閑話 快雪晴吹
───まずい、オレ……死ぬ……
湧き上がった恐怖がアルウィンの身体を震え上がらせた。
彼が今まで恐怖を感じたのは、親やオルブルから叱責を受けた時と、高所に立った時くらいだ。
───怖い。死ぬ。終わった……無理だよ、こんな化け物。足場がオレにとって相性が悪すぎるんだ。色んな人から『お前、ガキの癖にすごいな』って褒められて舞い上がっていたけど……凄くないよ。
オレは、今日ここで……汚泥の中で食い殺されるんだ。
そんな時。
アルウィンの右手が泥の中にある何か硬いものを撫でていた。
その起伏を指の腹で感じ取って、形状を掴んだアルウィン。
───オレが触れたものは誰かの頭蓋…か。
オレみたいに上級冒険者を目指して散っていった同胞のものだろうな。
オレもここで朽ちて、いつかはヘドロになるんだ……
彼は全てを悟ったように静かに目を閉じた。
のしのしと
しかし。運命を受け入れかけていたアルウィンの耳に、眼に、いつかの日の記憶が流れてきた。
『ねぇ、アルウィン、約束して。これから先……再開する日までに全部を投げ出したらダメだからね?
私に会いたいなら……私のもとまで這い上がって来て!』
幼馴染の声を聞いてふつふつと湧き上がってきた勇気。同時に込み上げてきた恐怖。しかしその恐怖は、先程までのような身体が動かせなくなる恐怖とは違ったものであった。
───そうだ!オレは、生きてオトゥリアに再開しなければならないんだ。こんな魔獣に臆してたら、先が思いやられる!
その恐怖は、例えるならば壁のようなものだった。
行く手を塞ぐ壁。限界を突破するために必要なものだ。
何とか起き上がったアルウィンは剣を強く握り、身を奮い立たせた。
相手にあるのは鎧のように硬い皮膚と、ぬかるみの中でのアドバンテージ。
───じゃあオレにあるものは何だ。
柔らかい部分を狙わなければならないが足元が悪すぎる。母から習った魔法は中級までだし、オレは氷魔法と風魔法しか使えない……
───いや待てよ。あれが行けるじゃないか!
アルウィンはその爆音と同時に魔法を構築していった。それはかつて物語で語られた英雄が使ったとされる魔法である。
「〝
一方のアルウィンは、左手で魔力を集中させて作った白い球体を大地へ放ったのだった。
それは、氷魔法と風魔法で作り上げた、冷気を風で包んだもの。氷の初級魔法と風の中級魔法の組み合わせ技である。
それは、アルウィンがかつて憧れた物語の中では猛吹雪を引き起こして曇天を吹き飛ばし快晴にするほどの威力であり、特級魔法相当だったという。
だが残念なことに、アルウィンにはそれを特級魔法のレベルに仕立て上げるセンスは全くなかった。せいぜい湖の水を半径20ヤードほど凍らせる程度だ。
同じ物語に憧れ、同じ技を習得した他の子供はごまんといるが、彼らのものも同じように大した威力すらない技が殆どであった。
極めれば特級相当になるが、極めるためには相当な修練が必要となる技なのであるが、現状弱いながらもその技は今の状況のアルウィンにとって大きな役割を果たしていた。
アルウィンが白球を放った途端、飛び上がり白球を躱しながら振り下ろされる
右で構えた剣でしっかりと防いだアルウィンは次の一撃が振り下ろされる直前に渾身の力で跳び、泥沼から抜け出した。
そして。
「爆ぜろ!!!」
アルウィンがそう言った途端。
前方で白い球がポンッと音を立てて爆散した。
途端、地面が氷風によって白く染まる。
強い風と共に辺りに飛散した冷気が乾いた音と共に霧を散らし、泥沼を凍らせたのである。
アルウィンに絡みついた重い泥も、冷気によって凍結しポロポロと崩れ落ちていった。
アルウィンが地にもう沈むことはない。
彼に足枷はもう無い自由の身なのだ。
アルウィンは右足を後ろに下げていた。
霜柱が砕ける気持ちの良い音と、沈まぬ地面の堅い感触。
───行ける。
ぬかるみが凍結した途端に勝利を確信したアルウィンは勢いよく踏み出して縮地を発動させる。
対する
巨体が宙に跳び、アルウィンの頭をぶっ裂こうと腕を上げる。
アルウィンは爪の振り下ろされそうな地点から抜けようと左サイドに踏み切って再度、縮地を発動。
予想される落下地点から限りなく近いところ目指し足を動かす。
「来るッ!」
巨大な鏃のような頭骨と、短剣のような大きさの両爪。
アルウィンは迫り来る攻撃に、一種の高揚感すら感じていた。
姿勢を屈めながら駆け抜け、三度目の縮地で懐に入り込んだアルウィン。
「来たああっ!シュネル流〝辻風〟ッ!」
アルウィンの一閃で、白い大地に鮮血が迸る。
彼が狙ったのは、両前脚の付け根。
しかし、その鎧にも弱点はあるのだ。
そこが弱点であるとアルウィンは看破していた。
鋭い一撃だった。
しかし未だ事切れてはいなかった。前脚の制御を失いながらも何とか起き上がろうとする
凍結魔法が吹きかけられた途端、滴る鮮血がシャーベットのように固まり、傷口から血管伝いに
身体の内側から凍結させられる強烈な痛みに、魔獣は苦痛の声を響かせる。
───もう、行けるだろうな。
アルウィンは凍てつきまともに動かぬ前脚で抵抗する巨体の首の内側を斬り裂いた。外骨格こそ硬いものの、首の内側はまるで粘土のように柔らく、アルウィンの剣を容易く通してくれた。
凍結されていない、まだ暖かい血潮が凍った地を溶かしてゆく。しかし段々と流れ出るそれは冷気によって冷たくなり、やがて内部から凍りついて一滴も赤血は出なくなった。
───勝った。勝ててしまった。
アルウィンはその場に倒れ込んだ。体力、魔力共に大した消耗ではなかったが、死の恐怖を味わったことによる精神的な疲労は凄まじかった。
もしオトゥリアの言葉を思い出せていなければ…地を凍らせることを考えていなければ……間違いなく死んでいたことだろう。
風が吹き抜け、だんだんと霧を払っていく。
冷気にあてられた身体が小さく震えていた。
「そういや、これをどう運べばいいんだろう…まぁ、いっか」
先の事なんか、もうどうでもいい。明日からは、ついに上級冒険者だ。
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