のように広がっていた。雄太は手が震え、胸が締めつけられるような感覚に包まれた。あれだけのゴミを捨て続けたその穴は、単なるゴミの受け入れ場所ではないのだろうか? その穴には、何かしらの力が宿っているように感じられた。


 しばらく見上げていると、見覚えのあるロープに吊るされたバケツがゆっくりと下ろされてきた。しかし、それは途中でちぎれ、雄太の目の前に落ちてきた。バケツはからっぽで、ただの道具に過ぎなかったが、雄太にはそれが深い意味を持っているように感じられた。


「これが、俺の未来……」


 恐ろしさと後悔が一気に込み上げてきた。今まであの穴に捨ててきた無数のゴミと、それに伴う罪の意識が、雄太の胸を締め付ける。自分がどれほど深みに嵌まってしまったのか、ようやく理解した。


 雄太は後ろに一歩踏み出し、全身を震わせながらその穴から目を逸らした。だが、その背後で、耳をつんざくような音が響く。


「いや……いやだぁー!!」


 彼の目の前で、恐怖が彼の体を動けなくさせた。逃げようにも、足がすくんで動かない。彼はただ、その巨大な穴を見つめることしかできなかった。


「こんなこと、もう……終わりにしたい……」


 雄太の声は震えていた。しかし、答えは返ってこなかった。ただ静かに、あの穴だけが雄太を見つめ返しているように感じられた。


 その瞬間、雄太は気づく。穴はただのゴミの受け入れ場所ではなく、自分のすべてを飲み込む未来への扉だということに。逃げられない——それが彼の運命なのだと。

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