第23話 姉への敵意

「突然来てごめん」

「ぜんぜんいいよ。上がれよ」


 バイト上がり、あたしは突然、航の部屋に向かった。

 自宅とは逆だけど、まっすぐ帰りたくない事情があった。


「どうした? 何かあったのか?」

 床にぺたりと座って黙り込むあたしに、航は氷入りの麦茶を出してくれる。

 コップを傾け、麦茶と一緒に悲しみを飲み込んむ。感情的にならないようにしようと思った。


「今日、ホールの人手が足りないからって、サーブ経験のあるあたしが代わりに入ることになったんだけど‥‥‥」


 夕方やってきたお客は、あたしにとっては歓迎できない相手だった。

 呼び出しベルが鳴り、オーダーを取りに向かうと、「あれ? あんたどっかで見た顔」と言われた。


 女性の四人組で、二十代半ばぐらい。キャミソールやワンショルダーのトップスでお腹が出ている。下は短パンや穴あきのジーンズで、体の露出度がかなり高い。

 髪は金髪か、明るい茶色で、メイクも派手目。


 あたしの苦手な系統の人たち。


 自宅も学校も近いから、顔見知りがいてもおかしくはない。だけど、この中にあたしが顔を覚えている人はいなかった。


「名前、海野? もしかして、姉ちゃんいた?」


 その言い方に、はっとした。姉の知り合いだ。過去形で言ったのは、姉の事故を知っているからだ。


「もしかして、海野汐里?」

「えっ! あいつの妹?」


 あいつ? その言い方から敵意を感じた。


「え? 誰だれ?」

 一人だけ、話についていけてない人がいる。この人は知らないんだろうか。


「中学のクラスメイトに海野汐里って子がいたの。勉強できる、先生の覚えもいい優等生」

「あっしらの対極にいる子だよ」

「生徒会長もやってなかった?」

「やってたー」


 懐かしむようにきゃぴきゃぴと話す。

 どうやら三人が、姉の中学の同級生らしい。


「たしか、看護学校に行ってなかった?」

「そうそう」

「厭味ったらしいくらい優秀じゃん」

「あたしらみたいなのとも仲良くできるんだよアピール酷かったよねあの女」

「お前の人気上げのために、あっしらいるんじゃねーよ」


 三人が姉の悪口で盛り上がる中、

「そんな人の妹ちゃんなんだ。自慢のお姉ちゃん? それともコンプレックス感じる方?」

 姉を知らない人が、無邪気そうに質問してくる。


「自慢の姉です」

「へえ、そうなんだあ。仲良いんだ」

 この人だけは友好的に話しかけてくれて、ほっとしていたのに、


「妹ちゃん、言い間違えてない? 自慢の姉でした・・・、でしょう」

 バカにしたような笑い方が上がった。思わずオーダー用の端末を持つ手に力が入る。

「え? どういうこと?」


「死んだの、海野汐里は」

 さらっと口にする。家族を目の前にして、あまりにも簡単に。


「そうなの?」

「何年前だっけ」

「そんなの忘れたよ」


「どうして亡くなったの? 交通事故? 病気?」

「海で溺れたんじゃなかったっけ?」

「あ、そうそう。海だよ」


「そうなんだ。気の毒に」

「幽霊にひきずりこまれたんじゃないの?」

「幽霊って、ダッサ。ウケる」

 彼女たちの大きな笑い声が、店内に響き渡った。


 あたしの全身が怒りのあまり、震える。

 姉を笑いものにしてほしくないのに。

 姉の死を、軽く扱わないでほしいのに。

 言葉が口から出てこない。

 やめてやめてやめて。頭がおかしくなりそうだった。


「海野さん、代わります」

 佐藤さんにそっと耳打ちされ、あたしは彼女たちから逃げるように離れた。


 ♢


「ほら、タオル」

 航に差し出されたタオルを顔に当てる。


 感情的にならないようにと思っていたのに、涙が頬を伝ってしまった。

「酷い言い方されて悲しかった。言い返せなかったのが悔しかった。それに‥‥‥」

 寂しい。

 好き勝手に言われているのに、お姉ちゃんは出てこない。

 こんな時こそ出てきて、あたしが反論できるように、言ってほしかった。


「よく耐えたな」

 ぽんと頭に手が乗る。

「悔しかったな。つらかったな。でもよく耐えた。えらい」

 優しい手つきで、撫でられる。


「反論しなくて、正解だったんだよ」

「どうして?」

 タオルをずらすと、航が温かい目であたしを見ていた。


「麻帆が仕事中だったから。感情を言葉にしていたら、事態は大きくなってた。麻帆に非が無くても、お客側が間違えていても、店員が反論するのは許されないんだよ。納得いかないよな」

 

 ぐずっと鼻を鳴らしながら、頷く。


「仕事と関係のないことなのに、向こうは言いたい放題。おかしいよ。だけど‥‥‥」

 少し冷静になれた。

「わかるよ。納得はいかないけど、わかる。だけど、悔しい。お姉ちゃんのこと、あんな風に言うなんて」


「そうだな。悔しいな。そばにいてやれなくてごめんな」

 あたしは首を横に振る。


「航のせいじゃないよ。お姉ちゃんを悪く言う人がいるって知って、ショックだった。でも、お姉ちゃんが聞かなくて良かったのかもしれない。あの時は、文句言いに出ておいでよって思ってたけど、聞かれてたら、悲しんでたよね」


 冷静な頭になると、姉の身になって考えられた。

 あんな酷い悪口、お姉ちゃんに聞かせちゃだめだ。


「聞いてくれてありがとう。落ち着いた。ママとパパに言わずにすみそうだよ」

 まだモヤモヤとはしてるけど、お姉ちゃんにバレないようにしなきゃと思うと、切り替えられそうだった。


 航も勉強がある。机の上には大学の教科書とノートが広げられている。

 邪魔しちゃいけない。家に帰ろう。

 立ち上がりかけて、

「ちょっと待て。今、辺なこと言ってなかったか?」

 航に止められた。


「変なこと?」

「汐里さんに聞かれなくて良かったとか、文句言いに出てこいとか」


「それは‥‥‥あ、あの世で聞いてたらって話だよ」

 またやってしまった。航の前だとつい気が緩んで、わかっている前提で言ってしまう。

 ごまかさないと。


「この間も、変な風に言ってたな。病院で。若いからって過信するなって、汐里さんが言ってたって。あの時は昨日って言ってたぞ」

「よ、よく覚えてるね」


「ごまかそうとして慌ててたから、おかしいなって引っ掛かってたんだ。麻帆は嘘をつくのが下手だからな」

「子供の頃の話だよ。今はそうでもないよ」


「いや、たしか、汐里さんに嘘はいけないって叱られてから、嘘はつかなくなったんじゃなかったか」

「そんなことあったかなあ」


「とぼけんな。一人で抱え込んでないで、全部話せ」

 真剣な目で見つめてくる航を見て、信じようと思った。

 航になら、すべて話しても大丈夫だ。


「わかった。笑ったり、バカにしたりしないでよ」

「するかよ」


 あたしは心を決めて、姉とのことを話した。

 姉が幽霊になって帰ってきたこと。

 自棄になって夜の海に入り、姉と入れ替わったこと。

 自分が目覚めて、体に戻ってからも、姉はずっと頭にいたこと。

 この数ヶ月、姉が眠ったまま出てこなくて、不安に感じていること。


「お姉ちゃんがいるのが当たり前で、消えちゃったらどうしようって。不安で。だけど、もし消えちゃいそうなら、心配かけないようにしなきゃって。だからあまり頼らないように、頑張ってたんだ。不思議な話でしょ。でも真実だから」

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