振り向くな、そこにある

魔人むにまい

振り向くな、そこにある

 真夏の強い陽光が照りつけるある休日、俺は登山仲間と一緒に山を登っていた。仲間たちは賑やかに話しながら歩いているが、俺はどこか落ち着かない気分だった。というのも、俺には隠していることがあったからだ。


 それは、頭頂部の禿げ。若いころから徐々に進行し、今ではすっかり目立つようになってしまった。だから、かつらをかぶり、さらに帽子をかぶっている。誰にもバレないように必死に隠してきたが、今日はどうにも気が重い。仲間たちが無邪気に話している中で、俺だけが心の中で隠し事を抱えている。


 そんな気まずさに耐えきれず、うっかり足を踏み外し、急な斜面から転げ落ちてしまった。幸い大きな怪我はなかったが、痛みと驚きでしばらくは動けなかった。目が覚めると、仲間たちはどこかに行ってしまっており、辺りはすっかり静かになっていた。


 焦りながら、再び仲間と合流しようと道を進んでいたが、周囲の景色はまるで別世界のようだった。草木が生い茂り、道も険しくなってきている。だが、もう引き返せないと思った俺は、無理をして進み続けた。


 陽が傾き始め、辺りが暗くなりかけた頃、俺は奇妙な屋敷を見つけた。どうやら人里離れた場所に建っているようで、近づいてみると、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。だが、夜間の登山を避けるためにはここでひとまず泊まるしかないだろうと思い、屋敷の中に入ることにした。


 中に入ってみると、埃が舞い散り、薄暗い部屋が広がっていた。疲れきった体を片隅に預け、少し休もうと思い、腰を下ろした。しかし、歩き疲れたせいか、気づけばそのまま眠りに落ちていた。


 突然、雷鳴と雨音で目を覚ました。驚いて飛び起きると、屋敷の中はすっかり暗く、何かがおかしい気配がした。暗い廊下を歩きながら、ふと振り返ると、誰もいないはずの場所に何かを感じた。背後に誰かがついてくるような、そんな不安な気持ちに駆られた。


 何度か振り返ったが、誰もいない。自分を誤魔化しながら、また歩き続けたが、どうしても気になる。


 そして、とうとうそれを確信した。


 背後に、俺の髪の毛が揺れていたのだ。


 急に恐怖が襲い、冷汗が背中を伝った。俺は立ち止まり、振り返ってみたが、誰もいない。ただ、髪の毛だけがひらひらと揺れていた。


 その瞬間、背筋が凍る思いがした。あまりにリアルで恐ろしい。だが、すぐに冷静さを取り戻した。


 「……ああ、そうか。」


 俺はほっと息をついた。背後にあったのは、何もかも自分の髪の毛だった。今日、登山の最中に風で吹き飛ばされたかつらが、そのまま後ろにぶら下がっていたのだ。


 俺はその事実にしばらく呆然としていたが、気づくと、どうにも笑いが込み上げてきた。怖かったものが、こんなにも単純な理由であるとは。


 その瞬間、俺は思わず笑い出してしまった。あんなに恐怖に感じたものが、ただのかつらだとは。俺は屋敷を飛び出しながら、吹き出すように笑った。


 その後、仲間たちと再会したとき、俺は気まずくなったが、何とか隠し事を続けた。みんなには、俺が一人で屋敷に迷い込んだことや、あの恐ろしい体験を話した。けれど、髪のことについては一切触れなかった。仲間たちも、俺がかつらをかぶっていることには気づいていないようだった。


 だが、あの時、屋敷での出来事がきっかけで、俺の心の中で何かが変わった。あんなに隠していたものが、ただのかつらだと気づいた瞬間、少しだけ軽くなった気がした。誰にも言わず、ただ心の中で笑い飛ばすだけでよかったのだ。


 結局、あの日の出来事をきっかけに、俺は少しだけ自分に正直になれた。髪のことについて、誰かに言うことはなかったが、それでも心の中では、あの恐怖の瞬間が忘れられなかった。

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振り向くな、そこにある 魔人むにまい @munimarin

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