綺麗な終わり。
音雪香林
前編 ひとりぼっちは寂しい。
幼い頃……たしか五歳くらいだったか、はじめて遠方の祖父母に会いに行くことになったとき。
「ねぇ、お母さん。おじいちゃんとおばあちゃんに会ったらどうすればいい?」
緊張しながら母に尋ねると。
「自分で考えなさい」
冷たい一言が返って来た。
おそらくは躾の一環だったのだろうが、当時の私はパニックになってギャン泣きした。
それでも母の冷たい態度は変わらず、一貫して「自分で考えなさい」と対応の仕方を教えてくれることはなかった。
またある時。
「病院の受付の時どうすればいいの?」
これもまた。
「自分で考えなさい」
またある時。
「郵便局で封筒を出すときどうすればいい?」
これもまた。
「自分で考えなさい」
なんでもかんでも母に尋ねる私も悪かったかもしれないが、幼女である。
「考える」ためにはそれなりの量の経験という名のデータが必要なはずだが、それがなかった。
しかしこれまでの「経験」で私は「わからないことがあっても質問せずに自分で考えなくてはいけない」ということを学んだ。
そして小学校にあがったとき、周囲は難なく友達の輪を広げていたが、私はどうするべきかわからなかった。
自己紹介の時間ですら、小さな声で名前を言い、先生に「もっと大きな声で」と注意され羞恥心から泣きそうになっていた。
当然「暗い性格のよくわからない子」というイメージを周囲に与えてしまった。
そうなったらもうあとは「おひとりさま」決定だ。
それでもどうにかどこかしらの「友達の輪」に加わりたいと話しかけようとしたが、話題がわからなかった。
普通の女の子なら興味を持つファッション、スイーツ、好きなアイドルの話、なんて私には無縁だった。
母がファッション誌などを買う性質ではなかったから「ファッション誌」自体の存在も知らなかったし、スイーツは好きだけれど人気のおしゃれなカフェなどではなくいつもコンビニで買っていた、テレビで確認するのはニュースくらいの家に育ちアイドルなんて知りもしなかった。
それに、それらに詳しかったとしても、それらが「話題として最適であるか」なんてことも判断がつかなかった。
今思えば担任の先生に相談すればよかったのかもしれないが、そもそもが「相談してはいけない」「自分で考えなくてはいけない」と思い込んでいたのでできなかった。
いつも友達が欲しくて、一人が寂しくて、どうしたらいいのかもわからなかった。
そんなとき。
下校中にどこからか聞こえてきた。
「ホームレスが凍死してしまったんですって。かわいそうにね」
とうし?
『とうし』ってなんだろう?
帰宅した私は本棚の一番下の段に収まっている『広辞苑』を引っ張り出した。
分厚いので出すにも目的のページを開くにも重くて苦労したが、誰かに「正解を教えてもらう」という方法が使えないと思い込んで居たので仕方がない。
「投資、闘志、透視、いろいろあるけど……あ、この『凍死』かな? 死って入ってるし」
難しい漢字はわからなかったが、とりあえず「寒さが極まって死んでしまう」というざっくりした意味を読み取った。
当時の私の脳内では、人間が氷像になるイメージが展開されていた。
それはとても素敵な死に方のように思えた。
「ひとりぼっちで生きて行くよりは、氷像になって飾られたいな……」
小学校は当時の私にとって針の筵だった。
座学の授業中は良い。
勉強は嫌いじゃなかったし、みんなも友達と話したりはしない。
だが、休み時間になって雑談が始まったり、体育の授業で二人組を作れと言われたりすると地獄だった。
みんなは楽しそうなのに、誰かしらと一緒にいるのに、自分だけが一人。
ひとりごとが「早く死にたいなぁ」になるのもそう時間はかからなかった。
凍死しよう、と決めたが小学生なりに失敗したら監視が厳しくなる気配を感じていた。
一発で成功する必要がある。
私は一番良い凍死の方法を調べるべくその日以降図書館へ通った。
死因が凍死とされる推理小説や新聞記事、なんでも読んだ。
小学生にして漢字に強くなったのは副産物だが、どうせ死ぬ身なので役に立ちはしない。少なくともその頃の私はそう思っていた。
そして、もうすぐ十歳になるという頃に最適解を見つけた。
「雪の降る夜に外に出て睡眠薬を飲めば苦しまずに凍死できる」と。
ただ、一口に「外」といっても「誰にも見つからない場所」でなくてはならない。少なくとも凍死が完了する間では見つけられては困るのだ。
この「場所」の選定に二年かかり、小学校卒業間近のクリスマスイブにやっと「実行」することとなった。
自宅の最寄り駅から三駅行った場所にある駐輪場、そこは端っこの方に行くと街灯の明かりも届かない。
田舎だから都会では二十四時間営業のコンビニでも夜十一時には閉まる。
本当に誰も通らなくなるのだ。
私は「聖夜に天に召されるなんてなんてロマンティックなんだろう」とやや浮かれ気味に、母が就寝した後にこっそり家を出て目星をつけた駐輪場まで自転車を走らせた。
雪は夕方ごろから粛々と降り続けており、自転車のタイヤも滑りそうになったが、別に転んだってかまわないのだ。今から死ぬのだから。
露出した耳や鼻先、手袋をしていない指先などが痛いが、それすら黄泉路への祝福のようで愛おしかった。
駐輪場に着いた。
私は乗って来た自転車を停め、その陰に身体を隠すようにして座り込み、睡眠薬を取り出した。
この睡眠薬は「最近眠れなくて」と心療内科に二年前から通って、医者が「なかなか治らないね。ちょっと強めのを試してみようか」とこの間処方してくれものだからバッチリだ。
体中が冷たくて痛いけど、もうちょっと、もうちょっとの我慢で綺麗な死体になれる。
もう氷像になるとは思っていないけれど、凍死は血液が鮮やかになって生きているときより血色がよく綺麗に見えたりすると小説で読んだ。
だから、私も、最期は綺麗に……。
音もなく降り積もる雪。
白くてきれいで冷たい雪。
それらに包まれ神様の御手へと導かれるのだ。
とろとろとまどろみながらそんな空想に耽り……意識が、落ちた。
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